サイエンス・フロンティア

フリクション:世界で15億本売れた魔法のペン

科学 技術

ボールペンは消せない――。この常識を打ち破ったパイロットコーポレーションのフリクションシリーズ。世界中で15億本が売れ、人々の生活をも一変させた“消せるペン”は、30年以上にわたる研究の成果だった。

0.7ミリのキャップ式ボールペン「フリクションボール」が2006年に欧州で販売を開始してから今年で10年。170カ国以上にわたるパイロットコーポレーションの販売エリアのうち、特に欧州とアジアで圧倒的な人気を誇る。同じ原理のインキを使った蛍光ペンやスタンプなどシリーズに含まれる商品は20に上り、こうしたシリーズ商品も含めて世界累計販売本数は15億本という。

フリクションスタンプ

スタンプは2014年、30種で販売スタート。人気が広がったママや子どもにも喜ばれるデザインを2015年、更に追加し現在は60種で展開(パイロットコーポレーション提供)。

日本での販売開始は、欧州の翌年2007年。欧州と同じくフリクションボールに始まり、続いて発売されたノック式のボールペンや、スタンプといったシリーズ商品が次々と消費者に受け入れられた。ユーザーのすそ野は、ビジネスマンから子どもまでと幅広い。

欧州ヒットの陰にあった、フランスのマーケティング担当者のひらめき

欧州での先行発売はグローバル展開する同社にとっては決して珍しいことではないという。欧州での展開は、子どもが学習時にボールペンと修正ペンを使用していることに着目したフランス人の欧州マーケティング担当者が、販売を強く望んだことが特に奏功した形だ。

欧州では、ノック式のボールペンも販売されたが、キャップ式のフリクションボールがロングセラーになっている。愛好家も学生が中心。「勉強にボールペンを使う欧州では、消せるボールペンの登場で修正ペンをいちいち使う必要がなくなり、特に子どもに重宝されているようです」(同社)。欧州の勉強風景を一変させた商品だ。

日本の消費者が待ちわび、2010年に発売されたフリクションボールノック。キャップがなくても乾かないフリクションインキの開発に成功し、満を持しての商品化となった。(パイロットコーポレーション提供)

キャップ式フリクションボール(パイロットコーポレーション提供)

フリクションインキの肝は、変色温度調整剤の温度幅

この“消せるペン”の秘密は、特殊なインキ「フリクションインキ」にある。これは、ロイコ染料(発色剤)、顕色剤(発色させる成分)、変色温度調整剤を一つのマイクロカプセルの中に均一に混合し、封入して顔料化した「メタモインキ」と呼ばれるインキを、変色温度調整剤の温度幅を広くするなど長年かけて進化させたものだ。

メタモインキの構造(パイロットコーポレーション提供)

メタモインキに入っているロイコ染料は、黒、赤などの色を決める成分だが、単体では発色しない。発色させるには、これを顕色剤と化学的に結び付ける必要がある。その時に重要になるのが、変色温度調整剤。これを加えることで、温度が上がると色が消え、温度が下がると発色するという特徴が生まれた。この変色温度調整剤の種類を変えることで、インキ(マイクロカプセル)が変色する温度を自由に選べる。

ある温度で消え、ある別の温度で発色するフリクションインキの特性を表したグラフ。その温度幅を広げることで、筆記具としての用途が広がった(パイロットコーポレーション提供)。

当初は変色温度幅が狭く、色が消えたり、再び発色したりといった変化が起こりやすかった。しかし、これでは気温の変化などで消えてしまうなど、困ったことになってしまう。そこで、筆記具として実用化するには、一度書いたら簡単には消えず、一度消えたら簡単には発色しない、変色温度の幅が広いインキが必要だった。

開発を続け2005年、65度以上で色が消え、再び発色させるためにはマイナス20度まで冷やす必要があるという、「変色温度の幅が広い」特徴を持たせることに成功。フリクションシリーズの最初のアイテム、フリクションボールの誕生につながった。この65度で消えるという特性を生かし、消しゴムの役割を果たすラバーも、筆跡をこすると65度以上の摩擦熱が発生するよう設計されている。

30年以上にわたる歴代研究員の努力

フリクションボールシリーズ

フリクションシリーズが誕生するきっかけとなったのは、40年以上も前の同社研究員のひらめきだった。一夜にして色が変わる紅葉を見て、「この魔法のような変化をビーカーの中でも再現したい」と考えた研究員。彼がいなかったら、温度変化で色が変わるメタモインキ開発はなかっただろう。しかし、このひらめきから間もない1975年、同社はメタモインキの開発に成功し特許も取得したが、このインキを使ったボールペンを商品化するには、さらに30年の歳月が必要だった。

最大の課題は、変色温度幅を広げることだった。当初のメタモインキは変色温度が狭く、前述のように筆記具には適さない特徴を持っていたからだ。冷水を入れると花の柄が浮かび上がる紙コップなど、メタモインキの関連商品を売り出してはいたが、研究員たちは、「筆記具メーカーとして、消せるボールペンをいつか必ず作りたい」と改良を重ね続けた。

温度幅は大幅に広がったものの、高温の状態に置くと消え、極度に冷やすと再び発色するフリクションインキ。「用途は選んでくださいとお伝えしています。特に、証書や宛名など消えてはいけないものには使えませんのでご注意を」と話す営業企画部二宮清夏さん。

そのためには、温度幅を広げ、適した温度変化を可能にする変色温度調整剤を見つける必要があった。また、ボールペンの開発に向けては、インキ粒子の小型化も必須だった。マイクロカプセルの中に3つの成分が入るメタモインキは粒子が大きくなりがちだが、ボールペンの先からなめらかにインキを出すために、それをできるだけ小さくしなければならなかった。

2002年、同社はインキの粒子を当初の5分の1にあたる2~3ミクロン(人の毛髪の約40分の1に相当)にまで小さくすることに成功。そして、2005年、変色温度の幅を80度前後(-20度~65度)まで拡大させることにも成功し、筆記具用メタモインキであるフリクションインキが誕生、商品化に向けて大きく動き出した。

15億本という爆発的なヒットとなったフリクションシリーズ。同社営業企画部の二宮清夏さんは、「このフリクションシリーズは、特定の一人の努力でここまで愛される商品になったわけではありません。歴代の研究員が成果をリレーのようにつないで開発し、世界にいるマーケディング担当者のセンスと知恵でお客様に届け、気に入ってくださったお客様が口コミで広げてくださいました。奇跡的なことが重なった結果だと思っています」と話している。

取材・文=益田 美樹
動画撮影=大谷 清英(ニッポンドットコム編集部)

バナー写真=銀座・伊東屋のフリクションボール売り場

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