ムスリムの現実 in JAPAN〜「IS」が生んだ誤解の中で

日本で生まれ育った娘と「ムスリムの父」

社会

子どもは親の背中を見て育つ。日本社会に生きるイスラム教徒(ムスリム)の家庭でも、それは同様だ。しかし、日本で生まれ育った子どもたちが、必ずしも親と同じようにムスリムになるわけではない。

パキスタンの親の反対押し切って結婚

千葉県習志野市に住むユースフ・サァーラさん(22)は子どものころから水着を着たことが一度もない。夏でも、同じ年ごろの女性が着るような肌の露出が多い服は着ない。スカート丈もひざ下だ。彼女自身はムスリムではないが、イスラム教徒の父、ユースフ・アリさん(56)の気持ちをおもんぱかって、そうしている。幼い頃からずっとそうなので、いまさら肌を露出した洋服は恥ずかしくて着られないし、着たいとも思わない。

父親のアリさんは、パキスタンで「香水の都」として知られるハイデラバードで、10人兄弟の7番目として生まれた。パキスタンの治安が悪化したことから1986年3月に、友人を頼って単身で日本へやって来た。知り合った日本人女性に「猛烈にアタックして」(アリさん)、91年に結婚する。その相手が今の妻であり、サァーラさんの母親となる女性だ。だが、アリさんにとって、この結婚に至るまでの過程が日本での最初の試練となった。

というのも、パキスタンのイスラム教徒の家庭では、親の決めた相手と結婚するしきたりがあるからだ。日本人の、しかもムスリムでない女性との恋愛結婚などもってのほかだ。実家を通じてパキスタンの独身証明書を取り寄せようと試みたが、いくら待っても届かなかった。結婚に反対する両親が邪魔していたのだ。そこで、弟に頼み込んで証明書を手に入れ、親の許可を得ないままなんとか日本での結婚にこぎつけた。両親がこの結婚を許してくれたのはつい最近、5年前のことだった。

イスラムの教えが身につくと思っていたら…

やがて、2つ上の兄とサァーラさんが生まれた。

アリさんにとって、サァーラさんは「宝石」のような存在だ。2018年春、大学を卒業して希望の仕事に就くことが決まっている。そんなサァーラさんの話をするとき、アリさんは目を細めて本当にうれしそうだが、悩みがないわけではない。

「ムスリムの子どもは成長すると自然にムスリムになると信じていたのに、そうではなかったようなんです……」

食事や服装など、家ではイスラム教の習慣にしたがって暮らしていた。豚肉の入った料理はもちろん食べない。それだけではない。イカ、タコ、エビ、カニもみんなダメだ。飲酒もしない。神社やお墓で手を合わせてもいけない。他にもいろいろ決まりがある。だが、アリさんが家族にムスリムになることを強制することはなかった。アリさんは言う。

「妻は日本で生まれ育った人ですから。子どもたちも、ずっと日本で暮らすことになる。日本の生活習慣に沿ってできるだけ自由に育って欲しかった。私自身、お寺巡りが好きで、子どもを連れてお寺や神社に行くこともありましたから。でも、大人になれば自然とイスラムの教えが身につくと思っていたんですね。でも、それは間違いでした。今になって急に宗教のことを言っても、もう遅かった……」

アリさんとサァーラさんでハラール料理を作る

鶏肉と野菜のカレーが出来上がった

父を気づかって集会に

アリさんの思いは複雑だ。でも心の中で、やはり自分と同じ宗教を信じてほしいと考えるのは自然だろう。長男と妻は、最初からどうも難しそうだった。そこでひそかに期待をかけていたのがサァーラさんだった。

幼い頃からサァーラさんは、アリさんが属するイスラム教の宗派の集会によく連れて行かれた。そこにはパキスタンだけでなく、カナダやインドなどさまざまな国から来た人がいたという。日本に住むムスリムの仲間が家族連れでやって来る。お祈りなど宗教的な行事の後は、楽しい食事会などがあった。そこで同じ年ごろの友だちもできた。成長すると、お姉さんのような存在として小さい子どもたちにも慕われた。サァーラさんはこう語る。

「母も兄も行かないと言うので、私が行かなければという使命感みたいなものでしょうか。ムスリムになりたいという気持ちがあったわけではありません。父の友人たちはみんな奥さんや子どもと一緒に来ているので、父だけ一人ではかわいそうだと幼心に思ったのだと思います。小さい頃は家でのお祈りも、朝だけは父に付き合っていました。父も私に気を使って、『改宗しなさい』とは絶対に言わなかった」

給食の豚肉もスクール水着もダメ

サァーラさんが小学校に入ると、アリさんはムスリムの家庭の子どもであることを理解してもらうため、積極的に学校と関わったという。給食で豚肉が出る日は自宅から別のおかずを持参することを許してもらった。スクール水着が着られないので、プールはずっと見学にしてもらった。偶像崇拝が禁止されているため、図工の授業などで人の絵を描くこともダメだった(でも、「父の日」に描いたことが1回だけある)。

こうした説明や相談は、母親ではなくアリさんの役目だった。やがて、サァーラさんが通う学校ではアリさんの要請もあって、着衣水泳を授業に取り入れるようになったという。

しかし、中学から高校に入るころになると、サァーラさん自身が徐々に違和感を覚えるようになる。父親に連れて行かれる会合は信心深いイスラム教徒の集まりで、みんなとても真面目にお祈りをする。そこで知り合った友だちたちも。でも、サァーラさんには信仰心がなかった。そんなある日、アリさんと親しくしていたインド人の友人にこう言われた。

「いつも来てくれるのはうれしいけれど、ここに来るにはイスラムの言葉が分かって、コーランが読めて、初めて意味があるんだ。形だけのまねをするためなら、もう来ない方がいい……」

日本人としての生活との両立

ショックだった。自分でも、なんとなく場違いなところに来ているのではないかと思い始めたころだったからだ。サァーラさんは、アリさんにインド人の友人とのやりとりがあったことは告げず、「(ムスリムとしての)気持ちがないから、私はもう行かないほうがいいと思う」とだけ言った。アリさんはただ「そうか、分かった」と答えたという。サァーラさんはこう話す。

「私は日本で生まれ育った日本人です。父は大好きですが、イスラムの人たちとは考え方も文化も違う。食べ物だけなら大丈夫だけど、やはり日本人としての生活とは両立が難しい。それに、今からではもう言葉を覚える時間もないから、コーランを読むこともできない。(巡礼地の)メッカに行く時間もない。小さいうちからやっていれば可能性はあったけれど、もう時間的にも無理なんです」

休日に自宅で昼食をとるアリさんとサァーラさん

ムスリムの男性は女性をとても大事にするとサァーラさんは感じている。アリさんからも、とても大切にされているという自覚はある。大切だから守ってあげなければならない、家の中にしまっておかなければならないとも教えられた。

「父の気持ちは分かりますが、女性を家に閉じ込めておくという考えは、今の日本では合わないでしょう。私も就職が決まって仕事もあります。美しいものは隠さなければいけないという考えから、ムスリムの女性はヒジャブを被らなければなりませんが、私にはできません。もう、父の期待には応えられないのです」

結局、サァーラさんはイスラム教徒になることはなかった。

結婚式はどうします?

傷心のアリさんに追い打ちをかけるようだが、ちょっと酷な質問をしてみた。

「サァーラさんもいずれ伴侶を得ることになるでしょう。そう遠くない将来かもしれない。相手がムスリムである可能性は極めて低いと思います。日本では、信仰にかかわりなく結婚式はキリスト教や神道にのっとってやることが多い。アリさん、どうします?」

アリさんは、とても悩ましいという顔をしながら絞り出すようにこう言った。

「う〜ん。自分も親の反対を押し切って結婚したから、覚悟はしているけどね。でも、今はそのことは考えたくないです」

自宅でお祈りをするアリさん

後日、サァーラさんだけを呼び出して同じことを聞いてみた。

「だから、私はずっと前から結婚式はしたくないと思っていたんです。父のことを考えると。結婚式はどうしても宗教が絡むから、面倒なことにもなりたくない。でも、相手の家の親からどうしてもと言われたら、悩みますね……」

「ムスリムの父」と娘の葛藤は、まだしばらく決着がつきそうにない。

取材・文:山口 一臣(POWER NEWS)
写真:今村 拓馬

バナー写真:アリさんと写るサァーラさんの成人式の写真

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