元外交官が明かす天皇陛下海外訪問の意味——池田維・霞山会理事長に聞く

政治・外交

池田 維 IKEDA Tadashi

一般財団法人霞山会理事長、立命館大学客員教授。1939年生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省に入り、中国課長、アジア局長、官房長、オランダ大使、ブラジル大使などを歴任。2005年から08年まで日本台湾交流協会台北事務所代表を務めた。著書に『激動のアジア外交とともに―外交官の証言』 (中央公論新社、2016年)などがある。

天皇陛下は2019年4月30日、その30年を超える在位期間を終え、退位の日を迎える。この間、皇后陛下と共に海外を訪れた回数は19回に達する。本来は親善・交流を趣旨とする天皇陛下の海外訪問だが、その訪問先の多くは、日本の戦後処理や戦争責任、戦没者の追悼といった「戦前」に関わる場所も多かった。天皇陛下がその身を削るように海外に訪れたのはなぜなのか。オランダ大使や外務省アジア局長として天皇陛下の海外訪問に深く関わった池田維・霞山会理事長に「皇室外交」の舞台裏を聞いた。

戦前の清算の意味を持つ「ABCD」4カ国訪問

野嶋

 天皇陛下の1992年の中国訪問の時、池田さんは外務省アジア局長の任にありました。その後、駐オランダ大使として天皇陛下の初のオランダ訪問にも関わっています。中国とオランダという第二次大戦で日本が戦った2つの国への訪問は特別な意義があったと思われます。

池田

 天皇陛下は多くの国を訪れていますが、戦前の清算という意味で、中国とオランダは重要な国だったと思います。日本が第二次大戦で戦った相手は一般に言われるように「ABCD」でした。Aのアメリカ、Bのイギリスは、昭和天皇が公式訪問を行っています。Cの中国とDのオランダには、昭和天皇は公式訪問を行っておらず、天皇陛下の代に残された形になっていました。

野嶋

 天皇陛下の中国訪問は、当時から今日に至るまで、賛否両論いろいろな議論が出ています。98年の江沢民(こう・たくみん)・中国国家主席の訪日での宮中晩餐(ばんさん)会では、江沢民主席が声高に歴史問題を取り上げて日本を批判し、日本側に大きな衝撃を与えました。

池田

 実は、2000年のオランダ訪問最終日の朝、天皇陛下が私に対して「池田さんは、中国訪問の時はいろいろ働いてくれましたね。(私の)中国訪問は、良かったと思いますか」と尋ねられました。天皇陛下から、そのような質問があることは大変珍しいことです。

私は「行っていただいたことは良かったと思います。当時の宮沢内閣の決定でした」とお答えしました。この会話は、ずっと胸の中に秘めていましたが、平成の時代が間もなく終わるいま、訪中から20数年間を経過しており、公に知ってもらってもいいことではないかと思って語るようにしています。あの宮中晩餐会のこともあり、そういう陛下のご質問になったのではないかと思いました。

野嶋

 1992年当時、中国の外相だった銭其琛(せん・きしん)氏が著書の中で、天安門事件後の対中制裁の包囲網を打破するために、天皇陛下の訪中を利用したと受け取れるような記述を、自身の回顧録(2003年出版)の中で書いていますね。

池田

 しかし、当時は欧米諸国に天皇訪中が良くないという意見はなく、当時の日本の雰囲気でも、治安への不安を議論はしても、訪問の意義自体を否定する意見はなかったように思います。もともと天皇陛下の訪中は、中国政府からの長年の要請があって実現したものです。銭其琛氏の発言は確かに不適切で外交上非礼であり、私自身それを知った時、憤りを感じました。もちろん、中国の中にも陛下の訪中についてはいろいろな評価があったのでしょう。ただ、中国にも最近注目すべき動きがありました。天皇陛下の退位に絡んだ質問で、外交部報道官から天皇訪中について「中日関係発展のために積極的な貢献をされた」という発言がありました。これまで総括的に中国がこの件にコメントしたことはなく、天皇退位に当たり、中国は公式な立場として天皇訪中についてその歴史的な意義を認める結論を定めたのでしょう。

ご訪問がオランダの反日ムードを変えた

野嶋

 一方、オランダへの訪問も、一つの時代を区切るという意味で、大きな効果を生んだようです。オランダは300年以上にわたりインドネシアを植民地としてきましたが、4万人の兵士と9万人の民間人がインドネシアで戦争捕虜となっており、慰安婦として働かされたと主張する女性たちもいました。かなり、下準備というか、オランダ世論への対応に苦労されたのではないですか。

撮影:高橋 郁文

池田

 私の場合、外交官としての在外勤務は台湾、香港を含めて7つの国と地域がありました。通常は3年ぐらいの任期ですが、オランダには5年勤務しました。そのうち、4年ほどは天皇訪蘭の準備を心掛けている時間でした。2000年はオランダと日本の交流400年に当たります。西暦1600年にオランダの帆船「リーフデ号」が大分県に漂着して以来です。オランダは江戸の鎖国時代にも長崎の出島で通商ができた欧州の唯一の国です。

日蘭交流400周年を機に私は大使として3つのことを行いました。一つは対日抗議団体との交流です。法律的には、サンフランシスコ講和条約と日蘭議定書(「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する」日蘭議定書)で日本とオランダとの間の請求権の問題は解決しています。しかし、それでは道義的に認められないという人々が団体を作って毎月一度大使館の前でデモをし、プラカードを掲げて日本は賠償せよ、と要求していました。70歳以上の人が多く、デモは暴力的なものではありません。大使になってしばらくしてから、彼らのリーダ格の人たち数人にデモが静かに終わった後、大使館に入ってもらい、大使室で一緒にお茶を飲んで雑談する試みを始めました。

もう一つは、予算が付いたので戦争の被害者の方を毎年20数名、日本に招待することを始めました。今でも名前を変えて続いています。これまでに訪日者数は、合計で600~700人にはなっているでしょう。10日から2週間ほど、日本を案内していろいろ見てもらい、日本人と会って話をする。目には見えないけれど、地道な交流です。

元慰安婦とされる人々については、オランダ側に検証委員会を作ってもらい、結果として79人の人たちが慰安婦だったと結論付けられました。「アジア女性基金」から高齢の女性に対するベッドや椅子など1人当たり300万円相当の見舞金的な補償を出しました。

こうしたことを天皇陛下のご訪問前に行っていたこともあり、陛下ご訪蘭時には小規模なデモはいくつかありましたが、心配したほどの大きなデモは起きませんでした。そしてご訪問の間にも、次第にオランダ世論が良い方向に大きく変化していきました。

あの当時、ダメだったら辞表を出す以外はないという覚悟の気持ちは持っていました。2000年以降、オランダでは過去の戦争は主要新聞紙の一面記事になることはなくなりました。01年に日本に帰任する時にはオランダの新聞が「池田はミッション・インポッシブルをやり遂げた」と書いてくれましたね。もちろん、個人の感情には複雑なものがある人もいるでしょうが、一般社会としては日本とオランダの間の戦争問題は終わったという雰囲気になりました。その意味で、天皇陛下のオランダ訪問は画期的な意味を持ったと思います。

いつか実現したい韓国と台湾へのご訪問

野嶋

 天皇陛下の海外訪問は、外交ではないという建前ですが、実際は外交的な意味を持つことも少なくなく、「皇室外交」という言葉が使われています。外交の現場に長く携われてきた実感はいかがでしょうか。また、天皇陛下の訪問先は、政府と皇室との間でどのように決められるのでしょうか。

池田

 天皇陛下の外国訪問は、直接政治外交に関係したことを行うものではなくて、広く友好・親善のために行われるということにはなっていますが、現実の問題としては、相手方の国にとっても、日本にとっても特別な重みと重要性を持つ公的行事です。

訪問先の決定はあくまでも政府が決めるということになっていますが、天皇陛下ご自身にも機会があれば行きたいというお気持ちがあることもある。それが自然な格好で政府に伝達されることはあります。

例えば、私がオランダ大使として赴任する時、皇居に参内して両陛下とのお茶会の席があり、宮内庁の侍従から、ある手紙を見せてもらいました。それはオランダのベアトリクス女王から天皇陛下への手紙でした。自分は昭和天皇の大喪の礼に出席したいと思っていたが、オランダでは日本への反発も強いので、出席できなかった、ということが詳しく書いてあり、ベアトリクス女王が日本に対してどういう考え方だったかがよく伝わってきます。天皇陛下ご自身が手紙を私に見せてくださったことで、陛下のオランダへのご関心のほどがよく伝わってきました。

もちろん政府にもいろいろな見解があり、内閣や外務省、宮内庁の議論の中で固められていくのが、戦後の天皇陛下の外国訪問先の決め方であったと思います。

撮影:高橋 郁文

野嶋

 天皇陛下の訪問先は、2000年のオランダ訪問以後、戦前や戦争と関わる場所を訪れようという意欲を感じます。それ以前は欧米中心だったのが、それからはフィリピン、サイパン、パラオ、ハワイなどが訪問先に入ってきます。

池田

 オランダ訪問が一つの転機となったと見ることもできるでしょうね。天皇陛下のご訪問にかける特別な思いが感じられるものもあります。東日本大震災の後の被災地への慰問とも共通するところがあります。昭和天皇は激動の時代の中で自ら全てを経験されていたので、なかなか反省や慰霊の言葉をはっきり語ることは難しかった。現在の天皇陛下は、自分がどういうふうに慰霊的な行動をとるべきなのかはっきり意識されているのではないでしょうか。

野嶋

 天皇陛下による中国とオランダの訪問があって、あと残されたのは、日本が植民地として統治した韓国、そして台湾です。しかし、それぞれ異なる文脈で困難があります。

池田

 外国訪問の中でも、韓国と台湾は全く別のカテゴリーの問題だと思います。韓国は、新政権になった後、日本への対応がまだまだ警戒的ですよね。そういう中で訪問ということになると、どういう反応があるか予測が付かない。朝鮮半島情勢が抜本的に変化すれば、対日感情も変わってくると思いますが、当面はなかなか難しい。台湾については、もし訪問ができれば大変歓迎されると思います。しかし台湾をめぐる内外情勢は複雑ですから、そう簡単に結論の出る問題ではなさそうです。いずれにせよ、韓国と台湾は特別な意味を持っているので、容易ではないでしょうが、将来どこかの機会で実現できればいいと思います。

バナー写真=オランダ公式訪問を終え、ベアトリックス女王に見送られる天皇陛下(オランダ・アムステルダムのスキポール空港)[代表撮影]、2000年5月26日(時事)

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