金石堂城中店の閉店に思う

文化

2018年4月も終わりに近づいた頃、一つのニュースが話題となった。

「金石堂城中店6月底熄燈」(金石堂城中店、6月末に閉店)

この台北市で長い歴史を持つ書店が閉店するニュースが正式に発表された後、多くの人からフェイスブックなどでリアクションがあった。「子供の頃から何度も通った店が無くなるのは本当に寂しい」とか、「ここで昔、よくデートの待ち合わせをしました。当時のことを思い出します」など。それぞれに、店に対する思いを語っていた。

翌日からディスカウントセールが始まった。新刊を除いて6冊500元。山のような本が2階と3階のフロアいっぱいに積まれ、それを求めて、大勢の人が来店、何冊もの本を抱えて買い物を続けていた。レジは長蛇の列で、階段はすれ違うのも苦労するほどの混みようだ。中には最後に一目だけでも金石堂城中店の姿を目に焼き付けておこうと、遠く花蓮や高雄から来たという人もいた。

閉店が決まったあとの金石堂城中店店内の様子(撮影:木下 諄一)

目の前のそんな光景を眺めながら、僕は重慶南路書店街の最後の砦(とりで)が陥落したような、どことなく寂しい気分に浸っていた。

日本統治時代に始まった書店街としての歴史

重慶南路に書店街が誕生したのははるか日本の統治時代にまでさかのぼる。

1915年、台湾総督府が小中学校の教科書を出版する台湾書籍の店舗をここに設けたことが始まりだ。当時台湾で最大規模の書店、赤レンガのバロック建築が美しい新高堂が栄町通(現衡陽路)との交差点にオープン、日本から取り寄せた書籍や雑誌、地図などの販売を開始した。その後、新起町(現漢中街、長沙街付近)に全部で9店、栄町通や本町通にも文明堂などの大型書店が次々とオープンした。これによって、地域全体に文化的な空気と、台湾人の間に本を読む習慣が生まれた。

45年、終戦を迎えて日本人が引き揚げると、今度は中国から渡ってきた国民党政府と上海系の中国人がここの新たな主人となる。

台湾書籍は台湾書店、新高堂は東方出版社にそれぞれ名前を変え、日本語ではなく中国語の教科書や書籍を上海から取り寄せて販売した。有名な商務印書館ができたのもこの時代で、前身は日本の太陽号書店だ。こうした流れの中で、台湾の知識人たちはこれまで読むことがなかった中国の本を新鮮に感じながら、競ってそれらを読み始めた。

50年から80年にかけて重慶南路書店街は全盛期を迎える。

台湾の政局と経済が安定したことで人々は知識を渇望した。出版社も雨後のタケノコのごとく誕生し、60年代には『西部戦線異状なし』『風と共に去りぬ』『戦争と平和』といった世界の名作が翻訳出版されただけでなく、台湾独自の文学作品も多数生まれた。70年代になると、書店は本の輸入販売から独自に出版業務も行うようになり、大きく形態を変えたのだった。

金石堂城中店が誕生したのは85年のことだ。場所は総統府のすぐ近く、衡陽路との交差点で、東方出版社の向かい側という重慶南路最高のスポットだった。3階建てで、日本統治時代には西洋料理レストランやカメラ器材の店として使用され、今では二級古跡に指定されている。当地のランドマーク的存在でもあった。

重慶南路の書店街が目に見えて衰退を始めたのは、90年代の半ばを過ぎてからのことだ。ちょうどそのころMRT(台北メトロ)が完成し、台北市内のどこにでも簡単にアクセスできるようになったことで、繁華街の地図が塗り替えられ、重慶南路へ足を運ぶ人は大幅に減った。さらにインターネットの普及で、人々の消費形態に変化が見え始めたことも衰退に拍車を掛けた。全盛期は100軒以上がひしめき合っていた書店も、今ではわずか10数店にまで減ってしまった。

近年相次ぐ書店閉店のニュース

「金石堂は2000年、ネットによる販売をスタートさせて台湾で初めてのリアル書店とオンライン書店を併設する書店となりましたが、それ以来、その両方の良さが相乗効果を生むことを期待した『虚実統合』ビジネスを進めてきました。さらに書籍だけでなく、カフェやイベント会場など多目的空間を設け、読者に交流の場を提供することにも力を入れてきました」

金石堂業務本部の汪信次協理はこう述べて、環境が目まぐるしく変化する中、常に新しい取り組みに挑戦し、時代の先頭を行く書店づくりを心掛けてきたことを強調する。

作家たちのサインが書かれたイベント会場の壁(撮影:木下 諄一)

しかし、不動産契約の延長はされなかった。重慶南路のかつての有名書店が次々とホテルに変わっていることから、金石堂までもホテルになるのかという噂が一部で飛び交った。

どうして金石堂は閉店せざるを得なかったのだろうか。

ある人は「今の時代、多くの人は本をネットで買っているから」と、原因は消費形態の変化にあるという。確かにネットは便利だし、リアル書店より値段も安い。

しかし、ネットショップの売り上げを見ると、驚くことに大手でさえ大幅に落ち込んでいる。

考えられるのは、本を読む人が減ったということだ。台湾で書籍の売上は2012年に352億元(1元約3.6円)だったのが、わずか5年後には182億元と約半減している。一方、不動産賃貸料の上昇率は毎年平均で約5%。これではどう考えても経営難に陥る。

それを証明するかのように、ここ2、3年、台湾中で誠品書局、ジュンク堂書店、明儀倉庫書店、諾貝爾書城といった有名チェーン店の支店や淡水有河Book、天母書廬、大路書屋などの独立型書店が次々と閉店している。この原稿を書いている間にも、僕が以前よく通った旅人書房 Zeelandia Travel & Books閉店のニュースが飛び込んできた。一体どうなっているのか。

活字離れの原因はSNSやゲームなどの普及

活字離れは、今に始まったことではない。

僕が台湾で最初の書籍『蒲公英之絮』を出版した2011年、何人かの新聞社や出版社の編集担当から「あと10年早かったら良かったのにね」と言われた。そのときはこの意味がよく分からなかったが、後になって思うと、既に「本の売れない時代」が始まっていたということだ。出版社はどこも初版部数を低めに抑え、それでもなかなか再版がかからない。まだ読者を獲得していない新人にとっては苦しい時代になっていたのだ。

本を読まなくなった原因は、Lineやフェイスブック、ゲームなど人々に強く印象を残すもの、分かりやすく言えば多くの人が「もっと面白い」と感じるものが、世の中にいくつも登場したからだ。これらは概して速くて軽い。さらにいえば刺激的で、お金もかからない(実際には通信料がかかっているが、実感がない)。

世の中が便利になるにつれて、人々が本からそれらに移っていくのは、自然な流れかもしれない。労力のかかる趣味の読書は、一層敬遠されてしまう。しまいには年間読書数ゼロという人が増え、活字離れが急速に進んでいく。

一方で、それを反映するかのようにインスタグラムやYouTubeなど、画像や映像といったビジュアルで訴えるものは爆発的な人気を得ている。文字を書くことを職業としている僕からすると、何とも寂しい限りだが、それでもこうした現象を認めないわけにはいかない。

読書で広がる世界に期待

活字離れは今後も容赦なく進むと思う。ある日、新聞も雑誌も、そればかりかネットニュースでさえ消滅して映像に変わったとしても、僕は驚かない。ただ、この世から本がなくなることはないと思う。なぜなら、本には他では絶対に表現できないものがあるからだ。それは文字の向こう側に広がる世界。限りない想像の翼を羽ばたかせて、それをつかまえる楽しみだ。

今、時代が変わろうとしている。

金石堂城中店の閉店を知った日、僕の頭の中ではさまざまな思いが駆け巡った。

バナー写真=金石堂城中店(撮影:木下 諄一)

台湾 出版 文学 書店