南極観測60年-極地観測から見える地球・宇宙の未来

科学 技術

1956年、日本から戦後初の南極観測船「宗谷」が出航。以来60年にわたり、日本の南極観測は、地球、宇宙の環境変動の解明に貢献してきた。60周年の節目に出発する第58次南極観測隊隊長が南極観測の意義を解説する。

南極昭和基地は、2017年1月29日に開設60周年を迎える。人間に例えれば還暦となるが、この60年間、日本は昭和基地を拠点として南極での科学観測を地道に積み上げ、数多くの成果を上げてきた。その中には、南極観測を始めた頃には誰も予想できなかった発見ばかりでなく、これからの地球環境を占う重要なものもいくつかある。この60周年という節目の時に、日本の南極観測の過去を振り返り、そこから見えてきた地球環境の現状と将来を探ってみたい。

南極昭和基地(左)と南極観測船「しらせ」。2016年11月、第58次南極地域観測隊が「しらせ」で昭和基地へ向かう予定だ

戦後10年、敗戦国日本の決断

話は1955年にさかのぼる。ベルギーのブリュッセルで開催された国際地球観測年(International Geophysical Year)特別委員会で日本は南極観測への参加を表明した。しかし、欧米各国の中には、敗戦国日本が国際社会に復帰することへの根強い反対意見もあったという。それでも日本の参加を支持してくれた国の後押しもあって、日本は南極観測の準備を開始することになる。戦後から10年たったとはいえ、日本はまだまだ貧しく、戦争の傷跡も引きずっていた。街頭や駅前では、戦病衣姿でハーモニカやアコーディオンを奏でる傷痍(しょうい)軍人の姿を、筆者も子供心に覚えている。そんな時代での一大国家プロジェクトのスタートであった。

国際地球観測年を契機に日本が南極観測を始めるかもしれないという情報を入手した朝日新聞社の矢田喜美雄記者は、社の上層部に働き掛け、南極学術探検のプロジェクトを立ち上げた。そして、全社を挙げてのキャンペーン活動が始まり、募金運動も全国的な広がりを見せた。当時、文部省、日本学術会議、そして「宗谷」を運航する海上保安庁など関係者の並々ならぬ決意と努力があったことはもちろんであるが、それを後押ししたのは国民の熱い期待と民間企業の情熱であった。

こうして1956年11月8日、大勢の国民の熱狂的な見送りを受けて南極観測船「宗谷」が東京湾・晴海埠頭(ふとう)を出航した。くしくも同年、日本は国際連合への加盟を果たしているが、当時の人々は、南極へ船出する「宗谷」の姿を国際社会に復帰する日本の姿と重ね合わせて見ていたのではなかろうか。同時にこのことは、戦後日本が科学立国として生まれ変わる決意を国の内外に宣言した象徴的な出来事でもあったと、改めて思う。

1956年11月8日、南極観測船「宗谷」の出航

脈々と受け継がれる先人たちの “南極スピリット”

こうして国民の期待を一身に背負って出航した「宗谷」ではあったが、南極では厚い氷とブリザードに行く手を阻まれ、何とか第1次越冬隊は送り出すことはできたものの、帰路は氷に閉じ込められて動けなくなってしまった。そして近くの海域にいたソ連(当時)の「オビ号」に救援を求め、辛くも脱出に成功した。当時は冷戦時代で、日本とソ連とは決して友好国同士ではなかったが、そんなことにはお構いなく、「南極では困った時はお互い様」の精神が発揮された場面であった。この精神は現在においても脈々と受け継がれている南極スピリットの一つである。

第1次越冬隊は、西堀栄三郎隊長以下11名で越冬を開始した。海氷上に置いてあった食料が流されたり、観測小屋が火災で焼失したり、命の危険と隣り合わせの日々であったことが、西堀隊長の名著『南極越冬記』(岩波新書)を読むと痛いほど伝わってくる。南極という圧倒的な自然の中で、創意・工夫を重ねて観測や設営に立ち向かった隊員の精神は、今の時代にあっても決して色あせることはない。

新発見―隕石、オゾンホールに「コケボウズ」

これまで、南極観測を始めなければ知られることのなかった発見がいくつかある。まずそれらを紹介させていただく。

月、火星起源を含む隕石の大量発見

1969年、内陸で雪氷の調査をしていた第10次隊の吉田勝隊員が、やまと山脈(昭和基地の南南西約 300キロの地点にある山脈)の氷の上に黒い物体を偶然見つけた。吉田隊員は地質学者であったため、この物体が地球の石ではないことを現場で見抜いていた。帰国して詳しく調べてみると、何と隕石であったことが分かった。その後日本は組織的な隕石探査を続け、2016年現在、日本隊が発見・回収した南極隕石は1万7000個を超える。

2013年1月、第54次観測隊によるセール・ロンダーネ山地における隕石探査

この大量発見は決して偶然ではない。日本の37倍の面積の南極大陸をやみくもに歩き回ったところで隕石が見つかるものではない。隕石が集積するメカニズムを突き止め、それに従って集中的に探査を行ない、南極が隕石の宝庫であることを世界中に知らしめた事実は、日本の大きな功績として記録にとどめておかねばなるまい。

南極隕石のほとんどは小惑星起源とされているが、中には月起源や火星起源の隕石も含まれており、今後も新しい発見があるだろう。2019年は南極隕石発見50周年である。翌2020年には、小惑星への長旅を終えた「はやぶさ2」が地球に帰還する。南極隕石の発見が扉を開いた惑星物資科学のさらなる進展を期待したい。

オゾンホールを世界最初に報告

南極上空のオゾン量が急激に減少していることを、1982年に第23次越冬隊が昭和基地の観測で捉えた。観測を担当した忠鉢繁隊員によれば、最初は観測機器の故障を疑うほどの異常な値だったという。越冬を終え帰国した忠鉢隊員は、1984年にギリシャで開催されたオゾンシンポジウムで成果を発表し、これが南極上空のオゾンホールの世界最初の報告となった。オゾン量の測定には「ドブソン分光計」という装置を使用するが、通常は太陽光を使って行う観測を極夜期(太陽が昇らない時期)にも実施するため、月明かりを利用した方策を独自に編み出した。ここにも、日本人の創意と工夫の跡が見られる。

オゾンホールの拡大は、南極だけの問題ではなく地球全体の環境問題として、やがて「モントリオール議定書」(1987年にカナダで採択、1989年発効)につながっていく。その取り組みが功を奏したのか、一時期は南極大陸の2倍ほどに拡大したオゾンホールは、このところ縮小の傾向を見せている。

オゾン層は、地球に降り注ぐ有害な紫外線を水際で食い止めるという重要な役割を担っている。もしオゾン層が破壊されると、生物にとっては地上での生息ができなくなり、紫外線が届かない水中や地中の生物のみが生き残ることになるかもしれない。

南極の湖底に群生する「コケボウズ」

1995年、第36次越冬隊の伊村智隊員が、昭和基地付近の岩盤に点在する湖の底に奇妙な物体を発見した。大きさは直径40センチ、高さ60センチ余りの緑色の塔状の植物で、「コケボウズ」と名付けられた。これは、苔類、藻類、シアノバクテリアなどが群生して塔状になったもので、湖の底に群生している。

南極では、極寒の冬の期間でも海や湖が凍結するのは表面だけで、内部まで完全に凍結することはないが、それにしても湖底の森林ともいうべき大規模な植生があったことは大きな驚きであった。いつ、どのようなきっかけで彼らは南極をすみ家とするようになったのか、興味は尽きない。南極のような極限環境にすむ生物の生態は、地球の生命の起源や進化とも深く関わっているはずだ。

「コケボウズ」観察のために湖底に水中ビデオシステムを設置(2010年1月、第51次観測隊)

「アイスコア」は地球環境のタイムカプセル

内陸のドームふじ基地での氷床掘削の様子。光の当たっている場所が掘削孔入口。そこにドリルを降ろして氷を掘り進む (2005年1月、第45次観測隊)

南極大陸には、最大4000メートルを超える厚い氷床がある。これは南極に降り積もった雪が積み重なったもので、深い場所にある氷ほど年代が古い、ということになる。昭和基地から1000キロ内陸にあるドームふじ基地では、2007年にほぼ岩盤に達する深さ3035メートルの氷を掘り抜いて、今から約72万年前の氷(柱状の氷の試料;アイスコア)を取り出すことに成功した。こうして掘削したアイスコアの解析の結果、過去72万年間の気温や二酸化炭素濃度の変動の様子が、連続したデータとして明らかになった。その意味では、南極の氷床コアはまさに地球環境のタイムカプセルといえよう。

ドームふじ基地は1996年に開設されたが、標高は3800メートル、平均気温はマイナス50℃、最低気温はマイナス80℃まで下がる。このような場所に基地を造るためには、まず極低温に耐え、大量の物資を輸送できる大型雪上車の開発が必要であった。また氷を掘るドリルも、国内やグリーンランドでのテストを重ねて、世界最速のドリルが完成した。アイスコアの掘削には、こうしたテクノロジーに支えられた側面があることも指摘しておきたい。

南極から見える地球・宇宙の未来

2001年、第42次観測隊で越冬中の筆者。今年11月に出発する第58次南極観測隊の隊長に任命された

「南極は地球・宇宙ののぞき窓」と呼ばれるが、極地観測とは、全地球規模および地球近傍(きんぼう)の宇宙空間の変動、とりわけ環境変動を引き起こす要因を解明し、その変動を監視するということに他ならない。地球の環境変動メカニズムは決して単純なものではなく、太陽エネルギー、宇宙線、地球磁場、プレート運動、海流、氷床、生物活動などが複雑に作用し合い、それらが地球上の大気、海洋、動物相・植物相に影響を及ぼし、それがまた次の変動への引き金になる、という大きな流れの連鎖である。

その意味では、氷床、海洋、陸地がセットで存在する「極域」は、地球上では稀有(けう)な場所であり、それゆえに他の地域に比べて比類なき科学的優位性を有していることを強調しておきたい。「南極観測って、何のためにやっているんですか?」という質問には、「今地球で何が起こっていて、これから地球はどうなっていくのかを科学的に明らかにするためです」と答えたい。このことは、地球というプラットフォームに人類が生存することの意義、つまり「我々人類はどこから来て、どこに向かおうとしているのか?」という問い掛けへの答えを探し求めることでもある。

(2016年10月3日 記)

バナー写真:アデリーペンギンの昭和基地訪問(2011年、第52次観測隊)/バナーおよび本文中写真提供=国立極地研究所

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