平昌五輪:「4回転時代」の男子フィギュアスケートが向かうその先

文化

4回転5本でも「物足りない」

この1月、全米フィギュアスケート選手権の男子シングルを、テレビ中継で見ていた時のこと。実況のアナウンサーがネイサン・チェンのフリー演技を見て発した一言に、驚愕(きょうがく)してしまった。

「物足りないですね」

優勝したチェンの演技は、4回転フリップ2本を含む4回転5本を組み込んだ構成で、4回転は全て成功。ただ、これまでは4回転ルッツ2本を入れる演技構成だったため、ルッツがないことを「物足りない」とそのアナウンサーは言ったのだ。4回転フリップとて、現在、世界でチェンと宇野昌磨の2人しか成功していない大技だ。それを2本も見たというのに、「物足りない」と。

一体いつから、フィギュアスケートはそんな見方をされるようになってしまったのか。

チェンの演技が少し物足りなかったとすれば、素晴らしい4回転を5本も成功させるために、本来彼が持っているスケーティングの滑らかさや、クールな表現が抑えられてしまったことの方なのだが。

見どころは、4回転ジャンプだけなのか。どの種類を何本跳ぶか、そのことだけが眼目なのか。フィギュアスケート男子は、いつからそんな競技になってしまったのだろう。

チャンピオンの「勝ち方」に注目を

開幕まで2週間余りとなった平昌(ピョンチャン)五輪。男子シングルでは誰が勝つのか、大いに取り沙汰されている。しかしそれ以上に注目したいのは、新しい五輪チャンピオンがどんな勝ち方をするか、だ。

五輪前年、2017年の世界選手権は、3位までの選手が全員4回転4本とトリプルアクセル2本を成功させるという、驚異的にハイレベルな戦いだった。この年の表彰台は、羽生、宇野、金博洋(ボーヤン・ジン、中国)の3選手。彼らに加え、トリプルアクセルは苦手だが、その分4回転を5本成功できるネイサン・チェン。恐らくこの4人の中から、五輪王者は決まるのだろう。

しかし、彼らが多種類多回数の4回転に失敗したとき、4回転の本数は少ないものの、芸術性や安定感で秀でるハビエル・フェルナンデス(スペイン)、パトリック・チャン(カナダ)、ミハエル・コリヤダ(ロシア)にもチャンスがある。

逆に、ジャンプ技術はトップ選手に匹敵するが、まだ実績やプログラム表現の面で評価の低い若手、ヴィンセント・ゾウ(米国)、アレクサンドル・サマリン(ロシア)。彼らが全ての4回転を成功させた場合、他選手の失敗があれば上位に食い込める可能性はある—事前予想は、そんなところだろうか。

五輪では、やはり全ての選手の最高の演技を見たい。4回転を連発した選手たちが次々に失敗、などという展開は、絶対に見たくない。しかしそれ以上に恐ろしいのは、4回転を4回、5回とパーフェクトに跳んだ選手が、フィギュアスケートの大切な部分—音楽とスケーティングが融合した身体表現—を全く見せずに、ジャンプのすさまじさだけで優勝してしまうことだ。

4回転偏重で犠牲になるもの

羽生、チェンら、多種類多回数の4回転に挑戦している選手たちは、決して単なるジャンパーではない。世界トップクラスまで上り詰めただけあり、どの選手もスケーティングや音楽表現にも秀でている。しかし勝負の場、なるべくたくさんのジャンプを跳びたい、となったとき、4回転は彼らから全てを奪ってしまうのだ。集中力も体力も4回転のために使ってしまえば、凝った作りのプログラムは空っぽになり、一体となるはずの音楽はただのBGMと化す。彼ら自身がそれを望まなくとも、多回数の4回転を跳ぶためには、そうならざるを得ないのだろう。もし彼らが、4回転を2本程度に抑えれば、本来持っている魅力の多くを見せられるはずだ。しかし彼らはジャンパー。五輪では自分のできるマックスの構成に挑んでくるだろうし、最後の最後には、全てを捨てても跳ぶことを選ぶかもしれない。

そんな演技で、五輪チャンピオンが決まったとき。現在のルールにのっとり、爆発的な4回転の威力を見せての勝利は、強烈なインパクトを残すだろう。しかしその勝ち方を見た世界中の人々は、男子フィギュアスケートは、ただ跳ぶことを見せる種目だと思ってしまわないだろうか。

平昌五輪後、国際スケート連盟(ISU)は4回転の基礎点を下げる方向で検討している、との報道があった。そこで多少、4回転偏重の傾向は抑えられるかもしれない。しかし世間にはすでに、4回転ルッツを跳ばないだけで「物足りない」と言ってしまう、そんな見方が広がっているのだ。フィギュアスケートのジャンプだけではない華麗さ、鮮やかな色彩を楽しんできた人々にとっては、なんとも悲しい状況だ。

記録よりも記憶に残る演技を

最終的に時代を作るのは、ルールではなく選手たち。こんなスケートを見せたい—彼らのその強い意志が、次代のフィギュアスケートを作って行く。五輪王者の演技は、次の4年間、選手たちの大きな指針となっていくだろう。「跳んで勝ちたい」選手が勝つか、「フィギュアスケートの本質を守りたい」選手が勝つか。もう、彼らに任せるしかない。

しかし、長くフィギュアスケートに親しんできた立場から、願うことを許されるならば。やはり私たちが見たいのは「ああ、これがフィギュアスケート」と思えるような滑りだ。「4回転を何本跳んだ」と記録に残るのではなく、「平昌の、あの演技は忘れられない」と、記憶に残るスケート。そんな演技を見せた選手にこそ、五輪王者になってほしい。

例えば今シーズン前半、多くの選手が難度の高いジャンプ構成に挑んだが、最も記憶に残った演技は4回転がわずか1本、2本だった2選手。2017年11月・NHK杯でのセルゲイ・ボロノフ(ロシア)、12月・全日本選手権での無良崇人(むら・たかひと)だった。

今年30歳のボロノフは、4回転2本であっても、4分半のプログラムを滑りきることは体力的に厳しかった。フリーを滑り終わった瞬間、氷の上に崩れ落ちてしまうほど、ぼろぼろの状態だった。それでも自身の持ち味である男臭さをたっぷり見せる「サラバンド組曲」を滑り切り、30歳にして、グランプリシリーズ初優勝。年齢的にも難しい五輪代表争いを、どうあがいても戦い抜きたい—その意志を感じる演技に、人々は心からの喝采を送った。

また、今年27歳、恐らく五輪への挑戦は最後となる無良の全日本選手権も、素晴らしかった。「もし僕が19、20歳の体だったら、この4回転時代に挑戦したかった」というほど、ジャンパーとしてポテンシャルの高かった選手だ。しかし彼が五輪最終選考会で見せたのは、4回転を1本に絞り、「一番の自分らしさ」が出せる渾身(こんしん)の「オペラ座の怪人」。20数年間かけて見つけ出した、「自分のフィギュアスケート」を全て見せたい、その願いが見ている人々に真っすぐに届く演技だった。

ボロノフ、無良は残念ながら国内選考の結果、五輪代表には選ばれなかった。しかし彼らは、記録よりも人々の記憶に、深く残る演技にたどり着いたのだ。

平昌五輪後の競技の行方は?

たくさんの選手たちの思いを経て始まる、平昌五輪。王者に望むのは、ジャンプにばかり注目する人々に、「フィギュアスケートは、それだけじゃない!」と、全身で叫ぶような演技だ。しかしそれは現在の4回転偏重時代、あまりにも難しいことかもしれない。

宇野昌磨、ハビエル・フェルナンデス、パトリック・チャンら、4回転よりもフィギュアスケート本来の魅力を重視する選手たち。彼らが、緻密に組み上げられたプログラムを滑りつつ、自らに課したジャンプ構成をクリーンに成功させることができるか。

羽生結弦、ネイサン・チェン、金博洋ら、やはり最後にはジャンプにプライオリティを置くだろう選手たち。最強のジャンプを跳びながらも、どれだけ彼ら本来の持ち味を殺さずにいられるか。

誰が金メダルに輝いたとしても、「これぞ、フィギュアスケート!」とたたえられる演技を。平昌五輪後のフィギュアスケートが向かう先—これからの男子シングルの新たな時代を託したい、そう思える演技を、心から期待したい。

(2018年1月22日 記)

バナー写真:2017年10月21日、グランプリシリーズロシア大会(モスクワ)のフリーを演じる羽生結弦(坂本清/アフロ)

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