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ヤンゴンの“山手線”再生へ:渋滞緩和と鉄道近代化への挑戦(下)

政治・外交

ミャンマーの鉄道近代化に向け、現地で汗を流す日本の技術者たち。そのモットーは、人材育成を含めたトータルな技術支援だ。

60年ぶりに信号システムを一新

ミャンマー国鉄の中心となるヤンゴン中央駅は、完成した1954年の姿を今もほぼそのままに残している。駅舎は仏塔を思わせる4つの尖塔を持った3階建ての立派な建物。だが、築60年以上たっても全くといっていいほど手が入っておらず、老朽化が著しい。切符の販売も改札も、いまだに手作業で行われている。

ヤンゴン中央駅の駅舎

長距離路線の切符売り場に並ぶ人々

長距離路線の待合室

何もかも、時が止まったかのような中央駅。だが、ここのホームで迎えてくれた日本コンサルタンツ株式会社の松尾伸之さんは、線路を指差してこう言った。「これが日本の無償資金援助で導入された新しい転てつ機です。周囲をよく見て下さい。日本で見慣れた鉄道信号があちこちに設置されているでしょう。駅内の全てのシステムを更新しました。旧システムとの切り替えは、5月26日の夜に行いました」。

ヤンゴン中央駅に設置された新しい転てつ機などの信号システム

昔のままのホームに取り付けられた、新しい鉄道信号

駅舎の3階にある旧信号司令室には、役目を終えたばかりの巨大なポイント制御機が残されている。英ウェスチングハウス社製で、何十本ものレバーがずらっと並ぶ。ミャンマー国鉄の技師、ゾー・ミョー・サンさんは「以前はこの機械の前に4、5人の職員が並んで、司令役の指示を受けて手動でレバーを操作していました」と話す。レバー操作を電気信号に変えて実際のポイントが切り替わるという、60年前には世界最新鋭のシステムだったということだが、「何しろ老朽化で、電気系統のメンテナンスが大変でした」。

新システムは大型の液晶モニターを前に、2人の職員がコンピューターのマウス操作でポイントを制御する。中央駅のポイントは81カ所あり、日本の大宮駅や仙台駅と同規模。万が一操作のミスがあっても2つの列車が同じ線路に入ることのないようコンピューターが自動制御するため、ポイント事故の危険はなくなった。

60年以上も稼働して役目を終えたポイント制御機

新システムでポイントを制御するミャンマー国鉄の職員

駅舎の一室にはこのほか、職員のシステム習熟を図る「シミュレーター」が設置された。トラブル時の対応などを担当者がシミュレーターで繰り返し訓練できるほか、若手職員の研修に使われる。松尾さんは「新しいシステムを入れるだけではない。それを使う人たちの育成も含めて考えるのが、日本の技術支援の在り方です。機器の更新は中央駅にとどまらず、これからミャンマー全土に広がっていくはずですから」と話した。

軍政時代、ボランティアで技術指導にあたった鉄道マン

ミャンマーの鉄道に対する日本の援助、技術支援は2011年の民主化以降、大幅に拡充した。しかし、それ以前にも、鉄道マン同士の強いきずなが両国間にあった。

日本ミャンマー友好協会の副会長を務める高松重信さんは国鉄勤務時代の1982年、当時のビルマ国鉄へ技術指導で派遣された。その後は「手紙のやり取りを通じて」相談を受けていたが、2003年にミャンマーの友人から「なんとか助けてほしい」との要請があった。

当時のミャンマーは軍政がアウンサンスーチーさん(現・国家顧問)を軟禁し、欧米諸国や日本政府は経済・技術援助を停止していた。そのためミャンマー国鉄は窮地に陥り、満足な列車運行ができなくなっていた。

高松さんは友好協会の一員としての資格で、ボランティアで現地の技術指導を行った。当時取り組んだのは、日本の中古鉄道車両をミャンマーで走らせる可能性を探ることだった。ミャンマーの線路の軌間(ゲージ)は1000ミリで、日本は1067ミリ。まず日本のディーゼル機関車を持ち込んで、現地の鉄道工場で改造方法の研究を重ねた。この技術的めどが立ったことで、日本で使われなくなった気動車(ディーゼルカー)、機関車がミャンマーにこれまで300両以上譲渡された。

ヤンゴン環状線を走る日本製の気動車

高松さんは「長年ミャンマーの鉄道マンや政治家と付き合ってきて、この国の人は優秀だと実感している」と話す。一方で、将来についてはこう注文も付けた。「鉄道は大都市圏の交通にとって不可欠だが、まだまだこの国の輸送力は足りない。将来像がどうあるべきかを初めから見直して、都市計画とマッチングさせて整備を図るべきだと思います」。

新型車両を長く大事に使いたい

ヤンゴン環状線の近代化・リニューアルに伴い、早ければ2020年にも日本の新車両(電気式ディーゼル気動車)がミャンマー国鉄に導入される。11編成、66両の予定で、費用は日本の円借款で賄う。新車両は運行スピードアップの要で、運用が開始されれば現地の人々に大きなインパクトを与える存在になるだろう。

導入後の大きな課題の一つが、この新車両の定期点検・整備を確実に行い「故障なく、長く大事に」使っていけるかどうかだ。この地味だが大事な仕事を現地に根付かせようと、日本の鉄道マンが技術指導に当たっている。

ヤンゴン北部にあるインセイン車両基地。出迎えてくれた日本コンサルタンツの黒崎由紀夫さんと松本重夫さんは、160人が働くこの職場で「イノベーションスタッフ」として抜擢された8人の若手職員とともに、さまざまな業務改善を提案、実践する日々を送っている。

黒崎さんは「日本でやっていることをそのまま教えているわけではなく、ここの現場に即した基礎的な部分から手を付けています。いま重点的に取り組んでいるのは、職場を油で汚さない、ごみやちりをなるべく入れないということです。気動車の寿命に確実に影響しますから」と話す。

インセイン車両基地の作業場。列車が運行する昼間は閑散としている

この車両基地はヤンゴン中央駅とほぼ同時に建設された、築60年を超す「年代もの」。仕事の手順も昔のままの手法が継承され、例えば車両に注入する潤滑油はドラム缶から直接ひしゃくで汲むなど無造作に扱われていた。そのため、作業場の床のコンクリートは油まみれ。また、点検時に車両の下にもぐるピットは満足な排水がされず、雨季には水がたまったまま。職員は腰から下がずぶ濡れになっても、それが当然と思いながら作業をしていたという。

黒崎さんらはドラム缶を作業場外の別室に保管し、車両に注入する際はその都度容器に汲み分けて台車で運んでポンプを使うよう指導。ピットの排水設備は改修し、水をかき出すための器具(グラウンド整備で使う「トンボ」の先にゴム製のヘラをつけたもの)を手作りするなどして、職場環境の改善に努めた。イノベーションスタッフの職員は「作業場がきれいになり、職員の士気は確実に上がった」と話す。

事務所の壁に貼られた、手作りする整備器具の設計図

車両基地のソー・ウィン・ムン所長は「2000年前後がミャンマー国鉄にとってどん底の時代だった。列車を整備しようにも部品がなく、悔しい思いをした」と振り返る。そして、こう付け加えた。「今はだんだん未来が見えてきた。われわれが今やらなければならないことは、日本の先生たちが教えてくれる技術を吸収し、なんとか付いていけるようにすることです」。

取材・文・写真=石井 雅仁(ニッポンドットコム編集部)

バナー写真:ミャンマー国鉄・インセイン車両基地で技術指導に当たる松本重夫さん(左)と黒崎由紀夫さん=2018年7月13日

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