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『ピンポン外交官』と呼ばれた男の“遺言”

城島 充【Profile】

[2018.06.11]

半世紀以上前、卓球で世界を制し、その小さな球を通じて敗戦復興過程にある日本と欧米、中国をつなぎ、分断されていた南北朝鮮統一チームを実現させた小柄な男がいた。荻村伊智朗、「ピンポン外交官」と呼ばれた卓球界の巨星の足取りを振り返る。

今年5月に第54回世界卓球選手権が開催されたスウェーデンで、大会前に日本とスウェーデンの外交150年を祝う友好試合が行われた。両国の代表選手たちがラリーを交換した最も大きな目的は、一人の偉大な日本人の功績をたたえることにあったのかもしれない。会場に掲げられたタイトルパネルには『ICHIRO OGIMURA・Memorial』という文字が刻まれていた。

荻村伊智朗 写真提供:ITS三鷹卓球クラブ

荻村伊智朗といえば、21歳の時に初めて出場した1954年の第21回世界卓球選手権・英ウェンブリー大会で男子シングルスと男子団体を制したのを皮切りに、各種目あわせて計12個の世界タイトルを獲得、現役引退後は指導者としての才覚も発揮し、87年からは第3代国際卓球連盟(ITTF)会長を務めた。その卓越した知識と行動力で「ミスター・卓球」あるいは「ピンポン外交官」とも称され、94年12月に62歳で亡くなるまで世界中を飛び回った。

そんな彼の名が、極東の島国から遠く離れた北欧の地で今も語り継がれているのには、もちろん理由がある。

荻村が初めてスウェーデンを訪れたのは59年12月、卓球ニッポンを支えるエースをスウェーデンの卓球協会が指導者として迎えたのだ。日本卓球協会は「われわれが長年かけて積み上げてきた技術を他の国に教えることはない」と反発したが、荻村は「もし、彼らが強くなっても、僕らがさらに努力して倒せばいい」と言い残して日本を離れた。

ストックホルム郊外の小さな町で開催された最初の荻村合宿には、代表レベルの選手たち十数人が集められた。荻村は自身がそうしたように、ウオーミングアップの体操を入念に繰り返したのだが、選手たちから不満の声があがった。「俺たちは体操を習いに来たのではない」と。地元紙も「オギムラがわれわれに本当の技術を教えても、彼には一つもメリットがない」と批判的な論陣を張るなか、1人、2人と練習場から姿を消し、最後は最年少のハンス・アルセアという17歳の少年だけが残った。

その指導力が認められたのは、半年間かけて各地の卓球クラブを回った荻村が帰国した後、たった1人で厳しい練習に耐えた童顔の少年がスウェーデン国内の大会でベテラン選手たちを破って優勝したときである。その快挙に、多くの選手から「オギの合宿に参加したい」という声があがった。

こうした反応を受け、荻村は練習拠点にしていた東京・吉祥寺の武蔵野卓球場にスウェーデンの選手たちを招いた。1971年の世界選手権名古屋大会で母国に初の男子シングルスのタイトルをもたらしたステラン・ベンクソンもそのうちの1人である。荻村の熱心な指導は、後にヨルゲン・パーソンやヤン=オベ・ワルドナーといった卓球史に名を刻むスーパースターを同国が輩出する礎になったのである。

彼が国の壁を越えてその技術を多くの後輩たちに伝えようとした背景には、どんな思いがあったのか。

2018年5月第54回世界卓球選手権スウェーデン大会女子決勝、日本・平野美宇選手が中国選手と対戦(千葉格/アフロ)

反日感情を受け止め、紡がれた信念

荻村が卓球と出会ったのは日本が敗戦から3度目の春を迎えた1948年4月、都立西高に入学したときである。やせぎすの少年は周囲から「荻村は卓球にとりつかれている」と揶揄(やゆ)されるほどこの競技に夢中になった。体育館で卓球部の仲間とボールを打ち合ったあと、武蔵野卓球場で日付が変わるまでラケットを振り続け、卓球を始めてわずか5年あまりで世界の頂点に立ったのだ。

世界選手権でプレーをする荻村伊智朗 写真提供:ITS三鷹卓球クラブ

だが、初めて日の丸を背負って戦った異国の地で彼が味わったのは、愛国心の高揚や歓喜ではなかった。

反日感情の強かった英国の観客は、日本人の小さな背中に激しいブーイングを浴びせ続けた。ウオーミングアップ中に体育館の照明を落とされたこともある。街のレストランや理髪店でも入店を拒否された。優勝杯を手に帰国した荻村は、彼を支え続けた武蔵野卓球場の女性場主、上原久枝にこんな心情を語っている。

「日本人って、僕らが思っているより、外国の人から嫌われているんだよ。どうしてなんだろう……」

こうした若き日の葛藤が、荻村の視線を世界に向けさせ、彼の生涯を貫く信念につながったのかもしれない。小さなピンポン球によるラリーは、過去のあつれきや国境、民族の壁を越えることができる――と。

卓球界の頂点に長く君臨する中国も、そんな荻村の影響を受けた。

「日本人が敗戦後のどん底から自信を取り戻したのは、あなたたちが活躍した卓球だった。同じような体格の日本人が成功した種目で徹底的に鍛えれば、われわれ中国人も成功できるかもしれない。だから、荻村さん、あなたの経験と力で卓球の素晴らしさをこの国の人民に伝えてほしい」

荻村伊智朗(左)と荘則棟 写真提供:ITS三鷹卓球クラブ

1962年の春、荻村にそう懇願したのは、当時の周恩来首相である。すでに中国は前年の世界選手権北京大会の男子団体決勝で日本の6連覇を阻止するほどの力をつけていたが、中国の国民的英雄で3度も世界チャンピオンの座に就いた荘則棟は「荻村さんの技術、考え方のすべてが、私たちにとって最高の教科書だった」と述懐している。

中国との太いパイプは、愛弟子のベンクソンが世界の頂点に立った71年の世界選手権名古屋大会で予期せぬ成果を生むことになる。

文化大革命の影響で67年以降国際社会から孤立し、卓球の世界選手権も2大会続けて不参加だった中国に対し、荻村は名古屋大会出場を国際舞台復帰のきっかけにするよう水面下で働きかけた。当時の荻村は日本卓球協会から離れていたが、広州で開催された交易会に商社マンとして参加、かつての人脈をたどって周恩来首相と再会し、名古屋大会への参加を直訴したのだ。

こうした努力の結果、大会に参加した中国の荘則棟と米国のグレン・コーワン選手との間に交流が生まれ、翌72年2月の歴史的なニクソン米大統領の訪中、9月の日中国交正常化につながっていったのである。

スポーツ側にいる人間の力量とは

アジア人として初めて欧州発祥競技の国際競技連盟のトップに立った荻村が最も傾注したのは、朝鮮戦争で分断された二つの国をスポーツで一つにすることだった。

「もし、終戦後のヤルタ会談で日本の分断が決まっていたら、当時、中学1年生だった私も何とか日本を一つにしようとがんばったはずです」と、荻村は当時のインタビューでその理由を語っている。

最大のチャンスを1991年に千葉で開催される世界選手権に求めた荻村は、韓国に20回、北朝鮮にも15回足を運び、統一チーム結成を訴え続けた。両国の関係者による南北スポーツ会談が合宿地を巡って紛糾すると、すぐに日本の自治体関係者に連絡をとり、長野、長岡、千葉の3カ所で合同合宿をするプランを提示した。ITTFの理事会にも議題をあげ、他の国の承認を得たうえで統一チーム「コリア」の世界選手権参加を実現させたのだ。

「大会前日までは最大限の優遇をします。でも、大会が始まれば、一切優遇しませんから」

開幕の直前、荻村が南北統一チームの選手たちに伝えたのは、スポーツマンとしての矜持(きょうじ)である。そして史上初の「統一コリア」は、女子団体戦決勝で9連覇を目指した中国をくだし、世界の頂点に立ったのだ。朝鮮民族の唄「アリラン」の大合唱のなか、朝鮮半島を青く染めた統一旗がセンターポールに掲げられた光景は、“荻村流ピンポン外交”のハイライトシーンでもあった。

1991年世界卓球・女子団体決勝で中国を下し、南北朝鮮統一チームが優勝。青い朝鮮半島を描いた統一旗がセンターポールに上がる。(千葉・幕張メッセ)(時事)

それから四半世紀あまりの歳月が流れた今回の世界選手権では、女子の決勝トーナメント準々決勝で戦う予定だった韓国と北朝鮮が、急きょ南北合同チームを結成した。直前の南北首脳会談での「板門店宣言」(2018年4月27日)に国際競技への共同出場も盛り込まれてはいたが、大会規定とスポーツの公平性を放棄したITTFの対応はあまりに拙速で理不尽であり、スポーツが政治に飲み込まれた印象はぬぐえない。

91年の統一コリア結成の際、荻村はスポーツと政治の関係についてこう語っている。

「スポーツに求められるのは、政治からの自立です」

荻村は生涯を通じてそう訴え続けた。「スポーツが政治を動かすことはできない。でも、スポーツの本質を曲げずに、政治が歩み寄りやすい場を設定することはできる。それがスポーツ側にいる人間の力量です」と。

ICHIRO OGIMURAの名が刻まれた北欧の地で、スポーツと政治の関係を見つめ直す機会が生まれたのは、単なる偶然とは思えない。

バナー写真=70年代の荘則棟 (前列左)、荻村伊智朗(前列中央)、木村興治(前列左)写真提供:ITS三鷹卓球クラブ

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  • [2018.06.11]

1966年、滋賀生まれ。関西大学文学部卒業。産経新聞社会部記者時代に連載企画『失われた命』でアップジョン医学記事賞、『武蔵野のローレライ』でNumberスポーツノンフィクション新人賞を受賞。現在はフリーランスとして執筆活動を続けている。主な著書に『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『ピンポンさん』(角川文庫)。児童書に『にいちゃんのランドセル』『がんばれピンポンガールズ!平野美宇と伊藤美誠』(いずれも講談社)など。(写真提供=森 清)

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