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人々に安らぎをもたらす北海道

毛 丹青【Profile】

[2018.01.17]

莫言氏との北海道旅行

これまでに2度、中国のメディア関係者を引率し、取材で北海道を訪れたことがある。私が選んだ季節はいずれも雪と氷が大地を閉ざし、厳しい寒さに包まれる冬の年末から年初にかけての時期だ。最初は2004年12月末、中国人作家である莫言氏を招き、行をともにした。12年のノーベル文学賞受賞後、莫言氏の北海道に関するエッセーはより多くの読者に読まれるようになっているが、その中で大みそかのカウントダウンの情景に関する描写は、後に彼の長編小説の中にも取り入れられている。

2度目は17年12月末のことで、上海で出している雑誌『在日本』の編集長として、札幌市の協力を得て、中国の若いメディア関係者を招聘(しょうへい)した。13年という時を経て、同じ北海道での取材ではあったが、その取材対象は異なっていた。私は文学というものは国境を越えるべきものだと考えており、その考えから莫言氏に同行したときは、全体の行程を北海道の大自然と美しい景観を巡る旅を中心に組んだ。この時の取材旅行の成果は『莫言 北海道走筆』という中国語の本にまとめられ、06年に上海文芸出版社から刊行された。

04年は当時の小泉純一郎首相が宣言した「観光立国」の翌年に当たる。03年に520万人だった訪日外国人観光客の数は、16年には2400万人を突破した。この数字の大きな変化は、われわれの取材対象にも変化をもたらした原因の一つかもしれない。かつて見るべきは「景観」だったが、今回の取材旅行では「人」となった。訪日外国人観光客数の激増以外に、近年中国からの訪日観光客は個人旅行客がそれまでの団体旅行客を上回るようになってきている(図表参照)。個人旅行客の激増により、街中で大きなスーツケースを持った中国人観光客が列に並んで公共交通機関を待つ姿や、コンビニで道を尋ねる姿を日常的に目撃するようになった。東京のオフィスビルの警備員も、ますます多くの中国人観光客が道を聞きに来るようになってきたと話しているほどである。

もちろんこうした現象は大都市特有のものではない。今回の旅行中にも北海道の各所で中国からの個人旅行客の姿をしばしば目にした。そうした中国からの個人旅行客が宿泊先の旅館の従業員と筆談している様子は大変印象深いものがあった。いわゆる「個人旅行客」は団体旅行客に比べ、旅行の行程にせよ、時間の配分にせよ、比較的ゆったりとしており、普通の日本人と交流する機会もおのずと多い。このように観光目的が「景観」の見学から「人」との交流へと変化してきたことは、観光旅行の進化の現れと見なすことができよう。こうした現象には日本政府の観光部門も目を向けるべきで、中国人旅行客を取り込むインバウンド対策を検討すべき時であろう。

次に述べる4つのエピソードは全て今回の北海道取材旅行でのことだ。苫小牧のノーザンホースパークに始まり、サッポロビール博物館や西山製麺、また道東の十勝川、阿寒湖、摩周湖、知床にあるフレぺの滝、博物館網走監獄など多くの場所で、われわれは多くの日本人にじかにインタビューを試みた。あらかじめ決まったシナリオなどなく、全てはぶっつけ本番の取材であった。取材当時の情景が周囲の景観と一つになって、いまでも忘れ難い思い出となっている。

馬との穏やかな時間

2017年12月18日、新千歳空港に着いたわれわれはすぐに車で目的地のノーザンホースパークへと向かった。間もなく厩舎(きゅうしゃ)に到着しようとした時、若い女性が背の高い馬を率いてわれわれの方へ歩いてくるのが遠くに見えた。純白の雪、厩舎の赤い屋根を背に彼女の緑色の作業服が鮮やかであった。引き続き目にした光景に、われわれ記者は心から感動したのであった。彼女に引かれている馬は頭を彼女の肩の辺りにもたれかけるようにぴったりと寄せ、ゆっくりと歩いてきた。その様子はあたかも彼女とともにわれわれを歓迎しているかのようであった。それは時間にしてさして長いものではなかった。1分間ほどもなかったかもしれない。しかし、悠然とした優雅な姿はわれわれの旅の疲れを瞬く間に消し去ってくれたのである。しかも音もなく、同時に言葉もなく。

その若い女性は勝文子奈希(しょうぶんこ・なつき)さんといった。彼女は幼い頃から動物が好きで、いまこうして馬とともに過ごし、馬と互いに信頼関係を築くことができることに何よりも充足感を覚えていた。彼女は今回われわれが取材した最初の日本人である。彼女にとってこうした光景はごく普通の日常生活の断片であっただろう。しかしわれわれ中国人にとって、ことに急成長を果たした中国にとって、彼女と馬のこうした穏やかで静かな瞬間は最も魅力にあふれたものに感じられたのである。

インタビューを受ける勝文子奈希さん(左)

ラーメンに懸ける夢

今回取材の目的の一つは、北海道の人々を理解することであった。このためいくつかの企業を取材対象に選んでいたのだが、西山製麺はその一つであった。麺に用いる粉は全て北海道産の小麦粉で、卵麺を特色としている。日本国内で販売するほか、欧米や東南アジアなどにも積極的に進出している。西山隆司社長の話を聞き、製麺工場を見学した後、ラーメンの試食をするために調理室に案内された。青年が黙々とわれわれのためにラーメンを作ってくれたのだが、その動きは流れるようで無駄がなく、しかも入念で、熟練した技を感じた。後にこの青年は西山社長の息子であることを知った。

記者が彼に将来の夢を尋ねると、「アメリカに行って、西山ラーメンの社長になることが子供の頃からの夢でした」と淡々と答えた。その答えを聞いた記者はしきりに感心していた。というのも彼女はこれまでに多くの日本の若者にインタビューをしてきていたが、その多くはまるで覇気がなく、いまの生活が楽しければそれでいいといった、進取の気性に欠ける若者ばかりであったためだ。それに対し同じ若者でありながらこの西山君の答えからは淡々とした口調ながらも揺るぎない信念が感じ取られ、しかもそれが迷いのない即答であったからだ。

西山製麺にて。手前は西山社長の息子

アイヌ音楽の癒やし

その日われわれは「ポロンノ」というアイヌ料理の店で昼食を取った。女主人は郷右近富貴子(ごううこん・ふきこ)さんと言い、アイヌ音楽の演奏家でもある。壁には彼女が若い時に写したポスターが掛けられている。「このポスターの人はもしかしてあなたではないですか」と、われわれが尋ねると、「そうよ、私にもこんな時があったの」と言って彼女はつつましく笑った。その笑い声には何とも言えぬ温かみがあった。この温かみの中に彼女のアイヌ音楽に対する愛情を感じた。外は氷点下12度、降り積もった雪で辺り一面真っ白であった。それに対し店内はストーブが赤々と燃え室内を暖かく保っていた。

われわれが店を出る時に、彼女は「最近は中国のお客さんもずいぶん増えたのよ。ここの景色だけじゃなくて、私たちアイヌの音楽も好きになってくれて、とってもうれしいわ」とわれわれに告げた。店の中には彼女の音楽が流れていたが、音楽には温かみがあふれ、癒やされるのを覚えた。一行の女性記者がその場で彼女のCDを購入し、「あなたにお会いできてとてもうれしいです。中国に帰ったらあなたの音楽をじっくりと味わい、気持ちをリラックスさせます」と言った。

アイヌ料理店「ポロンノ」

生涯を馬とともに

男は中年の日本人である。彼とは札幌の繁華街すすきのにある小さな居酒屋で知り合った。当時、外の気温は氷点下12度、その中年の男は「冬はすることがないから、暖かな東京に行って仕事でも探そうと思っている」と言った。私は彼に「仕事はないのですか」と尋ねた。中年男はしばらく沈黙した後、「おやじの跡は継ぎたくないんだ。朝から晩まで馬に蹄鉄(ていてつ)を取り付ける仕事など、金輪際嫌だね」と答えた。蹄鉄師とはなかなか奥深いところがある。もちろんこうしたことを私などが彼に説いてみせるべきことではない。男は子供の時から父親が蹄鉄を取り付けるのを見て育ったのであり、口では継ぎたくないなどと言っているが、口数が多くなってくれば、父親に対する憧れの気持ちが言葉の端々に現れるのは間違いない。北海道の牧場で働く男はだいたいが彼のように口では不平不満を言うが、その実、心の中は温かな気持ちであふれているのである。

馬に蹄鉄を装着する際、最も大事なポイントはひづめのくぎを打ち付ける位置を把握することである。馬蹄は金属製であり、装着するにはくぎで打ち付けなければならないのだが、くぎを打ち込む角度を間違えれば、ひづめの神経に障ることになり、馬はけがを負ってしまうからである。中年男は、彼の父親はひづめのくぎを打ち付ける位置を見極めるため、布団を担いで厩舎に泊まることもあると私に告げた。何を言っているのかは分からないが、馬にぶつぶつと話し掛けていることもあると言う。翌朝、馬に蹄鉄を装着するとき、普通は補助の者が馬の足をしっかりと押さえ、動けないようにしてから馬蹄を装着するのが普通だが、彼の父親の番になると、蹄鉄を持ってくる前に、馬の方で悠然と父親のところにやってきてお辞儀をし、馬蹄を取り出しても、おとなしく父親のなすがままになり、一人で難なく馬蹄を装着してしまうそうだ。

私はそれを聞いて、「すごいですね。しかしあなたは馬が嫌いというわけでもないでしょう」と聞いた。中年男はため息をつき、一口たばこを吸うと、くぐもった声で答えた。「嫌いというわけじゃない。おやじは生涯ずっと蹄鉄師としてやってきた。しかしおやじが蹄鉄を装着した馬はレースで出走する度に負けているんだ。おやじのことを、どう蹄鉄を装着すれば馬が気持ちがいいかということばかり考えて、どうすればレースに勝てるかなど考えていないのではないかって疑っている者もあるほどさ」。私は「そんなことがあるのだろうか」と半信半疑で彼の話を聞き終えた。中年男はそれっきり口をつぐんだ。私が居酒屋を出る時になって、突然口を開くと、「おれは馬の仕事にはあまり縁がなかったが、息子がじいさんの事業を継ぐって言い出したんだ。いま小学六年生だが、夏休みに入ってから、じいさんの後にくっついて毎日一緒に馬小屋で寝泊まりしているよ」と言った。それだけ言うと、中年男は自分の席に戻ってまた酒を飲み始めた。私は居酒屋のドアを開けて外へ出て、ホテルへと戻った。

これらの4つのエピソードはわれわれが北海道の人々を知るための一つの過程であると言えよう。波乱万丈に富むエピソードなどなく、いずれもごく平々凡々たる日常の風景である。このことは芥川賞を受賞した小説『火花』の作者、又吉直樹氏のことを思い出させた。『火花』の中国語訳をしたことが縁で、私は2017年6月に彼とともに上海を訪れた。そのとき彼は私に、「第二作の『劇場』を書きあぐねていた時に、一人で北海道に行ったんです。北海道から受ける体感はまるで違っているのを直覚しました。そうしたら心が安らぎ、素直になることができ、書きたいことを一気呵成(かせい)に仕上げることができたのです」と語った。

不思議なことだが、またそれがどうしてそうなのかは分からないが、私の北海道に対する印象も又吉直樹氏が感じたものと全く同じであった。人と人との理解を通して、互いの共感を発見すること、これこそがわれわれに与えられたもっとも豊かな贈り物の一つではないだろうか。

バナー画像=阿寒湖にて取材班(写真は全て著者提供)

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  • [2018.01.17]

中国北京市生まれ。北京大学卒業後、中国社会科学院哲学研究所を経て、1987年初来日し商社に勤務。2000年バイリンガル作家に転身、08年YOKOSO JAPAN大使。主な著書に『にっぽん虫の眼紀行』など。

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