現代ニッポンの結婚事情

シリーズ・現代ニッポンの結婚事情:(4)性差を超えてゆけ——ポスト平成の日本の結婚

家族・家庭 社会

男が働いて家計を担い、女が家事や育児をして家庭を守る。そんな考えが、いまも根強くあるが、果たしてこれはいつどのように生まれた考え方なのか。私たちは、その考え方にいつまでも固執していていいのだろうか。日本の結婚のあり方の歴史を紐解きながら、考える。

家父長制より母系社会の方が実利的?

日本では、これまでどのような結婚のかたちがあったのか。知っているようで知らない、その流れを簡単にまとめた図が以下だ。

夫婦は昼間それぞれの家にいて夜に夫が妻の家に行く、古代の「妻問婚(つまどいこん)」では、母子は母の生活基盤となっている村などの共同体からサポートを受けていた。男性も女性もそれぞれの生活基盤が集落にあったため、女性は男性に頼る必要がなかったのだ。とにかく労働力としての子どもが必要だったこの時代には、「父親が誰か」は問題ではなく、男女ともに複数の相手がいても構わなかったという。

主に長男である家長が家族を管理する家父長制ができたのは、律令制施行の影響があったと言われている。それが、「手柄を立てた者とその子ども」を重用する武家のシステムと合わさり、結果的に「父系の血統」が重視されるようになった。そして庶民に広がっていったのだ。それでも商家では、長男の出来が悪ければ、娘に商才のある婿を迎えていた。武家と違って経営がうまくいかなければ生きていけないため、血統よりも実力が大事ということだ。

明治期には家父長制は完全に浸透する。その根底には明治民法があった。「戸主権」という、主にその家の長男が世襲する家長にだけ認められた権利は、家族の婚姻に対する同意権や居住指定権を有していた。家督はすべて正妻が産んだ長男である嫡子にいき、いまなら人権問題だが、次男以下や女子は1円も相続できなかった。戸主権同様、明治まであった姦通罪も適用されるのは妻と間男のみで、夫の不倫には無効だった。「妻が生んだ子の父親は誰か」をはっきりさせなければ、父系の血統の維持は困難だったからだ。

社会学者で立命館大学教授の筒井淳也氏は、自著『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(光文社新書)で、「家父長制はその意味では、社会全体の支配階層の男性、あるいは家族のなかでの男性が、生産力の伸びを抑えこんででも、自らの既得権を維持するためにねじ込んだ不自然な仕組みだと私は考えています」と述べている。

「農家の嫁」から「専業主婦」へ

では、日本国憲法によって「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とされた戦後の日本で、結婚に対する考え方はどのように移り変わってきたのか。

『非婚ですが、それが何か!? 結婚リスク時代を生きる』(上野千鶴子氏との共著/ビジネス社)などの著書があり、詩人でもあり、少子化や貧困といった「現代人の生きづらさ」を専門に研究している社会学者・国学院大学教授の水無田気流(みなした・きりう)氏はこう解説する。

「戦後間もない1950年の段階で、日本の全就業者の約半数は農林漁業などの第1次産業従事者でした。この時期まで、既婚女性の一般的なあり方は『農家の嫁』で、貴重な農業労働力でもありました。このため、農業従事者の女性は農作業に忙しく、家事育児に専念することもありませんでした。育児は農作業を引退した高齢者が担うのが普通で、年長の子どもが乳幼児を子守しながら遊ぶような風景も見られました。村の子どもたちは農村共同体の中で一緒に育てられていったのです」

この時点では、女性は家庭に入るどころか働き手だった。子どもは、「妻問婚」の時代に似た形で育てられている。どこから変化が起きるのか。

「高度成長期に産業の中心が第2次産業に移り、被用者の男性、和製英語で言う『サラリーマン』が増え、郊外住宅地のような所から都心のビジネス街に通勤する職住分離型の生活スタイルが普及しました。第2次産業は男性中心の職場でもあり、男性の雇用の受け皿が潤沢にある一方、女性が自活するだけの職業は乏しく、結婚が最大の生存手段でした。結婚が『永久就職』などと呼ばれたのもこの頃です。平日昼間は自宅ではなく職場にいる『サラリーマン』の夫と、自宅やその周辺にいて家庭を守る『専業主婦』の妻の組み合わせは、このような社会構造から普及しました」

「昭和妻」が生まれた背景

水無田氏はまた、働き方の問題を指摘する。

「高度成長期に成立した日本の『サラリーマン』の働き方は、ジョブとメンバーシップ一体型が一般的です。これは簡単に言えば、正社員には細かなジョブの規定はなく、異動や転勤も当たり前のキャリアパスを経て昇進するという在り方です。ジョブに対して人を雇うのではなく、人にジョブをつけていくので、日常的に従業員一人一人が仕事を抱え込みやすくなります。そのため長時間労働がまん延し、ワークシェアリングが困難な職場環境となってしまう。また、いわゆる『日本型雇用慣行』は、『年功賃金・終身雇用・企業別労働組合』がその特性です。これは従業員の個別のスキルや成果よりも、勤続年数が昇給昇任の要件として大きく作用します」

日本の会社では、いまでも多くがこうした「サラリーマン」の働き方だろう。

「この働き方は、出産によりキャリアに中断ができやすい女性や、転職を繰り返す人などには極めて不利に働きます。そして、日常的に長時間労働かつ異動転勤もいとわず働く『サラリーマン』のために、家庭を守る『専業主婦』もまた長時間・高水準の家事育児が求められるようになった。日本で専業主婦比率が最も高くなったのは、70年代のことです。私が『昭和妻』と呼ぶ既婚女性の生活スタイルや志向性は、このような背景から生まれたものです」

若年女性の「昭和妻志向の再燃」

昭和は1989年の1月7日で終わり、平成の時代に入った。93年ごろから景気は後退し始め、バブルの崩壊により日本は低成長期に入った。そこで働き方にどのような変化が起きたのか。

「97年を境に専業主婦のいる世帯数を共働き世帯数が上回り、現在では『サラリーマン』世帯も妻の就業率は上昇し、540万世帯以上共働き世帯のほうが多い。この背景には、低成長時代に入ったことによる若年層を中心とした男性の総体的な賃金水準低下や、産業構成比が第2次産業から第3次産業へと移行してきたことがあります。第3次産業が女性を重用する分野であること、そして女性たちも家計補助の必要性に迫られたことで、急速に女性の社会進出が進んできています。しかし働く女性の多くが非正規雇用のため、年収水準も低く、主な稼ぎ手が男性であることは変わりません。そのため女性の就労率が上昇しても、旧来の専業主婦に求められてきた家事育児負担を担う人が多数派です」

核家族化が進み、家事や育児を手伝ってくれる人もすぐ近くにはいない。

「いま、日本の既婚女性たちに求められているのは、『家事も育児も、さらには介護も仕事も』というものであり、すべてを十分に担うのはとても困難なので、専業主婦になりたいと考える女性が若年層を中心に増加しています。例えば、少し前に20代女性の専業主婦志向は30〜50代よりも高く、60代女性に近いという統計もありました。これを私は、若年女性の『昭和妻志向の再燃』と呼んでいます」

ポスト平成の日本の結婚は

負担の重さから、女性の結婚に対する考え方が昭和に逆戻り。それでは、ポスト平成の日本の結婚はどうなるのか。水無田氏はこう考えている。

「少し前に起こった、東京医科大学の入試における女子受験生の恣意的な得点操作による合格者数抑制の事実のように、日本ではいまなお、過去の統計データに基づいた合理的判断が結果的に差別となる『統計的差別』が横行しています。同大がそれを行った理由は、女性医師が出産を経て離職しがちな現状と、それゆえ男性合格者のほうが望ましい……というものですが、これは裏返せば、強固な性別分業や、男性中心の過酷な職場環境が改善されていないという現状の証左といえます。結婚に関しても、日本ではまだまだ男性が家計責任を担い、女性が家庭を守る慣行が根強く、個々人の個性や適性よりも性差が個人のライフコースに与える影響が極めて大きい社会であり、これが社会構造の変化との齟齬(そご)を来している点が指摘できます。この問題を乗り越え、誰もがその個性や適性、さらには潜在的な能力を発揮し、男性/女性、既婚/未婚を問わず、互いに幸福に協業し生活することが可能な社会になるべきだと考えます。また結婚や、さらには結婚に限らない個人や家族の生活が、より幸福なものになるよう、現状での旧態依然とした家族観・労働観は刷新されていくべきだと考えています」

数年前から、法律ほどの効力はないにしても、自治体レベルでLGBTの社会的地位を保全する試み「同性パートナーシップ」の施行(2015年)がされている。またソフトウエア開発会社「サイボウズ」社長の青野慶久氏による呼称上の夫婦別姓訴訟(2018年)や、別姓で生活する映画監督・想田和弘氏夫婦による夫婦としての地位確認などを求める訴訟(2018年)が起こるなど、「日本の結婚」を変えようとする動きが始まっている。

2016(平成28)年にはついに出生数が100万人を割ってしまった。まだかつての家族観や労働観にとらわれていていいはずがない。

文:オカヂマカオリ
図作成:上杉 久代
企画・編集=POWER NEWS編集部

バナー写真:選択的夫婦別姓制度を求め東京地裁に提訴し、記者会見するサイボウズの青野慶久社長=2018年1月9日、東京・霞が関の司法記者クラブ(時事)

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