日本人新郎が体験した台湾のびっくり結婚顛末(てんまつ)記・準備編

文化

2016年、僕は台湾南部の町・台南で地元の女性と結婚し、新郎として結婚式に臨むことになった。今までお客の立場で見てきた結婚式が至ってラフな様子だったので、結婚式を主催するのもきっとそんなに手間がかからないだろう、と漠然と考えていたのだが、それが全くの見当違いであったことを、すぐに思い知らされることになった。

台湾の結婚式「喜宴」は喜びを分かち合う宴会

台湾の結婚式は「喜宴」という。名の通り喜びを分かち合う宴会であり、町内の寄り合いとか、同窓会とか、素人のど自慢大会といった側面も持っている。招待客が多ければ多いほどいいとされ、400人や500人はざらで時には1000人以上が参加する。新郎新婦とその家族がグラスを手に各テーブルへあいさつに回る「敬酒」を除いて、決まったプログラムは無く、時には初めに乾杯の音頭が取られただけで、その後2時間ほど延々と出席者たちのカラオケ大会が続く、という例もあった。出席者たちは大音響の中、円卓の向こう側の人にも聞こえるよう、お互いに怒鳴るような勢いで話をする。元来おしゃべり好きな台湾人だが、この日は久しぶりに親類や友人に会えてうれしいものだから、どんなに声がしゃがれても、汗をにじませながら大声で話し続ける。

そして最後に出てくるフルーツで喉を潤したら、余った料理をビニール袋に包んでばらばらに帰って行く。礼服の着用が必須で祝儀に最低3万円は包まなければならない日本の結婚式と比べると、台湾の結婚式は皆が自由な格好で、大きな負担もなく参加でき、プログラムも自由である点、おおらかで気取らず、にぎやかさを好む台湾の人々の人間性がよく表れているといえる。

台湾における僕の結婚を巡るエピソードを「準備編」と「式典編」の2回に分けて皆さんにご紹介したい。

「提親」(新婦家族へのあいさつ)で「聘金」(結納金)が決まる

プロポーズが成就したら、そこから結婚式に至るまでの間には「提親」「看日子」「訂婚」「拍婚紗」「發喜帖・喜餅」という五つの大きなステップがある。ここで紹介するのは妻の両親から教えてもらった台湾南部の代表的な流儀であり、地域やエスニシティ(客家や台湾先住民など)や宗教の別により異なる流儀が存在する。

自ら作成した「喜帖」(提供:大洞敦史)

「提親」は新郎の家族が新婦の家庭へあいさつに伺うことだ。以後の段取りや金銭的な面もこの時決められるので、肝心要の部分である。話し合いの中で最も緊張が走るのが、新郎側から新婦の両親に渡される「聘金」と呼ばれる結納金の額を決める時だ。「大聘」と「小聘」に分かれており、小聘は「尿布錢」(おむつ代)とも呼ばれ、両親の養育の恩に感謝する気持ちが込められている。

金額は新婦の両親の裁量に委ねられるが、相場は大聘が36万元(1元3.7円)、小聘が12万元程度。結納金が100万円程度で、場合によっては半分ほどが結納返しとして戻ってくる日本と、物価差も含めて比較すると、かなりの負担といえる。もし新婦の家族が新郎を気に入っていれば、大聘を辞退することもあるが、逆に不満がある場合は、法外な価格を提示することで破談を狙ったりもする。何百万元もの聘金を要求され、それでも結婚した夫婦が、分割払いで何年間も払い続けるというケースも時としてある。

占い師に日取りを決めてもらう「看日子」

「看日子」は算命仙仔と呼ばれる占い師に、結婚式を挙げるのにふさわしい日取りを選んでもらうことだ。算命仙仔は新郎新婦の名前と生年月日および誕生時刻を元にそれを算出する。もし漢字圏以外の国の人だったら?とか、時差がある場合、どちらの時刻を基準にするのか?などの疑問は残るが、ともかく挙式は2016年4月3日と決められた。おまけに役所に婚姻届を出す時刻まで指定されていたのだが、順番を待っているところで忘れ物に気付き、急いで家まで取りに戻る羽目になった。幸い滑り込みで間に合った。

時期の良しあしについていえば、日本では欧米に倣ってジューンブライドといって6月に結婚するカップルが多いが、台湾では「有錢沒錢,娶個老婆好過年」(お金があってもなくても、妻を娶(めと)ればいい年が越せる)という俗語があり、旧正月が近くなると結婚式が増える。逆にあの世から霊が戻ってくるとされる旧暦7月に結婚する人はまずいない。ただしキリスト教徒は例外である。

「訂婚」は日本でいう結納である。新郎とその家族が仲人を伴って新婦の家を訪れ、聘金の受け渡しや指輪の交換などを行う。一連の作法が非常に細かい部分まで定められているのだが、僕の場合は国際結婚ということで訂婚自体を省略させてもらった。

友人のための「拍婚紗」

「拍婚紗」はウェディングフォトの撮影だ。結婚式場の入り口には、製本された巨大な写真集がほぼ必ず置いてある。地元の観光名所、あるいはヨーロッパ風のお城とか雪国とか森や海辺などファンタジックな風景をバックに、ウェイディングドレスやチャイナドレス、スーツに身を包んだ新郎新婦がうっとりと2人の世界に浸っているもので、顔にもかなり修正が施されているから、新郎新婦を直接知っている人なら楽しんで見られる。赤の他人の物だったらちっとも興味をひかれないだろうけれど。このお伽噺(とぎばなし)風写真集は1970年代にはもう広まっていたらしい。そういえば台湾にはかつて若い女性層をターゲットにした、まるで自分がアイドルになったかのような写真を撮るサービスが流行していたし、「変身写真」は今もって日本人観光客に大人気だ。コスプレ熱も日本に劣らず高いのである。憧れの俳優や仮想世界のキャラクターのようになりたい、そんな自分を見てみたい、という願望は誰でも多かれ少なかれ持っているものかもしれないが、それに応えるビジネスがこのように確立しているのは台湾人の商魂の表れでもあるだろう。

(撮影:大洞 敦史)

まさか自分があの写真集を作る日が来ようとは思いもしなかった。まずは義父母に連れられて婚紗館と呼ばれる店へ行き、衣装を選ぶ。撮影場所は屋外かスタジオかの2択で、僕らはスタジオを選んだ。周囲の目を気にしなくていいし、移動が要らないので早く終わらせられるだろうと思ったから。ところが思惑に反し、僕らは当日朝8時から2時間かけてメークと髪型のセットとドレスアップをし、それから実に夜7時まで、トタン造りの倉庫の中に広がるメルヘンチックな世界の中で、陽気なカメラマンの「もっと自然な笑顔で!」とか「見つめ合って!」といった要求に従うがまま、宮廷風サロンや銀世界や壁一面のバラやカフェをバックに、蜜のように甘ったるい写真を撮られ続けたのだった。

(提供:大洞 敦史)

放心状態でスタジオから店に戻ると、ほほ笑みを浮かべた女性マネジャーが待っていて、写真集の大きさと枚数の交渉に入る。「これは一生の記念になるものですよ。将来夫婦げんかをした時などに写真集を開けば、新婚の頃を思い出して気持ちが穏やかになるものです」などとこんこんと意義を説かれながら。交渉は義父母に任せ、僕らはただ「顔の修正は入れないで」と拝むようにして頼んだ。

(提供:大洞 敦史)

「喜帖」を送って「喜餅」を手渡す

「發喜帖・喜餅」は結婚式に招待する人々に「喜帖」と呼ばれる招待状を送る際、特に新婦側の親戚・友人に限って「喜餅」と呼ばれる中華風ケーキを合わせて送る習慣を指す。数量は提親の際に新婦側が決め、費用は新郎側が負担する。相手が遠方に住んでいる場合を除き、原則的に直接相手の下を訪れて手渡ししなければならない。ある日の夜、僕と妻が喜餅を持ってバイクで友人の家に向かっている途中、無免許運転のバイクに横から追突され、救急車で病院に搬送される羽目になってしまった。運よく大事には至らなかったが。

またこれも一つの習慣で、新婦の両親が新郎に新品のスーツ一式を贈ることになっている。僕は既にスーツを持っていたので遠慮したのだが、義父母がぜひにということで、オーダーメードで作っていただき、その上ネクタイ、ネクタイピン、ベルト、革靴までひとそろい贈ってくださった。

慣例上は新郎側が負担すべき費用も時と場合による

他にも式場やプログラムを決めたり「新娘秘書」と呼ばれる美容師を雇ったり、嫁入り道具を買ったりとやるべきことは無数にあり、何事にも費用がかかる。僕はその頃、そば店「洞蕎麦」を開業するために貯金の大半を投じてしまっていたのだが、大変ありがたいことに、慣例上は僕が負担するべき費用のほぼ全てを、妻の両親が支出してくださった。

義父母は共に日本統治期に八田與一が築いた烏山頭ダムのほとりの農村地帯で生まれ育った。年中行事や冠婚葬祭を執り行うに当たっては伝統的な作法を重んじる人たちだ。一つには国際結婚であり、一つには僕と妻が儀式的なものに対してあまり積極的でなかったために、お二人にはかなり妥協をさせることになった。それにもかかわらず快く精神面・資金面の双方でバックアップしていただき、感謝の至りである。

発送前の「喜帖」(撮影:大洞 敦史)

バナー写真:「喜帖」と呼ばれる招待状(撮影 大洞 敦史)

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