台湾で根を下ろした日本人シリーズ:市井の食の伝道師——料理人・MASA(山下勝)

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山下勝 YAMASHITA Masaru

幼少期から家で絵を描いたり、粘土細工をしたり、モノを作ることが好きだった。中学生で漫画『包丁人味平』に夢中となり、料理人の兄の背中を見て、高校時代には自らも料理人になろうと決意。神奈川のレストランでの下積みを経て20歳でカナダに渡り、異なる価値観が共存する多文化社会で10年ほどもまれた。この経験が山下を人として熟成させ、後に台湾で料理人MASAとして花を咲かせる基礎となった。これまでに10冊の料理本を出版し、日本料理店のアドバイザーや料理教室の開催、ウェブメディア「MASAの料理ABC」の運営を通じて、台湾で「MASA」ブランドを確立し、「日本人イケメンシェフ」の地位を不動のものにしている。

高校時代、ほとんどの同級生が将来の目標を定められないまま、とりあえずの進学を目指す中で、早々と料理人として生きていくことを決意した山下には迷いが無かった。アルバイトはレストランの厨房(ちゅうぼう)でのキッチンヘルパー、原語で書かれたフランス料理のレシピ本を読みたい一心から、独学で料理に関するフランス料理用語も片言ではあるが習得した。高校を卒業すると、調理師免許の取得が可能な専門学校にはあえて通わず、小さなレストランの厨房に入り、シェフのそばで技を直接“盗む”道を選んだ。日本での料理修行も3、4年たつと、今度はにわかに外国への興味が湧いてきた。

「フランス料理を学んでいましたが、将来のビジネスにつながることを考えるなら、まずは英語ではないかと直感したのです。ちょうどワーキングホリデーの制度が日本でも始まったばかりだったこともあり、米語圏のカナダに的を絞り、気候にも恵まれた西海岸のバンクーバーに渡ることにしました」

バンクーバーでは、昼は語学学校やビジネススクールに通いながら、夜はレストランで厨房スタッフとして勤務に明け暮れた。2年ほどたった頃、その仕事ぶりを買われ、知人からあるレストランの経営を店長として任されることとなった。ところが、もともと自分に厳しかったという山下は、店のスタッフにも同じように厳しく接した。この頃は若くてとがっていたことに加え、日本人料理人としての意地もあり、異国にありながら日本式のやり方を貫こうとしていたと、山下は当時を振り返る。店の経営自体は安定させたものの、こうした彼の姿勢はさまざまなあつれきを生み、時にはスタッフとの対立を招くこともあった。異文化の中に身を置き、自分の生き方を模索していた時代だった。

カナダから台湾へ移り、台湾で最も知られた日本人の一人になる

カナダに移住してから10年ほどが過ぎた頃、転機が訪れる。ある日、知人から台湾の日本料理店でアドバイザーをやってみないかという話が舞い込んで来た。新たなチャレンジの機会にすぐに心は固まった。この仕事を引き受けた当初は、バンクーバーと台北を往復する生活だったが、やがて台湾にじっくりと腰を落ち着けることを決意した。2008年のことだった。台湾で暮らすようになってから、自分の心の裏に大きな変化があったことに気付く。

MASA(提供:日日幸福出版社)

「料理を志した頃の原点に立ち返ろうという自分がいたのです。自分の知識や経験をただ押し付けるのではなく、一緒に働くスタッフと同じ目線で、とにかく楽しくやろうという気持ちでした。他者に寛容な台湾という土地柄が、そのように自分を導いてくれたのかもしれません」

日本料理店の仕事は夜だけだった。自(おの)ずと昼間の時間をレシピの研究、料理写真の撮影や整理、ブログの執筆などに充てるようになっていった。そして自身の名前の一部であり、カナダ時代からのニックネームであった「MASA」をセルフブランドとし、「MASAの料理ABC」をまずはブログから立ち上げた。最初は文字媒体が主体だったが、時代とともに写真、映像へとその主体が移っていった。これに伴い、自身の料理を発表する場も、ブログ、Facebook、YouTubeと多様化していき、テレビ番組やコマーシャルの出演依頼も増えていった。

時代を先取りしたウェブメディア「MASAの料理ABC」は、現在Facebookのフォロワーが76万人、ほぼ毎週レシピを発表しているYouTubeの閲覧数も15万人を超え、山下は「日本人イケメンシェフMASA」として、台湾で最も広く知られる日本人の一人となった。

後世に残る仕事をしたい。だから書籍の出版にもこだわる

一方、山下はこれまでに10冊ものレシピ本を出版している。1年に1冊以上のハイペースだ。台湾の書店の料理書籍コーナーには、MASAの名前の入った料理本の背表紙がずらっと並んでいる。ウェブメディアと書籍の出版は、MASAの料理を広める手段の両輪となっている。しかし、これだけ精力的に出版にこだわる理由は何だろうか。

MASA(提供:日日幸福出版社)

「優れたレシピ本は、50年、100年たっても色あせないものです。ウェブメディアは瞬時の拡散性には優れていますが、やがて多くの情報の中に埋没しやすいという側面もあります。自分は後世に残る仕事をしたいのです。流行を追うのではなく、自分からトレンドを創り出して引っ張っていこうという思いでいます」

はやり廃りの激しい台湾では、むしろ長い目で物事を見ることが肝要であると山下は感じている。自分の直観を信じて次の一手を打ち、何年後かに振り返った時に、その時の一手の意味が分かるような仕事をしたいと彼は言う。

ところで、山下はレストランの厨房で包丁を振るうことは、以前ほど多くはない。彼が仕事場として立つのは、ほとんどが自身のスタジオだ。レシピの研究・開発も「MASAの料理ABC」の撮影も、すべてこのスタジオで行われている。しかも、レシピの決定、食材の購入はもちろん、撮影から編集、動画のアップまでをすべて自分一人でこなしている。では、料理人「MASA」として、山下はいったいどんなメッセージを自分のファンに伝えようとしているのだろう。

「料理することはつらい、面倒だと思っている方に、自分が料理する姿を通じて、実際手を動かしてみれば、実は結構楽しいということが伝わったらうれしいですね。料理はその人の創作表現の一つの手段であり、ストレス解消にも役立つのです」

山下の料理は、食材に対して小難しいこだわりは持ち過ぎないように心掛け、台湾で普通に市民が入手できるものが基本となっている。作り手にとっての敷居が初めから低く設定されているのだ。そして、彼が紹介するメニューも日本の家庭で日常的に食卓を彩る和洋折衷の総菜類が中心となっている。台湾の人々の関心、親しみやすさに十分配慮されているのが特徴だ。これならば自分にもできるかもしれない、作ってみようという気にさせる工夫が随所に見受けられる。

レストランで食事ができる人は、どうしても数に限りがある。より多くの人々に料理の楽しさを知ってもらうためには、料理人として自分の培って来た知識や経験をレシピにまとめ、料理を作る感動をより多くの人々と分かち合うことなのではなかろうか。そうした思いが、山下の料理人としての現在の特殊な立ち位置を育んできた。実際に厨房に立ち、自分で料理を作る一人一人こそが本当の主役であると山下は言い切る。料理人「MASA」とは、市井の人々に料理する楽しみや感動、幸せを伝える「食の伝道師」なのだ。

料理に国境なし。その土地の風土に合わせて現地化されるもの

話は変わるが、台湾は歴史的背景も手伝って、日本料理は幅広く受け入れられている。ちまたの日本料理店の数も非常に多い。しかしながら、その多くは台湾式の日本料理と呼ばれるもので、味付けや盛り付けも、本場の日本のものとは異なる場合もある。そのことに話を向けると、山下からこんな答えが返ってきた。

「そもそも料理には国境がありません。自分自身も元はフランス料理を作る日本人ですし、自分の作るフランス料理には当然ながら和の要素が入ります。伝統は大切ですが、その国の土壌で独自に育まれるものがあっても良いのです」

例えば日本の「洋食」はその典型で、フレンチやイタリアンをベースにしつつも、繰り返し改良され、継承され、既に日本の食文化の立派な一つのジャンルになっている。したがって、大判焼きに切り干し大根を詰めたり、たこ焼きにわさびソースを塗ったりする台湾スタイルも大いにありなのだ。食文化は常にお互いに影響を与え合い、混成し、その土地の風土に合わせて現地化していく。

MASA(日日幸福出版社)

「不言実行」で世界の華人社会に自分の料理を届ける

自分に厳しい山下は、実は自分の出した結果に満足することは1日たりとも無く、毎日が挫折の連続だとも明かしてくれた。一つのところにとどまり続けると不安を覚えるとも言う。しかし、自分はまだまだと思うことによって、結果として進化できるとも述べてくれた。では、今後の山下はどこに向かって進化しようとしているのだろう。

MASA(日日幸福出版社)

「自分の料理の紹介の手段も文字から写真、写真から映像へと変遷していきました。語学もカナダで英語を学んだ後は、台湾で中国語を独学で身に付けました。今後は、中国語と英語を併用しながらウェブメディアを展開し、シンガーポールやマレーシアをはじめ、世界各地に広がる華人社会をきっかけに、自分の料理が浸透していくことをイメージしています」

最後に尊敬する料理人と座右の銘、そして山下自身が一番好きな料理を尋ねると、即座に「尊敬する料理人は兄です」との答えが返ってきた。山下の兄は最も身近な料理人として、料理の道を歩むきっかけを与えてくれたその人だ。山下の兄は、現在は奈良県でコロッケ店を営み、毎日厨房に立っている。座右の銘は「不言実行」。あれこれいう前にまずは行動し、それが形になった時にその意味は後から分かってもらえればいい。山下の料理人生が濃縮された一言だ。そして、1番好きな料理は「照り焼きチキン」。あくまでも彼は市井の目線に立った料理人である。

バナー写真=MASA(提供:日日幸福出版社)

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