日中の懸け橋

“中国茶葉”を守り続ける日本人—上海、広東で茶葉店経営の大高勇気さん

社会 文化

中国の上海や広州市(広東省)で茶葉の販売と茶の入れ方を教える茶芸教室を軌道に乗せた日本人がいる。“中国茶ソムリエ”の大高勇気さん(33)だ。10年前、調理師から茶の世界に転身。日本人ながら、お茶の本場の中国で、おいしい茶の入れ方を伝えながら、有機栽培の正統な茶葉の継承をライフワークとしている。

大高 勇気 OTAKA Yūki

横浜市出身。2000年、東京調理師専門学校に入学し、中国料理を専攻、都内一流ホテルで実習。中国での修行を決意し、02年に中国に赴き、広州の中山大学で中国語を学ぶ。03年5月、同地の名店で修行を続行するも、店は経営不振で1カ月で営業停止となり、茶の道を選択。04年、中国茶の通販事業を立ち上げ、06年7月に広州市芳村茶市場に茶葉店を開く。その後、店舗を市中心部に移し、茶芸講座を開設。12年に上海にも進出し、13年、有機栽培の中国茶農家支援のためのNPO法人「 茶畑みらいプロジェクト」を設立。14年5月に事業を法人化した。茶葉は日本以外に世界10カ国に輸出している。

発端は「点心」修行の広州入り

中国には、シューマイ、餃子、春巻き、ゴマ団子など、中国茶とともに楽しむ軽食があり、「点心」(ディエンシン)と呼ばれている。大高さんは「まるで無からの創造のような点心料理の技」にひかれ、当初は点心の専門職人「点心師」を目指し、東京の調理師専門学校に入学。中華料理を学びながら都内の一流ホテルの中国料理店で実習生として働き始めた。

しかし、点心など各セクションのトップはみな、中国人調理師で、本場の技を身に付けなければ、彼らを乗り越えて昇進する道はなかった。そこで、大高さんは中国での修行を決意した。

大高さんによると、茶を飲みながら点心を楽しむ「飲茶」(ヤムチャ)の発祥地は広州。最初は、早朝、茶を飲みながら点心を食べる「早点」(ゾウディム)だったのだが、それがその後、香港に伝わり、海外からの観光客らにも人気の「飲茶」に発展していったという。大高さんは2002年8月、点心の技をきわめるために広州の地を踏んだ。

老舗の飲茶レストラン休業で、中国茶販売を起業

大高さんは03年5月、業界団体の日本中国料理協会から広州きっての老舗飲茶レストラン「南園酒家」を紹介してもらい研修を始めた。同レストランは庭園の中で「飲茶」を楽むという広州三大園林酒家の1つ。大高さんは「見て盗んで学ぶ、昔ながらの教え方の日本と異なり、一流の点心師が気さくに何でも教えてくれた」と話す。

しかし、研修開始から間もない同年6月、南園酒家が経営不振で突然休業してしまった。大高さんはしばらく途方に暮れていたが、点心のレシピについては「修行を終えていた」ため、「あとは、自分で技を高めて行くだけだ」と思い直した。そこで、点心と不可分の関係にある、お茶について深く学ぶことにしたのである。

茶摘みをする親子

今度は、地元の華南農業大学で味や香りで茶を評価する「評茶」(ピンチャ)を教えていた陳国本教授に教えを請い、聴講を許してもらった。そして、半年間、評茶を真剣に学ぶうち、大高さんは茶葉の販売で起業することを決意した。自営業者だった父の影響もあり、「いつか経営者として独立することを子どものころから決めていた」からだ。

陳教授の授業を受けながら、広州市芳村区にある中国最大の茶葉市場に毎日のように通い、仕入先を探し、めどを立てた。大高さんは04年元旦、市場で知り合った中国人の茶葉問屋の名義を借り、日本の中国料理レストランに茶葉を卸すビジネスをスタートさせた。

苦境を救ったメルマガとブログ

「その後の1年ぐらいは、茶が売れず、ものすごく苦労しました」

大高さんは中国の茶葉農家に騙されたこともある。その結果、一時は、所持金がわずか3元(約50円)になり、食費にもこと欠くありさま。生まれて初めて親に金を借りた。

「あと3カ月やって結果がでなければ、茶の商売をやめようと思いました」

大高さんは起業直後の苦しい時代をこう振り返る。

危機を救ってくれたのは起業と同時に初めたメールマガジンとブログだった。そこに「金もうけよりも、本音を書くことを優先しよう」と、茶への思いや、中国の茶葉農家の苦労話などをつづるうち、ファンが増え、インターネットを通じて茶葉を買ってくれる個人客が少しずつ拡大していった。

反日デモから店を守ってくれた中国人貿易商に感謝

大高さんの茶葉店の名は「チャイニーズライフ」。08年、お茶をおいしく飲みたいお客向けに中国茶の入れ方を教える「茶芸講座」を開設し、12年から「CLTS」(チャイニーズライフ・ティースクルール)と名付けた。中国在住の日本人を中心に、これまでに計618人が茶芸を学んだ。

自ら経営する茶葉店でインタビューに応じる大高さん

しかも、生徒の約1割は中国人。40~50代の富裕層で、ほとんどが女性。外国人である大高さんが、中国茶の伝統を守り、発展させようとしていることに共感しているようだ。

12年9月16日、広州でも大規模な反日デモが起き、日本料理店などが襲われた。大高さんの茶葉店は店頭に日本語が書かれている。このため、反日暴徒のターゲットになる恐れもあった。

そんな時だった。CLTSの生徒で、茶葉をよく買ってくれる貿易商の40代の男性がやってきて「おれが一番大切にしているものが、壊されたくないから」と語り、店先に座り込んで警戒に当ってくれたのだ。大高さんは胸が熱くなったという。

店舗とCLTSは現在、広州市に2カ所、広東省深圳市に1カ所、上海市に2カ所あり、大高さんの事業は順調に拡大している。従業員も46人にまで増えた。今年5月には、中国人パートナーの助けを借りて法人化も実現した。茶葉は日本だけでなく、世界10カ国に輸出している。

中国の茶農家と一緒に作る“有機栽培茶葉”

「チャイニーズライフ」という名には、文学や思想で数多くの天才を産んだ古代中国の素晴らしいライフスタイルを現代に受け継ぎたいとの思いが込められている。

大高さんは「現在は、売れればいいとの拝金主義の風潮から、正しく作られた茶が姿を消している」と指摘。茶の栽培から製茶法まで、古来の方法がないがしろにされていることを嘆く。中国では、化学肥料で栽培した茶に、化学調味料などを加えた“おいしい茶”が流通しているそうだ。

真剣な表情で中国茶を入れる大高さん

チャイニーズライフは、中国各地の茶農家と協力し、有機栽培の茶葉だけを販売している。大高さんは、年間90日を福建省などの茶葉の産地で過ごし、農作業を手伝いながら茶農家との信頼関係を築いている。

大高さんは13年、有機栽培の茶栽培を支援するため、NPO法人を東京で立ち上げた。ビジネスだけでなく、ボランティア活動により茶農家を支援しようとの発想だ。

適正な価格による公平貿易(フェアトレード)と寄付により、中国の茶葉農家に安定収入をもたらし、有機栽培を続けてもらうためである。これに賛同する中国の茶農家の数を、福建省安溪県の茶葉農家を皮切りに、10年間で7カ所に増やすことを目標にしている。

「これからも中国で、安心、安全な中国茶づくりに取り組んでいきたい」

大高さんの夢は中国で果てしなく広がっていく。

 

 

 

 

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