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湾生回家(2016年11月)

文化 Cinema

戦前、台湾で生まれ育った日本人を「湾生」と呼ぶ。その中には、日本に引き揚げ後、再びふるさとを訪れた人もいれば、戦後も台湾にとどまって生き別れた母を探しに日本を訪れた人もいる。2015年、台湾中が感動に包まれた傑作ドキュメンタリー映画が、いよいよ日本で公開される。

作品情報

©田澤文化有限公司

監督=ホァン・ミンチェン(黄銘正)
キャスト=冨永 勝、家倉 多恵子、清水 一也、松本 洽盛、竹中 信子、片山 清子、他
エグゼクティブプロデューサー=チェン・シュエンルー(陳宣儒/日本名:田中實加)
プロデューサー=ファン・ジェンヨウ(范健祐)、内藤 諭
ナレーター=クー・イーチェン(柯一正)
声の出演=本間 岐理、ヤン・ホェイルー(楊恵茹)
撮影=リン・ウェンイー(林文義)、チェン・ミンダー(陳明徳)、タン・ヒョンソン(陳香松)
編集=ホァン・イーリン(黄懿齢)、クオ・ユーニン(郭于寧)
後援=台北駐日経済文化代表処
協力=一般社団法人台湾協会、東京台湾の会
協賛=CHINA AIRLINES、ワンハイラインズ株式会社製作
提供=マクザム、ワコー、太秦
製作年=2015年
製作国=台湾
配給=太秦
上映時間=111分
公開日=11月12日(土)より岩波ホールにてロードショー
公式サイト=http://www.wansei.com/index.html
フェイスブック=https://www.facebook.com/wanseikaika

見どころ

日本は敗戦によって50年間統治してきた台湾の領有権を放棄した。そこで生まれ育った日本人を、特に「湾生」(わんせい)と呼ぶ。

©田澤文化有限公司

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そんな湾生の中で開拓地だった台湾・花蓮(かれん)出身者の里帰りを、ドキュメンタリー形式でフィルムに収めたのが本作の『湾生回家』である。

1人目の湾生は、清水一也さん。引き揚げ時は3歳で、台湾での記憶はほとんどない。引き揚げ以前、清水さんの両親や一族は、花蓮の地を開拓し財産を築いた家柄だった。日本で育った清水さんは、湾生や台湾との交流事業に励み、自分自身のルーツを確かめていく。

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2人目は、冨永勝さん。1人暮らしの冨永さんは望郷の念から花蓮を訪ねるが、幼き頃に遊んだ友人が一人また一人、この世から去る現実に嘆き苦しむ。しかしふるさとの景色を一つでも多く心に刻もうと、かの地を訪ね続ける。

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3人目は、松本洽盛さん。9歳で引き揚げた松本さんは、常に心の中で自分のふるさとはどこなのか、自問自答を繰り返してきた。答えを求めるためにふるさとの花蓮を訪ね、自身の最期をこの地で迎えることを決める。

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4人目は、家倉多恵子さん。松本さんと同じように、日本人でありながら日本で暮らすことに違和感を覚え、自身を「異邦人」と語る。台湾を訪問中、市役所で自身の出生を記した戸籍を見つけ感極まる。

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5人目は、中村信子さん。引き揚げ後に、自身のふるさと台湾が日本の植民地であったことを知った。自分たちが不自由なく暮らしていた一方で、現地の人々に対する差別があったことを思い知る。

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戦後も台湾に残った湾生の片山清子さん。2歳の時に台湾人に養女として預けられ、戦後も台湾にとどまる。母子は戦後もお互いを探していたが、再び会うことはなかった。ある時、母の墓の場所を知った清子さん。病床にある清子さんに代わって娘と孫が日本へ墓参りに向かう。

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本作は、これまであまり知られてこなかった日台交流史の原点ともいうべきもので、歴史資料としても一級の作品である。

しかし、日本人の物語であるにもかかわらず、台湾人の琴線に触れ、ふるさととは何か、ふるさとを愛するとは何かを訴えた感動作である。台湾アカデミー賞こと「金馬賞」の2015年ドキュメンタリー部門にノミネートされ、16万人の観客を動員した。

人は年を重ねれば重ねるほど、ふるさとへの思いを強くするという。

あなたにとってふるさととは何か――。

劇場に足を運んで、映画に登場する湾生たちと一緒に振り返ってほしい。(編集部)

©田澤文化有限公司

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予告編

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バナー写真:©田澤文化有限公司

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