憲法改正に動き出す安倍首相

政治・外交

参院選の結果を受け、安倍晋三首相は“悲願”とされる憲法改正に向け動き出す。今後の展開や実現の可能性について、長く日本政治をウォッチしてきた筆者が解説する。

第24回参院選は7月10日に投開票され、自民党、公明党の与党が大勝した。この結果、両党に憲法改正に積極的なおおさか維新の会、日本のこころを大切にする党、無所属議員を加えた「改憲勢力」が非改選を含めて、改正の発議に必要な定数の3分の2(162議席)に到達。衆院では与党だけで3分の2以上の議席を占めており、戦後71年にして初めて、改正に向けた数的環境が整った。安倍晋三首相は9月召集予定の臨時国会から、改正内容の具体的な議論に入りたい考えで、改憲が現実味を帯び始めた。

容認野党を加え3分の2

参院の定数は242で、任期は6年。3年ごとに半数の121議席を改選する。このうち、73議席は原則都道府県単位(今回から鳥取県と島根県、徳島県と高知県が合区で1つになった)で定数が1~6の選挙区、48議席は比例代表で、それぞれ選ばれる。

選挙戦で自公両党は、安倍政権の「アベノミクス」により各種の経済指標が改善されたことを挙げ、政策の継続を唱えた。

これに対し、国会で与党と厳しく対決してきた民進、共産、社民、生活の野党4党は、安倍政権が従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を一部可能にした安全保障関連法を制定したことを厳しく批判。安倍政権下での改憲を警戒し、与党を中心とする「改憲勢力」による3分の2阻止を訴えた。また、4党は今回初めて、改選定数が1の「1人区」(全体で32)で統一候補を擁立する共闘も進めた。

結果は自民、公明両党とも議席を伸ばし、合わせて70議席を獲得した。一方、野党は全体として振るわず、特に民進党は6年前(当時は民主党)と比べ12議席減の32議席にとどまる敗北を喫した。同党の敗因は①政権担当時に統治能力の欠如を露呈して以来、国民の信頼が回復していない②改憲阻止を前面に出し過ぎ、有権者の関心が高い経済や社会保障、子育てといった分野で対案を示しきれなかった―ことなどが考えられる。同党は9月に代表選を控えており、岡田克也代表(63)が再選を目指して出馬するのか、責任をとって辞退するのかに注目が集まっている。

改憲は悲願

「(民進党は)安倍政権の間は憲法改正しないと言っているが、建設的な対応とは言えない」。安倍首相は参院選勝利を受けた11日の記者会見で、民進党の岡田代表を名指しして改憲の議論に応じるよう求めた。その上で「どの条文をどう変えるべきか、(衆参両院の)憲法審査会で議論していくべきだ」と述べ、秋の臨時国会から具体的な議論に着手する考えを強調した。

日米安保条約を改定させた岸信介元首相を祖父に持つ安倍首相にとって、憲法改正は悲願と言える。特に、戦力の不保持や国際紛争解決の手段としての武力行使の放棄を定めた9条の改正を究極の目標としている。

実際、安倍首相は2006年9月に最初に首相に就任して以来、改正への準備を着々と進めてきた。憲法は96条で、改正には「衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議」した上で、「国民投票で過半数の賛成が必要」と規定している。その一方で、国会で発議するまでの細かな手続きや国民投票の方法などは何ら決められていなかった。このため、第1次政権を発足させた安倍首相は、これらの手続き・方法を定めた国民投票法を制定させた。

安倍首相は参院選敗北と体調不良でわずか1年で退陣したものの、12年12月に返り咲き第2次政権を発足させるや、改正の発議の要件を各議院の「3分の2」から「過半数」に緩和しようと、96条の改正を模索する。これが失敗に終わると、今度は「憲法9条の実質改正」を目指し、9条との絡みで集団的自衛権の行使はできないとしてきた政府のこれまでの憲法解釈を変更。限定的ながら、認められるとの新解釈を打ち出した。そして新解釈に基づいて自衛隊の活動を新たに定めるなどした安全保障関連法を15年9月、野党の激しい抵抗を押し切って成立させた。

国民投票、早くて2017年末?

安倍首相の強い意向を受け、自民党は秋の臨時国会から改憲案とりまとめの動きを本格化させる見通しだ。そこで与野党の協議の舞台になるのが、衆参両院にそれぞれ設置されている憲法審査会だ。衆参の審査会はこれまでも開催されてきたが、各党がそれぞれ考えを述べ合う自由討議にとどまっている。自民党としては改正に向けた具体的な討議に入り、現行の憲法のどこに不備があり、どういう条項を新たに盛り込むのかといった「改正項目」を与野党で絞り込むことをまずは目指す。

その上で条文案の作成作業を進め、改正原案を策定するという2段階での調整を考えている。政権幹部の話を総合すると、秋の臨時国会で「改正項目」の絞り込みをできるかがまずはポイントだ。年内にここまで行けば、自民党は来年1月召集の次期通常国会で、改正原案の取りまとめに全力を挙げることになろう。改正原案がまとまれば直ちに提出、衆参両院で3分の2以上の賛成で可決し、発議するとの段取りを描く。

国会は法律により、新年度予算案などを審議する通常国会を1月に召集する(会期は150日、1回の延長が可能)ことが定められている。通常国会では予算案の審議が優先されるため、予算関連以外の法案の審議が始まるのは4月以降となるのが一般的。野党が反対する法案の場合、妥協点を探るのに時間がかかり、成立に2、3カ月かかるケースが珍しくない。昨年の通常国会で審議された安全保障関連法は、野党の激しい抵抗で審議が遅れ、与党は会期の大幅延長を余儀なくされている。

これとは別に、通常国会で積み残しとなった法案の成立を図るため、政府は秋に臨時国会を召集(2回まで延長が可能)するのが通例だ。こうした国会の事情を踏まえれば、仮に今秋の臨時国会で「改正項目」を絞り込めても、来年の通常国会で改正条文案の作成作業が本格化するのは4月に入ってからになることが想定される。そして改正原案を提出しても、審議にかなりの時間を要するのは確実。発議するとなれば、会期の大幅な延長が避けられないだろう。

第1次安倍政権時に成立した国民投票法は、国会での改正の発議から60~180日以内に国民投票を実施すると定めている。また投票は、改正の条文案ごとに賛否を問うこととなっている。こうした一連のスケジュールを考慮すれば、国民投票は早くて、2017年末になることが想定される。もし国会での第1段階の改正項目の絞り込み、第2段階の改正原案の作成がそれぞれ遅れれば、国民投票はどんどん「後ずれ」することになる。

実現に高いハードル

自民党は野党時代の2012年に、9条を改正して自衛隊に代わる国防軍を創設することを柱とした改正草案をまとめている。安倍首相も9条改正を究極の目標にしてはいるものの、いきなり実現を図ろうとは考えていない。まずは与野党各党が幅広く合意できる部分を手直しし、国民や各党を「改正慣れ」させ、2回目以降の改正で自民党の主張を色濃く反映させる戦略を描いている。そして自身の政権下で初めて憲法を改正したという「レガシー」を残せれば十分で、自らの手で2回目の改正までこぎ着けるようとは考えていないといわれる。

自民党内では1回目の改憲項目として、大規模災害時に首相の権限を強化する緊急事態条項の追加や、各党の評判が悪かった参院選挙区の合区解消のため、参院議員を地域代表と位置付けることを求める声が上がっている。とはいえ現在の政治状況を見れば、改憲へ高いハードルがいくつもあり、容易ではないのが実情だ。

その1つは、連立政権を組む公明党が改憲に消極的で、与党内の調整も簡単に進みそうもないことだ。宗教団体の創価学会を支持母体とする公明党は、もともと憲法改正に極めて慎重だ。ただ、改憲を党是とする自民党や護憲を標榜する社民党などと一線を画すため、現行の条文はいじらずに、時代の変化に伴い必要となったものを加える「加憲」という独自の立場をとっている。与党ではあるが、参院選を受けて自民党主導で改憲の動きが加速することを警戒。山口那津男代表は、改憲案の策定には、野党第1党である「民進党の合意が必要」と強調している。

2つ目のハードルは、その民進党が安倍政権下での改憲に強く反対していることだ。同党が参院選で共闘した共産、社民両党は改憲自体に反対している。党内には、野田佳彦前首相や前原誠司元外相ら改憲派の保守系議員も一部いる。一方で、護憲派の旧社会党系議員も存在。憲法に対しさまざまなスタンスの議員が混在しているため、党として具体的な方向性が打ち出せないのが実態だ。とりあえず、党がまとまるため、「安倍政権下での改憲反対」を掲げているに過ぎない。

こうした政治状況を考慮すれば、民進党が秋の臨時国会で改憲項目で与党と合意する可能性は極めて低いと思われる。与党が民進党の協力を取り付けようするなら、どれだけの時間を要するか見通せない。結局、安倍首相が国民投票を急ごうとするなら、どこかのタイミングで公明党を説得し、与党と改正に前向きな一部野党、無所属議員の「改憲勢力」だけで改正原案を作成、国会で発議するという展開となるだろう。

このケースでも、「発議ありき」で強引に公明党との調整を進めれば同党との溝が生じかねない。さらに、民進党など野党4党は改憲案への反対を国民に呼び掛けるのは確実。EUからの離脱の是非を問うた英国の国民投票と同様、国論が二分される中、安倍首相は政権を賭して国民投票に臨むことになる。

解散か改憲のジレンマ

もっとも、安倍首相が世論の動向や政権への影響を考慮して、野党との協議や公明党との調整に時間をかければかけるほど、より大きなジレンマが生じることになる。それは、18年12月の衆院議員の任期満了を控え、解散時期の選択肢が狭まることだ。

時の首相にとって、政権維持が見込める最も効果的なタイミングで解散権を行使するのが常道だ。憲法改正を優先して必要な段取りに時間をかければ、それだけ解散の時期は限られてくる。その間に安倍政権へ強い逆風が吹き始めれば、解散のタイミングを失い、政権を失う危機に直面する可能性も否定できない。

一方で、政権維持を優先し、改憲に向けた手続きを踏んでいる最中に衆院解散に打って出ても、「改憲勢力」で再び3分の2を確保できる保証はない。確保できなければ、安倍首相の憲法改正という悲願は、一気に遠のくことになる。

衆院の任期満了の前の18年9月には、安倍首相の自民党総裁としての2期目の任期が切れる(3選は党則で禁止)。安倍首相は今秋以降、改憲への取り組みを進めつつ、レガシーを優先してあくまでもその実現を目指すのか。それとも、改憲というレガシーを残せなくなることも覚悟、衆院選勝利を優先して解散に打って出るのか。政権の幕引きが近づきつつある中、世論の動向や野党の動きを見ながら、いずれ決断を迫られることになる。

バナー写真:参議院選挙から一夜明け、自民党本部で記者会見する安倍晋三首相=2016年7月11日、東京・永田町の同党本部(時事)

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