中東外交に注力する外相:河野太郎という政治家

社会

父の病気で生体肝移植のドナーに

河野太郎という政治家を考える時、いささか個人的な感想ながら、父・洋平(元衆院議長)への生体肝移植が真っ先に思い浮かぶ。河野太郎のブログ(「ごまめの歯ぎしり」)によると、洋平は2002年の年明けに肝硬変が悪化して入院。医者から厳しい状況を告げられた太郎は、自らドナーとなって父に生体肝移植をすることを決意した。

洋平の回想によると、太郎は「こういうことは長男が責任を持つのが自然だろう」と言い、「俺なりに勉強したうえで言っているんだ。生体肝移植はオヤジが思っているほど危険な手術じゃない」と説得した。(2004年11月、がん情報ウェブ「がんサポート」より)

太郎は移植を固辞する父に「肝臓をやると言っているんだから、ごちゃごちゃ言わずにありがとうともらってくれよ。それで生き延びられるなら、それでいいじゃないか」と頑固に主張した。とはいえドナーになるのは勇気を要したはずだが、可能性を慎重に計算して勇気をもって断行する。それが彼の政治姿勢の特徴でもあるようだ。

自民党の中で「一番外れた冥王星」

一例を挙げると、河野は東日本大震災から3カ月後の2011年6月、国会会期の70日延長に賛成し、自民党からは造反したとして1年間の役職停止処分を受けた。しかし河野は言う。「被災地の状況を考えれば、国会を閉会することなどできるはずがありません。自民党も与党の賛成多数で会期が延長されるのがわかっていたから反対したのです」(河野の共著「共謀者たち」=講談社より)

当時、自民党は野党だったが、悲惨な現実を前に党利党略の反対などしていられるかと河野は考えたのだろう。長いものに巻かれる政治家ではないのである。

2018年10月23日、麻生太郎副総理兼財務相が、河野のパーティーで、「(河野が)政治家として今後伸びるのに何が欠けているかと言えば、間違いなく一般的な常識だ」と語ったのは、その辺を踏まえてのことだろう。河野の著書『私が自民党を立て直す』(洋泉社)の帯には「『自民党の中で一番外れているから自民党の冥王星だ』といわれた私が、党を変えてみせる!」とある。しかし、日本の政界になじんだやり方でないと大成しないぞと、麻生は独特の表現でそう語ったように思える。太陽系の9番目の惑星だった冥王星が準惑星に「格下げ」されてしまったように。

アラブ世界で愛される”サムライ”

確かに河野太郎は、日本に多い農村型の政治家ではなく高級官僚から転じた政治家でもない。名門の家に生まれて慶応大学を中退し、米国政治を身近に観察できる名門の米ジョージタウン大学などで学んだ。

同大学は米国のクリントン元大統領やヨルダンのアブドラ国王の母校でもある。そんな同窓意識もあって河野はアブドラ国王と親しいようだが、サウジアラビアにも足しげく通っている。2015年5月、衆院議員訪問団の一員としてサウジを訪問、翌16年7月には国家公安委員長として同国を訪れ、同年9月には訪日したムハンマド副皇太子(現皇太子)と東京で会っている。

外相就任直後の2017年8月4日にはムハンマド皇太子と電話で会談し、翌9月はサウジを訪れて同皇太子やサルマン国王に会見した。外相としての中東歴訪であり、ヨルダンではアブドラ国王が昼食会を開いてくれて、域内情勢について突っ込んだ意見交換もしたという。

日本とアラブ連盟(22カ国・機関)の政治対話を終え、記者会見する河野太郎外相(右)ら=2017年9月11日、エジプト・カイロのアラブ連盟本部

中東では個人的な関係が外交上の信頼構築にもつながる。だから、もっと人的なネットワークを広げたいと河野は外国紙との会見などで語っているが、思うに彼は中東が好きで、中東で好かれる政治家である。アメリカナイズされてビジネスライクな人士ではなく、いい意味での合理性とサムライ・スピリットを兼ね備えているように見える。「砂漠の豹」と呼ばれたサウジの初代国王アブドゥルアジズ(イブン・サウド)のように、器の大きな勇者を伝統的に好むアラブ世界にあって、河野は愛されるタイプの日本人ではなかろうか。

中東の安定へ「日本だからできることがある」

河野は17年12月には、イスラエルやパレスチナも訪問した。同年8月の外相就任以来、3回目の中東歴訪だ。前任の岸田文雄も含めて、短期間にこれほど中東に足を運んだ大臣はこれまでいないと言われている。

その理由として、父親の洋平が外相だった2000年、日本のアラビア石油がサウジとの契約更改に失敗して同国での石油権益を失ったことを挙げる人もいる。当時の洋平の苦労を目の当たりにした河野は中東に強い人脈を作る必要性を痛感した、という見方である。

余談のようで恐縮だが、サウジ・クウェート国境にあるアラビア石油の鉱業所の職員は1991年の湾岸戦争時、避難しようとしなかった。当時、サウジの前線にいた私は同鉱業所に電話して避難を勧めたが、責任者は耳を貸さない。サウジの日本大使館も「退避勧告は出している。日本には退避命令というものはない」と言うばかりだった。

思うに契約更改をにらんでサウジに忠誠心を示す必要があったのだろうが、開戦と同時に同鉱業所には砲弾が降り注ぎ、職員たちは必死に避難した。全員無事だったのは奇跡中の奇跡である。1人でも犠牲になっていたら日本政府は厳しく責任を問われ、湾岸戦争後も国際貢献には消極的だったかもしれない。これは日本の在り方として、石油権益以上に真剣に考えるべき問題だと思っている。

河野は中東外交について、日本だからできることがあると力説する。日本が中東諸国に比べて宗教的ではないこと、そして中東の植民地化や委任統治などの歴史を持たないことを「強み」として、中立的な立場で中東の安定に貢献できるというのだ。

中東和平の関与にも意欲?

17年9月、カイロで初めて開いた日本・アラブ政治対話では4項目の重点事項を発表した。国会の外交演説では「河野4箇条」と形容されているが、知的・人的支援、人への投資、息の長い取り組み、政治的取り組みの強化の4点だ。「この方針の下、経済面のみならず、中東への政治的関与を強化し、その平和と安定に向け一層の役割を果たしていきます」と河野は演説した。

また、18年10月27日、バーレーンの首都マナマにおける国際会議では、日本の経験を生かして中東の改革を支援するために3項目の課題を挙げた。「河野4箇条」を基礎として、教育制度の改革や職業訓練計画の支援、そして中東の若者の日本留学も含めて、改革を目指す若い層への支援を挙げたのである。

支援項目にさほど新味はないが、演説後段で河野が「4箇条」には「正直なファシリテーターとして和平対話に活発な役割を果たすことも含まれる」と語ったのは目を引いた。米トランプ政権下で行き詰まった中東和平交渉に日本が関与する可能性と意欲を示唆したようにも思われたからだ。

「したたかな外交」へ、問われる真価

河野は「日本は米国の追随者(フォロワー)ではない」を持論とする。2012年刊の著書「超日本宣言―わが政権構想」(講談社)には、冷戦時代の日本と違って、今後は「より実戦的でしたたかな外交」が必要で、フォロワーから脱皮して「地域の国際社会の方向性をリードする主体的な発想が必要」と書いている。

だが、「したたかな外交」は口で言うほど容易ではない。例えばジャーナリストのジャマル・カショギ氏の殺害について、トランプ政権は関与が疑われるサウジのムハンマド皇太子をひそかに擁護しているようだが、日本も米・サウジとの良好な関係を必要とする。河野自身、ムハンマド皇太子との個人的関係を築いてきた。たとえ皇太子の関与が濃厚になっても日本がサウジを厳しく批判できるかどうかは疑問である。

また、17年暮れのイスラエル・パレスチナ訪問時、河野はエルサレムをイスラエルの首都と認定したトランプ政権に同調はしなかったが、米国を強く批判したわけではなく、調整役としての指導力を見せたわけでもない。

日本の外相にそこまで期待するのは無理かもしれないが、トランプ政権はイスラエルやサウジと手を組み、イランを封じ込めて中東の力関係や中東和平の構図を変えることを狙っているようだ。日本はイランとも良好な関係を保ってきただけに、米国がさらにイラン包囲網を強めるようなら苦しい対応を迫られる。

逆に、米中間選挙で野党・民主党が下院の過半数を奪い返した結果、大統領弾劾の動きに弾みがついてトランプ氏が失速することも考えられる。その場合、中東における米国の存在感はさらに薄れ、米外交はさらに場当たり的になり、中東情勢の険悪化や大事件の勃発にもつながるかもしれない。

中東は安定より波乱の方向へ向かっている。河野外交の真価が問われる局面は今後確実に増えそうだ。

バナー写真:パレスチナ自治政府のアッバス議長(右)と会談する河野太郎外相=2017年12月25日、パレスチナ自治区ラマラ(時事)

中東