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“日本はどうですか?” と問われ続けて考えた日本人の「アフリカ」認識

ウスビ・サコ【Profile】

[2018.08.21]

日本人ほど、他の地域の人々が「日本をどう思うか」を気にする国民はいない。来日して27年超になるが、初めて出会った日本人から必ず聞かれるのは、「日本はどう?住みやすい?京都の生活は大変でしょう?」という質問だ。また、外国に対する見方も大ざっぱで、基本的にはステレオタイプ化された内容がそのまま語られる。日本人の教育レベルとは関係なく、頻繁に観察される現象だ。私の場合はまず、「アフリカ出身」「日本語は話せない」「日本では大変な思いをしている」といった “カテゴリー” がつきまとうことになる。

アフリカに対する曖昧な認識

何年か前に、私の所属している日本アフリカ学会の学術大会で、「ココが変だよ!日本-アフリカ関係」と題した公開シンポジウムが開催された。企画の趣旨は、アフリカ大陸出身者に何か物申してほしいというものだ。そこで当時の私は、このシンポジウムのテーマ設定そのものに覚えた違和感について語った。なぜ「日本対一つの大陸」で考えるのか。アフリカには54の国がある。本来は、それぞれの国と日本の関係が語られるべきではないのか。

日本・アフリカ関係を考察するとなると、日本人がどのようにアフリカ全体を認識しているかという話になりがちだ。だが恐らく、日本人はアフリカ各国の人々が日本をどのように認識しているかについても気になるはずである。にもかかわらず、日本人のアフリカ認識は曖昧で具体的ではないようだ。「モロッコに行ったことがある、エジプトにも行ったことはあるが、アフリカはまだですね」と言われることがしばしばあるからだ。

日本人はアフリカというとサハラ砂漠以南のアフリカを想起することが多いに違いない。それはアフリカがまるで一つの国であるかのような、極めて抽象的な捉え方である。なぜ、そのような認識になったのか。なぜ、日本人の地域の捉え方がこのようになっているのか、ずっと気になっている。今日、アフリカを訪れる日本人が年々増えているにもかかわらず、日本で入手できるアフリカの社会・文化に関する情報は限られており、またあったとしても現実と異なった形で伝わっている場合が多い。他方、多くのアフリカの国々では、日本の情報やイメージの大部分はマスメディアを通じて得られたもので、それらの情報も断片的なものになりがちである。

日本よりどれだけ遅れているか

米雑誌『TIME』(アジア版)は2001年4月「HOW THE WORLD SEES JAPAN」(世界は日本をどう見ているか)で日本を特集した。カバーストーリー“Why Japan Cares What You Think”(なぜ日本はどう思われているかを気にするのか)の中で、筆者のIan Buruma氏は、以下のような指摘をしている (一部抜粋)。

“‘What do you think of Japan?’ is the first question any Western celebrity arriving at Narita airport is required to answer, …… as though a mere glimpse of Narita’s airport lounge would elicit any interesting thoughts at all. ……

“Why do Japanese care so much about what Westerners think of their country? I say Westerners, because the views of fellow Asians or Africans are not nearly as eagerly sought. Great media careers in Japan have been based on the so-called “blue-eyed view” of Japan, but never the ‘brown-eyed view.’ …….”

(「日本をどう思いますか?」成田空港に到着した著名な西洋人は、必ず最初にこの質問を投げられる(中略)成田空港の到着ロビーしか知らないのに、面白い感想が聞けるとでも思っているのかのように(中略)西洋人が日本のことをどう思うか、どうしてそんなに気になるのだろうか?あえて西洋人と言うのは、アジア人やアフリカ人の見解にはそれほど興味がないからだ。日本のメディアで成功を収めてきたのは “青い目” の西洋人で、決して “茶色の目” の外国人ではない。(以下略))

つまり、日本にとっては、“西洋”(とはいえそれはただ欧米を指すのだが)がどのように自分を見ているかが大事であり、日本の近代化がどのように評価され、また、日本がこの近代化のどの時点にいるのかが大事なのだということである。先進的な(と日本人が信じている)文明に対する理解を深め、自らの先進性を常に向上させたい。しかし、近代化が遅れているアフリカの国々の日本に対する印象はそれほど重要ではなく、逆にそれらの国々がどれだけ日本より遅れているかが気になるところなのだろう。

カテゴリー化を超えたコミュニケーションを

日本人に自分の研究テーマであるマリ共和国の居住環境―例えばマリでは、中庭に調理道具と食材を持ってきて調理をすればそこは台所であり、家族が集まって食事をする時は食堂になる。いまは複数の家族が住む小さな共同住宅が多く、中庭が共用部分になっている―のことを説明すると、しばしば返ってくる反応は、「何十年も前の日本に似ているね。昔の昭和時代の生活みたい。今の日本は発展して便利になり過ぎたから、マリの人間くさい生活ぶりは面白いし懐かしく感じる」といったものである。

京都の街でゼミの学生たちとフィールドワークを行うサコ教授

日本人がアフリカについて考えるとき、その現状は現代的な課題として見られることが少なく、ただ異質性だけが強調されることが多いように思う。先に紹介したシンポジウムのタイトルは、当時人気だったテレビ番組から拝借されたものだったが、この番組がそうだったように、外から見た日本の「ここが変だよ!」が紹介され、それがなぜかアフリカに限っては、その後進性がほのめかされるという具合にはなってほしくない。

よく母国の紹介をしてほしいという依頼を私も受けるのだが、実際、母国の変なところ、日本より遅れているところを紹介するよう期待されている場合が多い。マリという一つの国の中にも複数の文化(マリには23の民族が住む)が存在していることを話したにもかかわらず、講演の後で司会者はすぐ、「アフリカのことはよく分かりました」「アフリカでは何を食べていますか」「どのように寝ていますか」などと質問して、私の話は何も伝わっていなかったとがっかりすることが多々ある。

日本人は人物や物事をまず既存のカテゴリーに分類する傾向がある。グローバル化が進んでいる昨今では、そこで用いるカテゴリーが意味をなさない可能性がある。重要なのは、そうした分類を超えた個と個の関わりであり、そうした真のコミュニケーションこそ、これからの日本に期待されるべきものではないだろうか。

(2018年8月 記/写真提供=京都精華大学)

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  • [2018.08.21]

京都精華大学学長。1966年5月26日マリ共和国首都バマコに生まれる。中国北京語言大学、南京東南大学を経て91年来日。京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。工学博士。専門は人の動きやコミュニティーの在り方から空間を考察する「空間人類学」。京都の町家再生などに取り組む。2002年に日本国籍を取得。京都精華大学人文学部教授、同学部総合人文学科長を経て18年4月学長に就任。

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