すでにあるものへの視点—タイの高齢者ケアからの学び—
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介護施設にマイナスイメージが持たれる理由
タイで「高齢者ケア」について質問すると、答えに困られてしまう。日本では「老人ホーム」や「介護保険」といった設備や制度を思い浮かべるが、タイではどちらも一般的ではない。電車内に「優先席」はない。設備や制度が高齢者を支えるのではなく、家族やコミュニティーがその担い手だ。タイ人の多くは「高齢の両親を介護施設に入れたら、親不孝で冷酷だと周囲から非難されてしまう」という。
近年のバンコクでは、外資を含む民間企業や個人がごく一部の富裕層をターゲットにした高齢者介護施設を次々に開設している。介護施設としての政府への登録義務はない。医療行為が伴わなければ、ホテルやサービスアパートメントとして介護施設の運営が可能だ。そのため誰も正確な施設数を把握できないが、高齢者介護施設と名乗るものは市内だけでも100軒以上存在する。
一方、タイには中央省庁が管轄する介護施設が12カ所ある。経済的に恵まれず身寄りのない人を保護する施設としての色が強く、高齢者に限定していない。介護施設がタイ人にとって一般的でないのは、「恵まれない人が最終手段として行く場所」というマイナスイメージが根強いことも考えられる。
タイの公的な介護施設の現状
国営施設のうち最も古いのは1953年にバンコク郊外に設立されたBan Bang Khae Social Welfare Development Center for Older Personsだ。有料のバンガローや集合住宅型の個室のほか、無料の大部屋がある。さらに入所者の自立度によって設備が分かれており、重度の認知症の人が居住する建物は監獄をイメージさせるほど重厚な造りになっている。
施設の定員は約200人で満室状態が何年も続いている。スタッフによると、有料区域ではプライバシーを主張しあう入居者間のトラブルが絶えないという。筆者が見学した際、施設内にはどこか緊張感が漂っていたのが印象に残っている。
仏教文化が生活に浸透しているタイでは、寄付は後世のために徳を積むとして日常的に行なわれている。施設の運営には政府から予算が配当されているが、その額を超える寄付金と様々な物資が各地から集まる。確かに、施設の玄関には紙おむつや生活用品が山積みになるほど届いていた。このほかにも、多種多様なアクティビティが外部からの支援で行われている。
北部都市チェンマイにあるThammapakorn Social Welfare Development Center For Older Personsは、貧困かつ家族だけでなくコミュニティーにも一切の身寄りがない人だけが入居できる完全無料の施設だ。衣服、食事、医療すべてが施設から提供される。個室はない。介護が必要な入居者のための棟には、大学卒業資格を持った専門職員が24時間態勢で勤務する。
元気な高齢者はできることはすべて自分で行うだけでなく、施設の運営の一部にも参加する仕組みだ。敷地内は清潔に保たれ、スタッフは笑顔で明るく、入居者がリラックスした表情で自分の時間を豊かに過ごしていることがうかがえた。
タイに「あるもの」から学ぶこと
日本は多大な時間と資金を費やして介護保険や高齢者施設などを整備してきたが、タイではまだ普及していない。手厚い制度は多くのことを可能にした一方で、高齢者を家族やコミュニティーが支えるという日本にもあった価値観を忘れさせてしまっていないだろうか。
援助や研究の文脈でタイの高齢化が語られるとき、何が課題でどのような制度が「不足」しているのか、という議論が中心になりがちだ。だが、不足を指摘する前に、タイに「あるもの」は何かという視点を持ってみると、違った世界が見えて来ないだろうか。