歌声で日中を結ぶ“シルクロードの歌姫”—司馬麗子さん
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日本人大物ギタリストが西安で“才能の原石”発見
司馬さんが生まれた新疆ウイグル自治区は「歌と踊りの故郷」ともいわれ、少数民族の人たちは、子供のころから何人か集まると、どこでも、よく歌い、よくダンスをするそうだ。
「子供のころから歌や踊りは好きでしたね。新疆のそんな風土で育ち、音楽が私の身体にしみ込んでいるのかもしれません」
司馬さんの父親は銀行員で、音楽一家ではなかった。が、母親が映写機関係の仕事をしており、子供のころからよく映画をみて自然に音楽に親しみ、司馬さんは音楽、中でも歌の世界にどんどんのめり込んでいった。そして、ウルムチで高校を卒業すると、司馬さんは迷わず西安音楽大学を受験して合格。声楽科で子供のころからの夢だったソプラノ歌手を目指すことになった。
そんな司馬さんに大学4年生のとき大きな出会いがあった。日本の国際交流基金が87年に企画・実施したクラシックギターの中国公演で西安を訪れた日本人ギタリスト、鈴木巌さんと知り合ったことだ。鈴木さんは57年にモスクワ国際ギターコンクールで第1位金賞を受賞し、NHK教育テレビ「ギターを弾こう」の講師を務めたこともある大物で、司馬さんは鈴木さんの舞台で司会を努めた。
「声のきれいな子だなと思いました」
鈴木さんは当時を振り返る。司馬さんは少数民族とはいえ、ウイグル人ではない。母方の祖母は白ロシア人、祖父は漢族。色白で、キラキラと光る大きな目の司馬さんは、学生司会者だったが、舞台で輝いていた。鈴木さんは声楽家としての司馬さんの才能を感じたという。
「鉄腕アトム」「山口百恵」「高倉健」にあこがれて
だが、司馬さんはすぐに日本留学を決めたわけではない。88年に西安音楽大学声楽科を卒業したあとは、中国でソリストとして活動し、90年には陝西省西安テレビ局主催声楽コンクールに参加し、第1位を獲得した。中国は当時、改革開放政策の時代に入っていたとはいえ、中国の国際化は今のように進んではいなかった。
この中で、司馬さんは日本のアニメ「鉄腕アトム」、山口百恵の歌、高倉健主演の映画に出会い、魅了されたという。
「鈴木先生との出会いがありましたが、やはり、『鉄腕アトム』のアニメや山口百恵さんの歌、高倉健さんの映画をみて、本当に日本に行ってみたいと思いました」
司馬さんが日本にやってきたのは93年6月のことで、京都の日本語学校で学ぶことになった。中国の友人が紹介してくれた業者に留学の手続きを依頼したところ、学校が東京ではなく、京都になってしまったという。しかも、司馬さんが日本留学について知らせた中国からの手紙は保証人となった鈴木さんには届かず、司馬さんはそのまま来日し、京都で日本語の学習を始めた。
「アルバイトしながら勉強をしました」
司馬さんが鈴木さんと再会できたのは93年12月末。鈴木さんのもとに突然電話があり、司馬さんがたどたどしい日本語で「今、東京にいます」と言ってきたので、鈴木さんはびっくり。94年正月2日、司馬さんを渋谷駅まで迎えに行き、世田谷の家まで連れてきたという。
東京音楽大学で学びプロのオペラ歌手に
司馬さんが日本にきたのはやはり音楽のため。鈴木さんは旧知のオペラ歌手で、東京音楽大学で教授を務めていた滝沢三重子さんに連絡し、司馬さんの件を頼んでくれた。当然、入試もあったが、基礎ができていた司馬さんは見事合格。94年4月に東京音楽大学声楽研究科に入学した。
司馬さんはここでオペラや声楽について2年間みっちり学び、96年に卒業した後は音楽事務所に所属。97年7月には第16回ソレイユ新人コンクールで優秀賞(第1位)受賞。シルクロード出身のオペラ歌手ということで、日本各地を公演して回り、鈴木さんとの共演も実現した。
「シルクロードの歌は、ピアノより、やはりギターの伴奏が似合います。もともと、西域の音楽は弦楽器で奏でられてきましたから・・・」
司馬さんは今回のインタビューに同席してくれた鈴木さんの方をみてにっこりと微笑んだ。
「鈴木先生、滝沢先生との出会いには感謝しています」
が、恩師、滝沢さんは99年2月4日に永眠し、今はこの世にいない。
「(コンサートの演目に必ず入れる)山田耕筰の『この道』は、厳しくも優しい滝沢先生との思い出の歌です」
司馬さんは現在、活動の場を日本だけでなく、中国、さらには欧州にまで広げ、ドイツ、イタリアなどでも公演活動を続けている。また、後進の育成を目的に、日本では鈴木さんたちと音楽教室を開き、中国では浙江省の紹興文理大学音楽学院で声楽の特任教授を務めている。
日本の友に感謝し故郷の平和を祈る
「私の周りの日本人はみな、すばらしい人ばかりで、日本で中国の悪口を言われたこともありません。また、中国でも、私の周りには、日本が好きな人が多いし、日本に旅行に行ってみたいという人も沢山います」
日中の政治関係が厳しくても、人と人との関係は変わらない。
「こんなときこそ、草の根の交流が必要なのでしょうね」
司馬さんのこの言葉に鈴木さんは大きくうなずいた。故郷、新疆ウイグル自治区では近年、少数民族の暴動が続いている。
「子供のころはそうではなかった。少数民族も、漢族も仲良く生活していたのです。できれば、昔のように、仲良く、安全で平和な地に戻ってほしい。テロや無差別殺戮はいけないことです。平和が戻ることを心から祈っています」
司馬さんは両親が住むウルムチに年に一、二回戻っている。「司馬」という苗字は中国にもあり、「史記」を書いた司馬遷が有名で、日本人作家の司馬遼太郎が好きだったこともあって決めた。「麗子」の「麗」はウイグル語の「グレイ」、即ち「花」の意味で、漢字では「古麗」と書き、そこからとり、「子」は日本の女性が名前の最後によく使う字ということでつけたそうだ。
司馬さんは10月7、8の両日、東京と横浜で「司馬麗子(ソプラノ)鈴木巌(ギター)Duoコンサート」を開催する。司馬さんはこのコンサートで、鈴木さんのギターに合わせ、「春眠不覚暁(春眠、暁を覚えず)」で始まる孟浩然の「春暁」などをソプラノで披露する。