退位の思いにじむ天皇陛下の「お言葉」を読み解く

社会

天皇陛下が「象徴としてのお務め」についてお気持ちを表した8月8日のビデオメッセージは、天皇の高齢化に伴う諸問題の対処方法について、ご自身の考えを明確に示したものとなった。その背景と意味を、皇室の歴史に造詣の深い筆者が解説する。

去る7月13日夜、NHKから「天皇陛下“生前退位”のご意向」という驚きのニュースが報じられ、その大部分を引用しながら簡単な解説と私見を加えた拙稿が、当ニッポンドットコムに掲載されたところ、既知・未知の方々からさまざまな反響があった。

その後、天皇陛下ご自身が直接国民に語りかけることで調整が進み、8月8日午後3時に収録済みのビデオメッセージがテレビ放送された。私は当日、NHKの依頼を受けて特別ニュース番組に臨み、次のような所感を述べた。

「本当に陛下が、これまで国のこと国民のこと将来のことを深くお考えになって、この30年近くお務めくださったこと、これを将来にわたり続けるにはどうしたらよいか、考えに考え抜かれて、このようなお言葉になっているのだと思われ、大変心打たれました」

以下、放送された「お言葉」全文を、その背景も提示しながら読み解いていく。

年を重ねて「象徴天皇の在り方」に苦悩

①戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

陛下は昭和8年(1933)12月23日のお生まれだから、同20年(1945)8月の終戦(敗戦)当時、11歳半(学習院初等科6年生)であった。それから70年という節目の昨年に82歳となられた。「国の内外に平和を達成する」という祈念を込めた「平成」年号も、2年後に30年目を迎えることになる。

ちなみに「世」という漢字は「十を三つ合わせて三十を意味した。卅と同じ。転じて三十年、一代(中略)の意を表わす」(『角川新字源』)。平成元年(1989)1月に55歳で皇位を継承されてから30年という節には、いわゆる一世代経ることになる、という感慨を抱いていらっしゃるのであろう。

しかし、天皇陛下といえども、80歳代に入るころから体力などにいろいろな制約を感じるようになられた。そこで「ここ数年」、天皇としての歩みを振り返るとともに、これから先の「自分の在り方や務めにつき」思いを巡らされてきたという。

では「ここ数年」に何をしてこられたのだろうか。この点について、平成17年(2005)から24年(2012)まで宮内庁長官を務めた羽毛田信吾氏(現宮内庁参与、昭和館館長)の、インタビュー記事(『日本経済新聞』8月9日朝刊)が真相を明らかにしている。

羽毛田氏によれば、「実は2012年6月に長官を退任する際の記者会見で、(現行典範の)終身天皇制に関する私自身の問題意識として語った・・・(中略)・・・陛下のお悩みを代弁したつもりだった」と言う。その際の発言は以下の通りだ。

「時の経過とともにお年をめされること、また体力の面でこれまで通りのご活動がだんだん厳しくなることは避けられない。そうしたとき、たとえば85歳というような時に、いまの象徴天皇としての地位と活動というものをどう考えていくのか。これまでどおり一体不離ということで考えていくとすれば、深刻な問題が出てくるだろうと思う。(中略)これは今上陛下だけでなく、超高齢化社会のなかで天皇のご長寿というものが通常の状態になったときに、国民の尊崇、敬愛を集める象徴天皇のあり方を考える大きな問題になる・・・(中略)・・・やはり天皇陛下のご長寿とともに、地位をどう継承していくかということを考えなければならない」

これはかなり遠回しの言い方になっているが、今あらためて読むと、すでに4年前から超高齢化社会において「象徴天皇の地位をどう継承していくか」を、おそらく陛下のご意向に沿って宮内庁長官の立場で真剣に考えていたことが分かる。

しかも、新聞各紙の報ずるとおり、5年前からは「月1回、陛下、皇太子さま、秋篠宮さまが皇居・御所に集まり、長官が陪席する中で意見交換されている」(『産経新聞』8月10日朝刊)。ただ、その内容は、これまで外部に知らされなかったのである。

「象徴としての務め」昭和天皇を模範に

②即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

陛下は、平成2年(1990)11月12日、「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」において「御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い」と述べておられる。

これはまさに「誓い」であるから、即位以来それを実践するために「日々模索し」続けて来られた。決して容易なことではなかったに違いない。

戦後の「日本国憲法」では、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と位置付けられ、その役割は第四条に「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と限定されている。しかし、父君の昭和天皇は単に「国事行為を行う」だけでなく、日本国を代表する象徴として、また日本国民の統合を表す象徴として、することが煩わしいと認められることを数多くやってこられた。

それゆえ今上陛下も、まず「伝統の継承者として」父君がやってこられたことはできるだけ「守り続ける責任」を果たすとともに、日進月歩の新たな日本と世界の中にあることを自覚して、皇室自身がどうしたら「伝統を現代に生かし」ながら、「いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていく」ために、何をすべきか何ができるかを考えつつ「象徴としての務め」を積極的に果たし続けてこられたのである。

③そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。④私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

⑤こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

今上陛下の30年近い実績は周知の事実であるが、平成15年(2003)と同24年(2012)、2度も外科手術を受けられ、体力の低下も感じられた中で思われたことが、特に④⑤に述べられている。

この中で、「人々への信頼と敬愛」という表現は、昭和21年(1949)元旦に公表された「新日本建設に関する詔書」(いわゆる天皇の人間宣言)の中の「朕(昭和天皇)と爾(なんじ)等国民との紐帯(ちゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ」との精神を受け継がれたものといえよう。

「務めを果たせぬ天皇」ではいけないとの信念

⑥天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりにいたるまで天皇であり続けることに変わりはありません。

これから「天皇の高齢化に伴う対処の仕方」を考えると、一般的な考え方では、象徴としての行為を徐々に縮小する(他の皇族に分担いただく)か、または「天皇の行為を代行する摂政を置く」かのどちらかになろう。しかし、陛下はあらゆる務めをご自身で果たさなければ「国民統合の象徴」とはいえないとのご信念から、公務を過度に縮小することは無理であり、まして摂政に全ての務めを代行させることは不適切だ、と考えていらっしゃることが読み取れる。

前者については、宮内庁が「かつて昭和天皇も70歳代から行われた“御公務や宮中祭祀の見直し”を参考に」して、満75歳の平成21年(2009)1月から、少しずつ軽減を図ろうとしてきた。しかし、陛下は同24年(2012)2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた後ですら、「負担の軽減は、公的行事の場合、公平の原則(例えば、まだ行幸してない地方へ出かけなければ不公平になるとの考え)を踏まえてしなければならない」として、容易に応じられなかった。

また、後者については、摂政を置く条件として「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」(「皇室典範」の第十六条)とあるだけで、高齢を理由にはできないのである。

旧典範の下では大正10年(1921)から、重患の父君に代わって皇太子裕仁殿下(昭和天皇)が「摂政」となられた。しかし大正天皇は以後5年間生きておられたから、在位のまま何も為しえない天皇と全大権の代行を委ねられた皇太子との併在状態が続き、摂政宮(せっしょうのみや)として心苦しい思いをされたと伝えられている。

それを聞き知っておられる今上陛下は、昭和63年(1988)9月、父君(87歳)が危篤状態となられたにもかかわらず、あえて摂政ではなく臨時代行の立場で111日間通された。この例から考えれば、天皇は典範上の「重患」に陥られた場合でも、摂政を置くことが難しいに違いない。しかし陛下は、そのような「務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けること」ではいけない(憲法上の象徴たりえない)と、考えていらっしゃるのである。

天皇・皇族のお務め

祭祀行為 天皇・皇族 大祭:祭主は天皇(皇族らは拝礼)
小祭:祭主は掌典長(天皇は拝礼)
国事行為 天皇のみ 憲法六条(行政・司法の長の任命)
憲法七条(法律公布・大使接受など)
公的行為 天皇・皇后 国内関係:特別行幸啓・殊勲表彰・歌会始など
国際関係:外国訪問・国賓歓待・大使親善など
成年の皇族 皇太子・同妃・・・天皇・皇后の代行、東宮の公務
宮家の皇族・・・皇太子・同妃に準ずる公務の分担

終身在位による社会停滞に懸念

⑦天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

⑧始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。

今回の「お言葉」で最も驚いたのは、天皇が最期を迎えられ、皇太子が践祚(せんそ、皇嗣が皇位を継承すること)される前後に「社会が停滞し」てしまうような事態を懸念され、今後それを何とか回避することができないかと切実に考えていらっしゃることである。

念のため、昭和の終わりから平成の初めの状況を簡単に振り返っておこう。先帝陛下は昭和62年(1988)9月、肝臓がんの手術を受け、いったん回復されたが、翌63年の9月19日夜、大量吐血して明日をも知れぬ状況になられた。そして111日後の昭和64年(1989)1月7日朝、満87歳8カ月余りで崩御されると、その日のうちに皇太子殿下(55歳)が第125代の天皇に践祚された。それに伴って政令により新元号「平成」が発表され、翌8日に施行された。

このような新天皇の践祚や新元号の発表は国家的な慶事である。しかし皇室の方々は、深い悲しみをこらえながら、18日まで12日間、吹上御所において御身内の拝訣(はいけつ、お別れの儀)をされた。19日から37日間は宮殿の殯宮(ひんきゅう)での本通夜、さらに49日目の2月24日には、新宿御苑の葬場殿で営まれた喪儀(皇室行事の葬場殿の儀と国の儀式の大喪の礼)、および八王子の陵所で行われた陵所の議(納棺)に臨まれる殯(もがり)の日々であった。

さらに崩御から1年間は「諒闇」(りょうあん、喪に服すこと)に服された。ただ、皇室の服喪は、第一期の50日と第二期の50日まで厳重にされるが、第三期の残り265日間は「心喪」と称され、悲しみの心で平常の生活をして良いことになっている。

一般国民の多くは、昭和天皇の御闘病中から御快癒を祈念して「自粛」に努め、また諒闇中も社会に自粛ムードが続いた。陛下は御自身の終身在位により同様の事態が生ずることを懸念され、控えめに「生前退位」の道を開いてほしいというご意向を示されたのである。

高齢化社会の現実見つめ、「生前退位」の道は必要

このような「お言葉」を承って、国民の多くは深い感銘を受けたに違いない。ただ、陛下を敬愛するからこそ、もっと長く(できれば終身)ご在位いただきたいと願う気持ちも強い。また高齢化に伴って象徴天皇の務めをご自身で行うことが難しければ、その立場を若い皇嗣に任せて構わないから、退位すべきでない、と異論を唱える識者も少なくない。

しかしながら、陛下は現在だけでなく将来まで見通していらっしゃる。日本は既に超高齢化社会を迎え、今後もますます加速するに違いない。従って、おそらく陛下は叔父三笠宮殿下のように100歳以上の長寿を保たれる可能性があり、その場合、今の皇太子殿下は80歳前後で皇位を継承されることになる。その際、5歳下の秋篠宮殿下が「皇室典範」第八条の改正により「皇太弟」となられても、兄君の在位が20年以上続けば100歳前後でようやく即位されることになる(その段階で50歳前後の悠仁親王が初めて皇太子になられる)。

こんな状況が今後の超高齢化社会には現実化するであろうことを冷静に予測するならば、やはり数年以内に「生前退位」の道を開いておく必要があると考えられた陛下の「ご意向」は、まことに高邁(こうまい)なご見識だと思われる。それを真剣に受け止め、その実現に向けて、政府も国会も誠実に取り組んでいただきたい。

(2016年8月13日 記)

タイトル写真:天皇陛下のビデオメッセージが映し出されたテレビ画面を見る人=2016年8月8日午後、東京都江東区の家電量販店(時事)

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