台湾で根を下ろした日本人シリーズ:異文化の間に立つ——映像プロデューサー・西本有里

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西本 有里 NISHIMOTO Yuri

三重県四日市市出身。映画好きの父親に連れられて幼少期から映画館に通い、リュー・チャーフィー、ジェット・リーに憧れ、マイケル・J・フォックスに恋をした。映画の仕事をしたい一心で大学は映像関連に強い大学に進学。卒業後は東宝に就職した。仕事で台湾を訪れた際、エドワード・ヤン監督のスタッフで後に『闘茶』でメガホンを取った王也民監督と出会い、1年後に結婚し台湾に移住。台湾の人形劇『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の日台合作テレビドラマシリーズを手掛け、日中英3カ国語を操る異色映像プロデューサーとして活躍中。小学校2年生から始めた空手は黒帯の腕前。

結婚を機に中国語の習得に専念

大学を卒業後、念願かなって映画制作配給会社の東宝に就職した西本の最初の配属先は関西支社で、梅田駅そばの映画館での勤務だった。熱狂的な映画ファンが集まる映画館だったこともあり、学生時代から熱烈な香港映画ファンだった西本は新人の頃からロードショーの間隙(かんげき)を縫って香港映画のレイトショー上映会を自ら企画した。神戸の南京町にも通い、ツイ・ハーク監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』など香港映画のビデオを買いあさり、香港映画祭が開催された年には、開催時期にはもちろん、年4回も香港に通った。

こんな西本だが、ふとしたことで台湾にも関わるようになる。日台合作映画としてエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の思い出』の制作に関わっていた日本の助監督から、台湾の撮影現場を見に行かないかと誘われたのだ。1999年のことだった。

「英語の通訳を兼ねて2泊3日の旅でしたが、熱量を感じるいい現場でした。ヤン監督からも歓待を受け、撮影以外の時間で市内観光をする際は、スタッフを1名、自分に張り付けてくれました。それが後の夫、王也民でした」

日本に戻ってからも毎晩のように王から熱烈なラブコールが掛かってきたが、映画の話以外では心は動かなかった。ところが、99年冬にアン・リー監督の『グリーン・デスティニー』の中国での撮影に演技指導で参加することになった王は、西本を北京の撮影現場の見学に誘い、「映画の現場」という言葉に彼女も釣られ、それに応じたのだ。北京ではトラブルが起きるたびにさっそうと問題を解決する王の姿をとても頼もしく感じた。ロケの合間に万里の長城から一緒に獅子座流星群を見ようと誘われ、これが決定打となった。その1年後、西本は王の妻として台湾の土を再び踏むこととなった。今では高度な中国語の通訳もこなす彼女だが、この当時は、中国語をほとんど解せなかった。

「当時は台北の郊外に住んでいたのですが、週末は夫の実家の基隆で過ごすしきたりでした。夫の家族や友人たちとの集いは、中国語だけの世界で、疎外感が募るばかりでした。言葉が分からないつらさを作り笑いでごまかしている自分が嫌でたまらず、一念発起して中国語を学ぼうと決めたのです」

やはり自分は映画が好きだ!

台湾師範大学で1年半中国語を学び、2002年、エドワード・ヤン監督のアニメ制作会社に就職した。台湾での最初の仕事は、ヤン監督とジャッキー・チェン制作総指揮の作品『追風』だった。日本の会社と組むことも念頭に置いたアニメーション企画だったが、制作途中の04年ごろ、監督は会社を畳み、作品も日の目を見ることがなかった。さらに、07年にはヤン監督が亡くなってしまった。その後、西本はある香港の監督のつてで、03年に台湾に進出したばかりの日刊紙『蘋果日報(アップル・デイリー)』に転職する。

「周りに日本人がいない環境で中国語が飛躍的に伸びたのはこの時期です。広告営業チーム間の競争がすさまじい世界でした。どのチームも売上を取るのに必死で、お金のために働くエネルギーに満ちていました。私も毎朝の会議を録音して夫に聞いてもらい、自分の理解を確認しながら、必死に付いていきました」

その後は、日系企業の台湾現地法人を渡り歩くこととなった。生活は安定したが、いつの間にか歳月だけが過ぎていた。ある日、ふと映画の世界からすっかり遠ざかってしまっていることに気付いた。どうしても映画の現場に戻りたい。そうした思いはどんどん強くなっていった。

そんな折、能登半島を舞台とした『さいはてにて―やさしい香りと待ちながら―』の姜秀瓊(チアン・ショウチョン)監督の通訳の仕事が舞い込んだ。15年の第17回台北映画祭で、本作は国際ニュータレント・コンペティション部門の観客賞と、主演の永作博美が主演女優賞を受賞した。やはり自分は現場が好きだ。この仕事で映画の世界に戻った西本はつくづくそう思った。

西本有里氏提供

一方、『さいはてにて』の撮影参加を決めたのとほぼ同時期に、かつての会社の顧客だった霹靂国際マルチメディアから転職のオファーをもらっていた。霹靂は台湾の伝統人形劇の布袋劇をベースに、現代的で美形のキャラクター群が登場する霹靂布袋劇シリーズの映像で、ファンから絶大な支持を集めている映像制作会社である。

「せっかくフリーになったばかりで、自由に仕事がしたい。それで、最初は1週間に3日間だけのパートタイム勤務で3カ月契約を提案し、霹靂国際マルチメディアの子会社のパペットモーションで働き始めました。ところが、ライセンスや企画、海外版権販売の仕事も手伝ううちに、契約は3カ月から1年になり、やがて社長から直々に正社員のオファーがきました。完全に外堀を埋められてしまいました(笑)」

異文化交流の「肝」は互いの違いを認め合うこと

2014年、西本はゲームやアニメーションの劇作家として知られる虚淵玄(うろぶち・げん)が台北アニメーション・漫画フェスティバルに招かれ、霹靂布袋劇にほれ込んだとの情報を得た。早速、虚淵の所属会社ニトロプラスとコンタクトを取り、パペットモーションの社長と一緒に会いに行った。翌年公開予定だった映画『奇人密碼―古羅布之謎―』の版権の売り込みと、虚淵に『奇人密碼』外伝の執筆打診のためだった。ところが虚淵は、自分のオリジナル作品で日本人のファンの心をつかむ、分かりやすい王道のストーリーを描きたいと返答したのだった。

その後さまざまな交渉を経て、14年に立ち上がった「サンダーボルトファンタジー」テレビドラマシリーズの日台合作プロジェクトがスタートした。合作作品ならではの良い関係が生まれ、とりわけ、キャラクター人形の製作や撮影の現場では、日本流の細部へのこだわりに、これまで自社作品にしか携わって来なかった台湾側スタッフは新鮮な刺激を多く受けた。例えば、それまでの人形では統一規格で量産された手のパーツを全てのキャラクターに使用していたが、日本側は女性の繊細な手を表現するため、手の大きさにこだわり、人形の爪にグラデーションを施したマニュキアを提案した。また、涙の粒の大きさや、戦闘シーンで傷ついたキャラクターから流れる血の位置にも細かい注文を付けた。しかし、霹靂のスタッフは虚淵を信じ、全てを受け入れた。

(c)2016 Thunderbolt Fantasy Project

こうして、16年夏に完成した日台合作の『Thunderbolt Fantasy 東離剣遊紀』は、同年7月から3カ月にわたり、日本、台湾、中国、米国で同時放送された。数々の個性的、魅力的なキャラクター、人形劇とは思えない大胆かつ繊細なアクションや豊かな表情、歴史にファンタジーが組み込まれた独特の世界観、どれもが新鮮な驚きをもって各地で迎えられた。アニメサイトのファンなどを中心に、今まで台湾の布袋劇を見たことがなかった層にも注目され、日本では「サンファン」というサンダーボルトファンタジーの略称を付け、大きな反響を呼んだ。「台湾伝統文化」と「日本コンテンツ」の融合が結実した瞬間だった。17年12月にはその外伝の『Thunderbolt Fantasy 生死一劍』が、18年10月からは続編の『Thunderbolt Fantasy 東離剣遊紀 2』が放送中だ。

(c)2016-2018 Thunderbolt Fantasy Project

西本は霹靂のプロデューサーとして、日本側と交渉に当たるのが仕事だ。日本人の仕事のやり方や気持ちを理解しながらも、台湾側の考えをしっかりと伝えていかなければならない。難しい立ち位置だが、自分の役割は「言葉」だけではなく、その背景にある「文化」のトランスレーションなのだと西本はいう。

「大事なのは自分の立ち位置がブレないことです。私の仕事は、例えば、日台双方がなぜこういうのか。そのなぜをかみ砕いて説明し、細かな衝突を和解に向けて導き、パートナー同士の信頼関係を一つ一つ積み上げていく作業なのです。それでも、お互いに分かり合えないことはあります。その時は、良い意味で諦めること、お互いに違うということを認め合うことが、結局のところ異文化交流の『肝』なのだと思います」

「脚本」が読めるプロデューサーになる

西本に今後の目標を尋ねると、3つの答えが帰ってきた。サンダーボルトファンタジーを引き続きプロデュースすること。続いて現在、自身が企画を温めている作品のプロデュースをすること。最後に、夫の王也民が監督する映画を制作面でサポートすること。そして、もう一言付け加えた。

(c)2016-2018 Thunderbolt Fantasy Project

「台湾の映画人には、オリジナルの脚本を大切にして、自分の撮りたい作品を、時間を掛けてでも粘り強く撮ろうとする人がまだ多くいます。映画はやはり脚本が重要です。自分も脚本の読めるプロデューサーを目指します」

はにかみながら笑う西本は、やはり映画の申し子である。

バナー写真=西本有里氏提供

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