シンポジウムリポート

ハンセン病:差別的な法律の撤廃に向けて

社会

ハンセン病患者・回復者の前にはいまなお教育、就職、旅行を阻む法的障壁が立ちはだかっている。なかには差別のために結婚できず、子供を持てない人もいる。日本財団と国際法曹協会は最近、こうした不公正な法律の撤廃を求めて国際キャンペーンを始動させた。イギリス人ジャーナリスト、ポール・メリーが取材した。

国際法曹協会(IBA)は、2013年1月24日にロンドンの法曹協会ビルで開催した会合で、ハンセン病患者・回復者に対する偏見と差別を撤廃するための8回目のグローバル・アピールを全面的に支持した。

このアピールは日本財団会長で、世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧特別大使および日本政府ハンセン病人権啓発大使を務める笹川陽平氏が主導するものである。

人権や平等を重んじている国々でも、現在では完治可能となったハンセン病の患者・回復者に対して明らかに不公正な法令をいまだに継続しているところがある。

41の国と地域にメンバーで構成するIBAは、ハンセン病患者・回復者やその家族に対する法的制約の撤廃に向けた運動を後押しする、重要な役割を果たすことができる立場にある。アピールの目的は、ハンセン病患者・回復者のために社会的、経済的な機会を広げ、自由に旅行しやすい環境を整えることである。

時代遅れの法律が差別と偏見を生む—笹川氏

インドにはとくに広範囲にわたる差別的な法令が存在し、そのうちの一部はハンセン病の治療法もまだ未熟な上に、政府が感染の拡大防止に躍起になっていた19世紀半ばまでさかのぼる法律も残っている。だがもちろん、こうした例はインドだけではない。

ロンドンの法曹協会ビルで開催したグローバル・アピール

米国では現在でも、入国するすべての移住者や難民に対して、ハンセン病の検査を義務づけている。台湾も、居住を希望する者全員にハンセン病検査を課している。英国国境局が、ハンセン病がビザ交付を拒否する正当な根拠とならないことを確認したのは、何と2012年6月だった。

ロンドンの「グローバル・アピール」宣言式典でスピーチする笹川陽平氏

このように、差別的な法令が広範な地域に根強く残っていることが、8回目を迎えた今年のグローバル・アピールのパートナーに法律専門家が選ばれた理由である。このアピールはこれまで、人権グループ、宗教指導者、企業経営者、大学総長などをパートナーとして支援を得てきた。

「ハンセン病が完治する病となった今日にいたっても、患者・回復者は差別に苦しみ続けています。世界の一部の地域では、ハンセン病にかかった人が結婚生活を維持したり、自由に旅行したりすることさえ難しいのです」と、アピールの主導者のひとりである日本財団の笹川陽平会長は強調した。

「差別が根強く残っている一因は、さまざまな法律や規制が存続していることです。こうした法律は意図的に維持されているというより、法令集に残ったままほとんど忘れられているというのが実情でしょう」と笹川氏はロンドンの式典で語った。「このような時代遅れの法律が偏見と差別をあおっているのです」

世界からのハンセン病一掃のために

WHOのハンセン病制圧特別大使である笹川氏は、ハンセン病と、その患者が直面する差別との闘いに深い情熱を傾けている。

「私の人生の課題のひとつは、ハンセン病を世界から一掃することです」と笹川氏は言う。「ハンセン病は非常に古くからある病気です。この病気は、人間が他の人間を差別する原因となってきた。この病気にかかると家族からも見捨てられ、まるでその人が存在しなかったかのように無視されることがあります。そんな病気など、他には聞いたことがありません」

笹川氏は、やはり彼が関わっているエイズ撲滅キャンペーンの場合には、エリザベス・テイラーのような有名人の支援が助けになってきたと指摘する。ハンセン病はそのような形で世間から注目を集めたことはない。患者は社会から孤立し、差別され続けてきた。治癒したのちも社会から締め出されているケースが多い。

現在も多くの誤解が根強く残っている。笹川氏によると、アフリカのある国の大統領は、地域のハンセン病病院のそばを通るたびに車の窓を閉めるよう命じ、大急ぎで走り抜けていたことを認めたそうだ。別の国の指導者は、悪いことをするとハンセン病がうつると支持者たちに警告していたと、笹川氏に明かしたという。

このような偏見や誤解が存在しているために、差別的な法律が当たり前のように残る環境が作られてしまっている。中国は北京オリンピックの開催直前まで、ハンセン病患者・回復者が観戦のために入国することを禁止する予定だったという。笹川氏が胡錦濤国家主席に直接手紙を書いた結果、ようやく方針が変更された。

一時的な問題であれば、こうした個人的な努力で解決できる場合もあるだろう。しかし、差別的な法令を確実に撤廃するためには個人の努力では足りず、系統的かつ持続的な行動以外に方法はない。

アピール10年後に国連が差別撤廃を決議

「私はこれまで、系統的な方法で問題を解決しようと努力してきました」と笹川氏は語る。「10年前の2003年に、私は国連人権高等弁務官事務所にアピールを行いました。そして2010年、国連総会が差別撤廃決議を採択したのです」

今回のようなシンポジウムは世界各地を巡回して開催され、専門家を招集して徐々にメッセージを広めつつある。すでにブラジルとインドで会議が開かれており、エチオピアと、中東および欧州の各地で開催が予定されている。

日本財団の田南立也常務理事によると、現在でも毎年25万人が新たにハンセン病に感染しており、うち12万人をインドが占めるという。

しかしハンセン病はいまや完治する病気になった、と田南氏は説明する。そして症状が目に見えるため、定期的に健診を実施すれば新規の症例を早期に発見できる。たとえばインドのウッタルプラデシ州では、学童に簡単な質問表を記入してもらい、症状があった場合に報告できるようにしている。だが、進歩にはリスクも伴うと田南氏は指摘する。「ハンセン病はすでに大規模な公衆衛生上の問題ではなくなっているため、一部の途上国では政府が楽観的になり、地元の医療関係者のための予算や教育を削減するケースもあるのです」

回復した後も厳しい闘いは続く

ヘレナ・ケネディーIBA人権機構共同議長

さらに、ハンセン病にかかった人には、たとえ治療がうまくいっても、人生を充実させるうえでのさまざまな社会的、法的な障壁が立ちはだかっている。「差別と苦悩の大きさを知って心の底から驚いた」と語るのは、IBA人権機構のヘレナ・ケネディー共同議長だ。

ケネディー氏は、差別が残っているために、ハンセン病の治療が十分に成果を上げられないこともあり得ると指摘した。初期症状を自覚したとしても、差別を恐れるあまり、早期に治療を受けることをためらうケースがあるからだ。

インドにはいまも残る法的制約の顕著な例がある。インドでは、ハンセン病が離婚の法的な根拠として現在でも有効であり、いくつかの州では、ハンセン病患者・回復者は地方議会選挙に立候補する権利を認められていない。完治していても、居住する地域から退去させられて特別居留地への移動を強いられる場合すらある。ケネディー氏は、インドの1999年の自動車法では、ハンセン病にかかった人には運転免許を取得する権利すら認めていないと指摘する。

変化のために圧力を強める時

インド回復者団体のヴァガヴァサリ・ナルサッパ会長

インドのハンセン病活動家は、過去数年間にある程度の前進がみられたと報告している。しかし前途は遼遠だ。ヴァガヴァサリ・ナルサッパ氏は2006年にアンドラプラデシ州で、国内に101カ所あるハンセン病者居留地を代表するインド回復者団体「ナショナル・フォーラム」を立ち上げた。彼自身、子供時代に、病気が治癒したにもかかわらず村から締め出された経験をもっている。

ナショナル・フォーラムの副会長としてナルサッパ氏とともに活動するグントレッディ・ベヌゴパール氏は、ハンセン病の疑いを持たれた子供たちが学校入学を拒否されることがしばしばある、と言う。ハンセン病の治療のために病院に通っているというだけで、社会からのけ者にされかねないのだ。タタ・グループなどの一部の大手企業はハンセン病患者・回復者を雇用するよう努力しているが、就職口を見つけるのが難しい場合が多い。女性の場合は結婚相手を探すのも困難だ。「考え方を変えなければならないのです。変化のための圧力を強める必要があります」とベヌゴパール氏は語る。

ナルサッパ氏とベヌゴパール氏が指摘するように、ハンセン病患者・回復者が居留地で暮らすことがあるのは、自分たちが受け入れられ、人間関係を築き、通常の結婚生活を営める場所がそこにしかないからだ。

ハンセン病にかかった人々の権利擁護の闘いのために法的手段を行使することでは、ある程度の進展がみられた。たとえばアンドラプラデシ州には、優れた裁判制度と人権問題専門弁護士のネットワークが整っている。ハンセン病患者が確実に治療を受けられる環境を整備しようと、訴訟も起こされている。この病気にかかると手足の感覚が一部失われるため、怪我をしやすくなる人が多いからだ。

ナルサッパ氏とベヌゴパール氏は、IBAとの新たな協力関係や日本財団の支援に助けられ、ハンセン病患者・回復者に対する根強い法的差別との闘いに向けてより多くの資源が動員されることを期待している。

シンポジウム 日本財団 ハンセン病