SNS

最新記事

ニュース

More

漫画の側面から日台交流に貢献してきた蔡焜霖氏

酒井 亨【Profile】

[2018.05.27]

「愛日家」として知られ昨年7月に亡くなった蔡焜燦氏には、政治犯として投獄されたことがある実弟・蔡焜霖氏がいる。焜霖氏もまた「愛日家」であり、焜燦氏とはまた別の形で日台交流に大きく貢献してきた。

焜霖氏はこれまで台湾でも日本国内でも「元政治犯」の文脈で紹介されてきた。しかし彼はもう一つ別の顔がある。それは台湾における日本大衆文化受容の基礎を作った人物としてだ。彼はかつて日本の漫画を台湾にせっせと紹介してきたが、それが今日、台湾の若者層における日本の漫画やアニメの浸透につながり、台湾の若者層における「親日」要因の一つを形づくった、と言える。

幼少期の体験がきっかけに

筆者がそれを知ったのは、台湾の漫画史を紹介するある展覧会でのことだった。彼とは人権イベントなどの場で何度かお会いしたことがある筆者は、「あの焜燦氏の弟は、実は漫画受容史においても重要人物だったのか」と驚嘆した。

焜霖氏は1930年、台湾中部の台中州大甲郡清水街、現在の台中市清水区に生まれた。現在87歳である【編注:1930年12月18日生まれ】。焜燦氏の3つ年下に当たる。幼い頃から本が好きで、日本統治時代の当時は日本内地の『少年倶楽部』や講談社の絵本などを読んでいた。そこで日本の漫画や絵本に親しんでいた経験が、後に日本の漫画や絵本を台湾に紹介するきっかけになった。

旧制台中州立第一中学校(台中一中)在学中に終戦。新制で高校卒業後、地元の役人になったが、高校時代に参加していた読書会が「共産党外郭団体」と認定されたため、突然逮捕された。ひどい拷問を受け生命の危険を感じつつ、10年間を緑島などの監獄で過ごす。

1960年の釈放後も、「元政治犯」であり30歳だったこともあって就職が困難に。仕事は文化関係しかなく、どうにか金融業界紙「金融徴信新聞」に入った。

その頃日本の漫画が浸透し始め、争うように海賊版が出た。そこで日本統治時代に培った日本語力を生かして「宝石」という名前の出版社に入り、出来高払いの翻訳に従事した。中国語の作文能力は監獄時代に身に付けた。

すぐに東方出版社の児童雑誌『東方少年』から声が掛かった。途中仕事を辞めて淡水文理専門学校(今の淡江大学)フランス語科に入ったが、日本の漫画に影響されて台湾でも若手漫画家が登場したので東方出版社で若手漫画家の育成に取り組むようになった。

当時は出版物の輸入規制が厳しく、国民党政権にとって「敵国」だった日本から雑誌の輸入があまり認められなかった。しかし「文化振興のため」と理由を付けて『少年ジャンプ』などの漫画雑誌の輸入にこぎ着け、せっせと翻訳した。

この記事につけられたタグ:
  • [2018.05.27]

公立小松大学国際文化交流学部准教授。1966生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。台湾大学法学研究科修士課程修了。アジアの政治、経済、文化に関する研究に加え、近年は日本のアニメ文化とその影響力について調査している。著書に『アニメが地方を救う! ? - 聖地巡礼の経済効果を考える -』(ワニブックスPLUS新書、2016年)がある。

関連記事
その他のコラム

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • ニッポンドットコム・メディア塾 —ジャーナリストを志す皆さんに
  • シンポジウム報告