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台湾で根を下ろした日本人シリーズ:異文化の間に立つ——映像プロデューサー・西本有里

馬場 克樹【Profile】

[2018.11.04]

西本 有里

西本 有里NISHIMOTO Yuri三重県四日市市出身。映画好きの父親に連れられて幼少期から映画館に通い、リュー・チャーフィー、ジェット・リーに憧れ、マイケル・J・フォックスに恋をした。映画の仕事をしたい一心で大学は映像関連に強い大学に進学。卒業後は東宝に就職した。仕事で台湾を訪れた際、エドワード・ヤン監督のスタッフで後に『闘茶』でメガホンを取った王也民監督と出会い、1年後に結婚し台湾に移住。台湾の人形劇『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の日台合作テレビドラマシリーズを手掛け、日中英3カ国語を操る異色映像プロデューサーとして活躍中。小学校2年生から始めた空手は黒帯の腕前。

結婚を機に中国語の習得に専念

大学を卒業後、念願かなって映画制作配給会社の東宝に就職した西本の最初の配属先は関西支社で、梅田駅そばの映画館での勤務だった。熱狂的な映画ファンが集まる映画館だったこともあり、学生時代から熱烈な香港映画ファンだった西本は新人の頃からロードショーの間隙(かんげき)を縫って香港映画のレイトショー上映会を自ら企画した。神戸の南京町にも通い、ツイ・ハーク監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』など香港映画のビデオを買いあさり、香港映画祭が開催された年には、開催時期にはもちろん、年4回も香港に通った。

こんな西本だが、ふとしたことで台湾にも関わるようになる。日台合作映画としてエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の思い出』の制作に関わっていた日本の助監督から、台湾の撮影現場を見に行かないかと誘われたのだ。1999年のことだった。

「英語の通訳を兼ねて2泊3日の旅でしたが、熱量を感じるいい現場でした。ヤン監督からも歓待を受け、撮影以外の時間で市内観光をする際は、スタッフを1名、自分に張り付けてくれました。それが後の夫、王也民でした」

日本に戻ってからも毎晩のように王から熱烈なラブコールが掛かってきたが、映画の話以外では心は動かなかった。ところが、99年冬にアン・リー監督の『グリーン・デスティニー』の中国での撮影に演技指導で参加することになった王は、西本を北京の撮影現場の見学に誘い、「映画の現場」という言葉に彼女も釣られ、それに応じたのだ。北京ではトラブルが起きるたびにさっそうと問題を解決する王の姿をとても頼もしく感じた。ロケの合間に万里の長城から一緒に獅子座流星群を見ようと誘われ、これが決定打となった。その1年後、西本は王の妻として台湾の土を再び踏むこととなった。今では高度な中国語の通訳もこなす彼女だが、この当時は、中国語をほとんど解せなかった。

「当時は台北の郊外に住んでいたのですが、週末は夫の実家の基隆で過ごすしきたりでした。夫の家族や友人たちとの集いは、中国語だけの世界で、疎外感が募るばかりでした。言葉が分からないつらさを作り笑いでごまかしている自分が嫌でたまらず、一念発起して中国語を学ぼうと決めたのです」

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  • [2018.11.04]

シンガーソングライター。1963年仙台市生まれ。国際交流基金日中交流センター事務局次長、財団法人交流協会台北事務所文化室長を歴任。退職後、2013年台湾で蒲公英音楽交流有限公司を設立。「八得力(Battery)」でボーカルとギターを担当。ソングライターや俳優としても活動する。代表曲には映画『光にふれる(原題:逆光飛翔)』の主題歌で、台湾金曲奨最優秀女性ボーカリストの蔡健雅(タニア・チュア)が歌った「很靠近海(海のそばで)」がある。プロフィール写真撮影=Jonny Wei

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