日中の懸け橋

「和僑」の精神で日本食文化を中国に広げる・藤岡久士さん

社会 文化

中国・上海の外食市場で日系企業が生き残っていくのは容易なことではない。巨大な欧米系企業、国内事情を熟知した中国系企業と戦うだけでなく、政治状況によって巻き起こる反日感情にも影響を受けるからだ。経営者には常日頃から中国人との緊密な人間関係の構築が求められ、気が休まるときはない。そんな過酷な上海の外食市場で、レストラン9店舗の運営と食品加工会社を経営し、実績を上げている日本人がいる。藤岡久士さんだ。

藤岡 久士 FUJIOKA Hisashi

1972年神奈川県生まれ。法政大学卒業後、食品包装機械のメーカーに就職。2000年に上海に赴任するも、起業への思い捨て難く、3年後に退社。05年にイートアンド(大阪王将)の展開するラーメンチェーン「よってこや」の中国華東地区エリアフランチャイザーとして最初の店舗をオープン。現在は、ドトール・日レスホールディングス傘下のレストラン「洋麺屋 五右衛門」や「星乃珈琲」を含め9店舗を運営する会社「和餐餐飲管理(上海)有限公司」と「創見餐飲管理(上海)有限公司」、食品加工会社「伊特安食品(上海)有限公司」を経営。世界で活躍する日本人ネットワーク「和僑会」の上海支部「上海和僑会」の初代会長を務めている。

上海の外食市場で起業した29歳の日本人

上海の外食市場は凄まじく、数カ月で店が入れ替わることも珍しくない。こうした厳しい環境の中にあっても、藤岡さんは肩肘を張らず、自然体でブレない。しかも、世界で活躍する日本人を結ぶネットワーク「和僑会」の上海支部、「上海和僑会」の初代会長として、中国で悪戦苦闘する日本人起業家に手を差し伸べる。藤岡さんの中には、お洒落で優しい口調からは想像できない逞しさと、日本人の持つ「和」の情緒が共存し、中国人からの信頼も厚い。

藤岡さんは大学卒業後、日本で食品包装機械メーカーに就職したが、実家が自営業だったこともあり、心では「いつかは起業する」と決めていた。そこで、藤岡さんは27歳の時、退職を願い出る。しかし、上司から「もうひと仕事してから辞めろ」と慰留され、上海支社立ち上げのため、2000年に上海に赴任した。仕事は主力商品だった飲料用紙パック充填機の販路開拓。市場シェアを、ほぼゼロから50%以上まで引き上げることに貢献した。そして、念願の起業に踏み出す場所を日本ではなく中国・上海に決めたのである。

「巨大市場の中国・上海ですが、当時はまだそれほど多くの日本食レストランがありませんし、麺を好む中国人にラーメンだったら受けいれられると思いました」

反日デモにもへこたれない

藤岡さんは29歳のとき、大阪王将を展開する「イートアンド」と提携し、「よってこや(食尚食屋)」というラーメンチェーンを立ち上げ、店舗数を着実に増やしていった。時流にも乗った。中国の外食産業はこのころ、経済成長に伴って急激に拡大、売上総額は2010年、2兆2571億元(当時約28兆円)に達し、日本の外食産業の市場規模を超えたからだ。

しかし、すべて順調だったというわけではない。05年にラーメン店「よってこや」1号店のオープン直前、中国各地で日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名運動が引き金となって反日デモが発生。上海では一部が暴徒化し、日本料理店が投石で営業ができなくなるなどの状況の中で、1号店の開店も延期された。それでも、藤岡さんは「気持ちでやられたらだめだ」と、1ヵ月後には開店にこぎつけた。中国人従業員が待遇改善を求めて職場を一斉放棄するという事件もあったそうだが、こうした難局を何とか乗り越えることができたのは、やはり、「中国人スタッフの助けがあったからだ」という。

2005年「よってこや」1号店オープンでスタッフと。前から2列目、左から2人目が藤岡さん。写真提供:藤岡久士

反日は中国でビジネスを展開する日系企業にとって実にやっかいな問題で、中国漁船衝突事件(2010年9月)や尖閣諸島(中国名・釣魚島)国有化(2012年9月)などで日中関係が悪化すると、反日機運がその都度、高まり、デモや暴動が起き、日系企業が大きな打撃をこうむる。中でも、客商売の日本料理店などの被害は甚大だが、藤岡さんは決してへこたれない。

中国人脈へのネットワークを拡大する「和僑会」

上海和僑会4周年イベントで挨拶する藤岡さん。「3年前の東日本大震災を忘れずに、和僑会のメンバーとして、在外邦人今できることを共に取り組もう」と呼びかけた。写真提供:藤岡久士

こうした状況の中で、藤岡さんは「和僑会」の上海支部初代会長に就任した。「和僑」とは、強いネットワークを持つ中国の「華僑」にちなんだ造語。「和僑会」は2004年に香港で設立され、海外の日本人起業家の相互支援組織となっている。同会は現在、中国、東南アジア、日本の24都市に拠点を置き、昨年11月にタイで開かれた「第5回和僑世界大会」には約1000人が参加した。

和僑会の創設者から上海支部をまかされたのは、人との「和」を大切にし、ニュートラルな藤岡さんの人柄が評価されたからで、昨年まで2期3年に渡り和僑総会の副会長も兼務した。

上海支部の会員は現在、約60人。同支部は今年5月、中国人投資家などとのネットワークを広げようと、中国人経営者を加えた初の拡大会合を開催した。

そこで浮かび上がってきたのが日中の人とビジネスの違い。中国人のビジネスは、個人に対する信用に重きが置かれ、中国人の目に映る日本人は「会社の肩書重視」で、人としてのつながりがいたって希薄。日本人の駐在員は数年間、付き合っても、帰国してしまえば、それっきり。これが中国人には理解できないという。

「日中関係が厳しいからこそ、肩書ではなく個と個のつながりが大事だと思うのです。中国でビジネスを展開する僕たちの最大のビジネスパートナーは中国人です。彼らとつながる要(かなめ)の部分を和僑会が担うことができればと思っています」

藤岡さんはこう述べたあと、中国での新たな事業計画を教えてくれた。企業秘密であるレシピを販売して稼ぐための「ライセンスバンク」の創設だ。出店しなければ中国市場へ進出できなかった従来のビジネスモデルを一変し、ロイヤリティビジネスに転換。中国市場進出のハードルを下げ、中国人投資家の資金を呼び込みやすくするためだという。

「ゼロからイチを生む」の精神で挑戦

また、藤岡さんは、現地で入手できる原材料・仕入情報やセントラルキッチン機能の提供、メニュー開発支援などのサービスも検討している。これまでの外食産業は“垂直統合型”のビジネスで、独自のノウハウが詰まったセントラルキッチンを共有化することなどは考えられなかったという。

2012年7月Laboratory竣工式。和僑会のメンバーはじめ、多くの人が集まった。写真提供:藤岡久士

「セントラルキッチンを共有する“水平分業型”を仕掛けることで、コストを大幅に圧縮し、中国への進出障壁を減らし、その後の運営についても安定化を実現できます」

このために藤岡さんが設立しようとしている会社がある。名前は「ゼロイチ」。

「ゼロからイチへ何かを生み出す、何かを生み出すことができて初めて、文化に新しい風を吹き込むことが出来ると思っています。和僑の力で中国をはじめ世界に“日本の味”を広めていきたい」

中国・巨大市場での藤岡さんの挑戦はまだまだ続く。

 

 

 

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