Kolas Yotaka氏の「豊」は絶対に「夜鷹」ではない——氏名表記から考える多元化社会と文化

社会

わたしの名前は「ひかり」、ローマ字で“Hikari”と書く。

「光」を意味し、両親が名付けた。外国人にとっては少々呼びづらいようで、英語話者の場合は真ん中の「ka」の部分にアクセントが付き、「ke-a」という発音になる。台湾の方にとっては最初の「Hi」が呼びづらく「I-ka-ri」になることが多いので、初めて会った方には華語(中国語)読みで「光子」(グァン・ヅ,「光」一文字も呼びにくいので「子」を付けた) と呼んでください、と伝えてきた。しかしこの前、タイヤル族の方の取材で伺った際、いつものように「光子です」と名乗ったら「本当の名前の読み方を教えて」と言われ、ハッとした。

わたし自身は、それまで単に「相手が呼びやすい」という利便性のみで「光子」を名乗っていたが、タイヤル民族の方にとって、私はいかにも自分の名に無頓着な人間に映ったと思う。それは私が、これまで一度も名前や言葉を奪われたことのない「日本語を母語とする日本人」として、ぼんやりと生きてきたからに他ならない。

台湾の民主化と回復正名運動

2018年現在、台湾には約56万人、全人口の2%を占める先住民族16部族が暮らしている。台湾は元から彼ら先住民族が暮らしていた土地だが、そこに漢民族が移り住み、日本の領土となった後に、国民党と共に更に多くの人々が中国から台湾に移住した。清朝、日本統治時代、国民党政権と統治者が移り変わる中で、その時々に合わせて変更・同化を強いられてきたのが、先住民族自身の「名前」であり「言葉」だった。

1980年代には、台湾の民主化と共に先住民族の権利回復運動が本格化するが、中でも大きな流れとなったのが「土地や個人の伝統的な名前を回復する運動」(回復正名運動)だ。

その結果「姓名条例」の改正が行われ、先住民族本来の名前を選択できるようになったのが1995年。私と同年代の先住民族の方々は、自分の名前にまつわるアイデンティティーと向き合いながら、思春期を過ごしたと言っても過言ではないだろう。

台湾先住民族の文化では、儒教の影響を受けた日本人や漢民族のような「姓」という概念を持たず、「名前」+「母もしくは父の名前」+「土地や自然と関わる名称」という構成が少なくない。名前の中に、自分を生み出した土地への誇りや祖先とのつながりが刻み込まれており、それは個人のアイデンティティーそのものである。「回復正名運動」とは、先住民族の人々が自分の名前を取り戻すことで、民族の誇りとアイデンティティーをも回復する運動なのである。

日本語への変換が誤解を招いた出来事

出来事は、そんな「回復正名運動」の流れの上で起こった。

内閣の新しいスポークスパーソンとして任命されたアミス(パンツァハ)族出身のKolas Yotaka氏が、伝統的な先住民名を、従来の漢字の当て字ではなくローマ字表記することに理解を求めた。すると、Kolas氏の「Yotaka」がグーグル翻訳で日本語の「夜鷹」と変換された。その意味が日本語の「遊女(私娼)」であるという内容の投稿が台湾のSNSで出回り、Kolas氏関連のニュース記事や当人のフェイスブックに、名前にまつわる誹謗(ひぼう)中傷が次々と書き込まれた。

Kolas氏本人は以前のインタビューで、「Yotaka」という名前は彼女の祖父が日本統治時代に付けた「豊(ゆたか/日本語のローマ表記では”Yutaka”)」という名前を引き継いだものだ、と説明している。

しかし、これを受けてネットの論調はさらに過激になり「豊のローマ字表記はYutakaでありYotakaではない、日本人は台湾先住民族に対して『娼婦』という名前を付けてひどい支配をした」など、日本人に対して悪意のある見方も出現した。

歴史的にみれば、これまで先住民族のアイデンティティーを奪ってきた当事者として、日本人も含まれるのは確かだし、日本が台湾を領土とした事に関連して多くの先住民族の方々が命を落とし、差別されたことは事実だ。現在の台湾で進んでいる「移行期の正義」の延長として、日本人もきちんと向き合うべき問題であるに違いない。

しかし、これまで見聞きしてきた先住民族に関する研究や聞き書きに照らしても、日本人が先住民族の方に対して悪意を持って「遊女」、もしくはそれに類する名前を付けたような前例は聞かない(もし似たような例があれば、ご一報いただきたい)。さらに言えば、ここで問題となっている「夜鷹」が「遊女」であるという認識自体、日本でも一般的と言えず、現代では死語に等しい。グーグル翻訳の変換機能に大きな偏りがあると言わざるを得ない。

日本語の影響を受けた名詞の数々

この現象の説明として最も得心がいくのが、アミス(パンツァハ)語の母音に関する類推である。つまり、Kolas氏の祖父が日本語の「豊(ゆたか)」の音を転書したときに、「ゆ」と「よ」を混同してローマ字表記した可能性がある。

Kolas氏はアミス(パンツァハ)族のルーツを持っており、アミス(パンツァハ)語の母音にはuとoがあるが、uとoに明確な使用上の区別が無く、しばしば混用される。これは多くの言語学者によって指摘されている。

言語学者の前田均氏による論文「台北県政府『阿美語図解実用字典』中の日本語からの借用語」では、100例ほどのアミス(パンツァハ)語における日本語の影響を受けた名詞(借用語)が紹介されているが、その中には「Yutaka」を「Yotaka」と記したのと同じく、母音u→o表記の例を多く見つけることができた。

  • simpo  神父(shinpu
  • focigkay 婦人会(fujinkai)
  • kagkofo 看護婦(kangofu
  • komo ゴム(gomu
  • solipa スリッパ(surippa)
  • cyofo チューブ(chubu
  • cokoi つくえ(tsukue)
  • paso  バス(basu
  • panco パンツ(pantsu
  • omi 梅(ume)
  • katacomoli かたつむり(katatsumuri)
  • sakola さくら(sakura)
  • yolinohana ゆりのはな(yurinohana)
  • nanpokoy 南部鯉(nanbugoi)
  • lakota ラクダ(rakuda)
  • limpo 練武(renbu
  • komoing 公務員(koumuin)

※左側がアミス(パンツァハ)語、真ん中が元の日本語で、右側に日本語におけるローマ字表記/ヘボン式、下線で示したのが母音u→o表記の該当部。

元は日本名といえども、日本語とは異なる表記で代々名前が伝わってきたという事は、すでに”Yotaka”という名が「豊か」という意味を持つアミス(パンツァハ)語なのであり、これ自体が独自の民族的なアイデンティティーを証明している。

また、今回のKolas氏への中傷は、明らかにKolas氏が女性であるから成立していることも問題だ。これは日本語と日本文化を利用した、女性および台湾先住民の方々への深刻な人権侵害である。

名前や言語に宿る誇りと文化を尊重

名前や言語には、それを使用する人々の誇りと文化が宿っている。それはどのような民族の言語においても同じだろう。今回の件で、Kolas氏を誹謗中傷するために、私の母語である日本語が悪用されたことで、日本語と日本文化が損なわれ、傷付けられたように感じる。しかしこれも、かつて日本人が他者の言葉や文化を奪った報いといえるのかもしれない。

未来にそのような事を繰り返さないためにも、日本人を含めて、この出来事の意味を考える意義は小さくない。他者の言語や文化を尊重していくことは、同時に自分たちの言語や文化を大切にすることでもあるからだ。そうした意味で、Kolas氏に中傷の言葉を投げ付けている人々もまた、自らの言葉や文化を自ら損なっているのかもしれない。

バナー写真=台湾行政院(内閣)報道官(閣僚)に今月就任したグラス・ユダカ氏(Kolas Yotaka)。先住民族アミ族出身。先住民族として初の行政院報道官となる。2018年7月25日、台北市の行政院(時事)

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