台湾の若者で「注音符号」が愛されているわけ

文化

20代の若者に根強い愛着

今、台湾の若者の間で「注音符号」への愛着がかつてないほど高まっているという。

2018年3月8日、民進党の台南市長予備選の世論調査で、注音符号廃止を訴えた葉宜津立法委員(代議士)が支持率で最低となり、自身のフェイスブックが注音符号で書かれたコメントで荒らされたことが現地ニュースで話題になった。

注音符号とは、清朝末期から漢字の発音を記す方法として検討開発していたものを、中華民国が1918年に「国音字母」として公布し、最終的に名称が注音符号となったものだ。その基本構造は、漢字の一部、あるいは全部を使った37文字からなる。

中華民国が台湾に移った以降、現在でも台湾人の初等教育の場や外国人の中国語学習の場で、日本の「仮名」と同じような状況下で学ばれている。日本人学習者の間では、俗に「ボポモフォ」と呼ばれている。

一方、中華人民共和国が成立し、標準語を再整備した「普通話」の中国では、発音記号にローマ字表記による「ピンイン」が用いられ、注音符号は使われなくなった。現在、一般の中国人で注音符号の読み書きができる人はほとんどなく、辞書の発音の記述で目にするくらいだ。

台湾における中国語の「国語」と中国における中国語の「普通話」の目に見える最大の違いは、台湾の繁体字と中国の簡体字という漢字の字体と共に、発音記号で注音符号を用いるかどうかにあるとも言える。

しかし、注音符号はあくまでも発音記号であり、日本語の「仮名」のように、文献やメディアなどの書物で漢字と混ぜて書かれることはほとんどない。台湾の街中の看板で目にする確率は、おそらく日本語の「の」の字よりも少ないのではないだろうか。ちなみにこの「の」は同じように使用される助詞の「的」が置き換えられたもので、台湾人の間で最も知られた日本語の文字、「仮名」である。

ところが、2000年以降、台湾本土化の流れが加速する中で、特にポスト民主化世代の20代の若者の間で、注音符号は単に発音記号としての枠組みを超えた存在になっているようだ。

独特のニュアンスが魅力に

台湾本位の考えが進む中で、言ってみれば中国由来であり、キーボード入力では「仮名入力」のようにローマ字入力以外にもう一つ入力法を覚える必要がある注音符号をいちいち学習するのは面倒だと考える台湾人は、特に戒厳令下に生まれ育った現在の中年層に見られる。彼らにとって注音符号はあくまでも発音記号でしかなく、時に上述の葉立法委員のように注音符号の廃止を訴えたりする。民主化以降の台湾で、注音符号は中国由来の過去の産物の一つとして使用停止や廃止が何度か検討されたが、そのたびにいつも台湾社会で物議を醸してきた。

一方、ポスト戒厳令世代の状況はどうだろうか。台湾の20代の若者になぜ注音符号に愛着を感じるのか聞いたところ、「単に小さい頃から使っているからではない、日本語の“の”も注音符号の“ㄉ”も“かわいい”や“柔らかい”ニュアンスがあって思わず使ってみたくなるのだ。しかし、皆が日本語の“仮名”を全部知っているとは限らない。でも注音符号なら誰もが知っている。だから使いやすい」と語っていた。

アイデンティティーのアイコンとして定着

注音符号への愛着は、当初の表現方法の一つから、アイデンティティーという要素が注入され、いつの頃か若者の間で中国とは違う台湾の象徴の一つと捉えられるようになった。

言葉や文字は自分たちと他民族や他国家とを区別する最も分かりやすいものだが、現在の台湾人が台湾ナショナリズムを主張する際、そこには台湾の国語と中国の普通話の違いはどこにあるのかという問題に直面する。台湾には従来使用されてきた閩南語などをベースにした台湾語があるが、北京語ベースの国語が普及した現在、台湾語を読み書きまで自在に操れる人は、戒厳令下では公の使用を禁止したこともあって、台湾北部の都市部を中心に一時減少してしまった。現在、学校で台湾語教育が進められているが、台湾語がただちに唯一の国語になるのは難しい。

一方、国語と普通話の目に見える違いについては、漢字の字体で旧字体(繁体字)を使用していること、そして注音符号を使用していることがある。そのため、台湾人が注音符号という身近なところにアイデンティティーを見出すのは理解できる。生まれながらにして台湾は中国とは別であると認識している「天然独」と呼ばれる若者世代にとって、注音符号がもはや発音記号という本来の意味を超えて、アイデンティティーのアイコンになっていることには留意しておきたい。

台湾社会の多様性を表す試金石に

しかし、注音符号がこれから漢字に取って代わって国字として台湾社会の中で地位を築くのかと言えば、それは難しいと言わざるを得ない。

まず、注音符号は漢字の一部、あるいは全部で音を表記するのに特化した文字のため、一字でさまざまな意味を含む漢字と違い、そこに含まれる情報量は圧倒的に少ない。そのため文章は長尺化し、それまで漢字の短尺化に慣れ親しんだ人々にとって、読み書きの点でかなりの負担になる。また、例えば文章の全てを「仮名」で表記するように、全てを注音符号で表記すれば、漢字に慣れ親しんだ社会ではとにかく読みにくいと感じ、情報伝達の面で混乱が生じることは容易に想像できる。

次に、「の」を表現方法の一つとして長らく用いてきた台湾人の表現感覚から考えた際、一つの文字(漢字)による表現方法よりも多少、ローマ字や「仮名」が入った混ぜ書きの方がカッコ良く感じるようだ。しかし、これらはあくまでも表現方法の手段であって、他の文字に完全に乗り換えるということではない。日本で、平仮名、片仮名、漢字、ローマ字などを一つの文章内で用いるように、台湾でも、漢字、ローマ字、「仮名」と共に、注音符号が正式に列に加わったと見るべきである。

また、日本で漢字使用の全廃(あるいはローマ字への完全な乗り換え)が提唱はされても実際にはそうならなかったように、台湾でも漢字使用の全廃はないと考えられる。文字は情報伝達における機能がまず優先され、それを満足した上で、美しさを求めるステージに入る。漢字は注音符号に比べバラエティーに富んでおり、美しさでもかなうものではない。今後、注音符号がもっと広範に使用されることはあっても、文章の根幹を成す漢字がなくなることは考えられない。

もう一つ、一般的に「台湾華語」と呼ばれる台湾発の外国人向け中国語教育で注音符号を堅持することは、ローマ字の「ピンイン」で発音を学ぶ中国発の中国語より負担が多いことを意味する。注音符号は、いくら100年の歴史があって発音を正しく表記できるとは言え、外国人学習者や台湾華語の国際化にとって、必ずしも有益とは言えない。

では、注音符号重視の流れはどこまで広がるのだろうか。

台湾アイデンティティーを重視する若者の間で注音符号が愛着を持って使用されている現在の状況から考えると、今後、この世代が台湾社会の中枢になる頃には、社会で注音符号を目にする機会はもっと増えるのかもしれない。また、台湾社会が新移民に代表される他民族や彼らの言葉をどんどん受け入れている中で、多様化の度合いはますます加速している。

台湾の若者の注音符号への愛着とそこにある思いは、台湾アイデンティティーだけの問題にとどまらず、台湾社会の多様性を表したものとして、今後も注目していきたい。

文=nippon.com編集部 高橋 郁文

バナー写真=「注音符号」が振られた新聞や書籍で「台湾華語」を学ぶ(撮影:高橋郁文)

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