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台湾を変えた日本人シリーズ:台湾全島に電気をともした日本人——松木幹一郎

古川 勝三【Profile】

[2018.02.04]

観光地として有名な日月潭は、発電所としても80年以上の歴史を持つ

台湾中部南投県に台湾最大の湖がある。北側が丸形で南側が月形をしていることから日月潭(にちげつたん)と呼ばれる。風光明媚(めいび)な標高748メートルの湖は、年間600万人が訪れる一大観光地としても有名である。また湖を一周する39キロメートルのサイクリングロードは、世界中のサイクリストの憧れの地となっている。しかし、この湖が83年前から発電用ダム湖として利用され続け、台湾最大の水力発電所に寄与していることを知る者は少ない。

現在の大観発電所(提供:古川 勝三)

1931年に完成した日月潭第一発電所(現大観発電所)は、10万キロワットの発電量を誇る東洋一の水力発電所として台湾全島に電力を供給し続けた。その結果、当時の台湾で「人間が居れば、そこには必ず電気がある」とまで言われるようになる。この巨大事業に取り組んだ日本人が「台湾電力の父」と今もって台湾人から尊称されている松木幹一郎である。

松木幹一郎(提供:古川 勝三)

松木幹一郎は1872年愛媛県周桑郡楠河村大字河原津(現西条市河原津)で庄屋の長男として生まれた。松山中学校を経て京都の第3高級中学校を7月に卒業、9月には東京帝国大学法科大学法学科に入学した。3年後の7月に卒業すると直ちに逓信省に就職している。25歳のときである。

広島郵便局長、文書課長、横浜便局長などを歴任し、1908年に鉄道院秘書課長となったとき、松木の将来に大きな影響を与える人物に出会うことになる。逓信大臣兼鉄道院総裁の後藤新平がその人である。

後藤は有能な人材を生かして登用することに優れていた。台湾総督府の民政長官時代には、米国から38歳の新渡戸稲造を三顧の礼で迎え、殖産局長心得に抜てきし、臨時台湾糖務局長に据えて台湾糖業発展の基礎を築くことに成功している。その後藤が松木の有能さを認め重用した結果、後藤の片腕として活躍することになる。松木も後藤の人材活用術を学び、同郷で12歳下の十河信二を後藤に紹介している。十河はその期待に応えて、後に新幹線事業の偉業を成し遂げ「新幹線の父」と称されるようになる。

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  • [2018.02.04]

1944年愛媛県宇和島市生まれ。中学校教諭として教職の道をあゆみ、1980年文部省海外派遣教師として、台湾高雄日本人学校で3年間勤務。「台湾の歩んだ道 -歴史と原住民族-」「台湾を愛した日本人 八田與一の生涯」「日本人に知ってほしい『台湾の歴史』」「台湾を愛した日本人Ⅱ」KANO野球部名監督近藤兵太郎の生涯」などの著書がある。現在、日台友好のために全国で講演活動をするかたわら「台湾を愛した日本人Ⅲ」で磯永吉について執筆している。

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