SNS

最新記事

ニュース

More

シリーズ コラム:亜州・中国
日本のシルクロード外交を考える

泉 宣道【Profile】

[2018.11.30]

21世紀は「亜州(アジア)の世紀」となるのか、後世の歴史家から「中国の世紀」と呼ばれるのか。世界の成長センターであるアジアを舞台に、中国の広域経済圏構想「一帯一路」や自由貿易協定(FTA)など経済統合の動きが加速している。日本経済にとって死活的な「亜州・中国」を主題にコラムを綴っていきたい。初回はユーラシア大陸の“ヘソ”に当たり、悠久の歴史を誇りながら、経済改革や環境問題が課題の中央アジアと日本との関係を考える。

中央アジアのウズベキスタンを初訪問

「青の都」や「イスラム世界の宝石」の異名を持つサマルカンド。中央アジアの砂漠の中で紀元前から繁栄したオアシス都市だ。シルクロードの交差点に位置し、数々の遺跡がある。とりわけレギスタン広場の青い空に映える光景は目を奪われるような迫力があった。

11月7日から約1週間、ウズベキスタンを初めて訪ねた。多治見の陶芸家、七代加藤幸兵衛氏(73)を団長とする関係者計11人による旅行に参加したのである。連日ほぼ晴天に恵まれ、抜けるような青空は、かつてチベットで見上げた蒼穹(そうきゅう)に酷似していた。

我々は首都タシケントから国内線で西方約1000キロの州都ウルゲンチに飛び、専用車(中国製大型バス、車内に洗面所装備)に乗り換えて古くからのオアシス都市、ヒヴァに向かった。ヒヴァには、城壁に囲まれたイチャン・カラ(内城)がほぼ中世の姿のまま残っている。

ヒヴァのイチャン・カラの遠景

ヒヴァに1泊して専用車で大河アムダリアやキジルクム砂漠を車窓から眺めながら、シルクロードの要衝だった古都ブハラに移動した。途中、アヤズ・カラ遺跡などに立ち寄り、ブハラまでは11時間近くかかった。ブハラには2泊、12世紀に造られたカラーン・ミナレット(光塔)や中央アジアに現存する最古のイスラム建築物、イスマイル・サマニ廟などを見て回った。ブハラから、サマルカンドまでは専用車で休憩などを含めると約9時間の道のりだった。

ブハラのカラーン・ミナレットの夜景

ブハラで写真撮影をするカップル

サマルカンドからタシケントに戻るのには新高速鉄道を利用した。約2時間の列車の旅は無料の軽食と飲み物も出て快適だった。ただ、乗車前には空港並みのセキュリティ検査があり、チケットにはパスポート番号、氏名、生年月日、国籍、性別が印字されていた。

東西文明の十字路に過酷な興亡の歴史

2000年以上の歴史を有し、昔から東西文明の十字路となったオアシス都市を擁するウズベキスタンは「二重内陸国」。カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンを含めた中央アジア5カ国中、人口が約3200万人と最も多い。国土の約6割は砂漠や草原で、面積は44万7400平方キロメートルと日本の約1.2倍だ。旧ソ連の解体で1991年、「ウズベキスタン共和国」として独立した。人口の約8割を占めるウズベク人をはじめタジク人、ロシア人、カザフ人、高麗人、ユダヤ人らによる多民族国家だ。世界遺産に登録されているサマルカンド、ブハラ、ヒヴァなど国内のオアシス都市は過酷な興亡の歴史をたどってきた。

紀元前4世紀、アレキサンダー大王は東方遠征の途中にサマルカンド(当時はマラカンダ)に侵攻、ヘレニズム文化が開花した。紀元前2世紀、漢の武帝の時代に西域に使者や遠征軍を派遣、長安からサマルカンド(中国語で康国)への「絹の道」が開かれていった。

サマルカンドはキャラバン(隊商)交易で活躍したイラン系のソグド人の都市として栄えたが、8世紀のアラブ軍の中央アジア遠征でブハラなどとともに征服されてしまう。宗教もイスラム教へと改宗され、中央アジアのイスラム化とトルコ化が進んだ。

13世紀になると、チンギス・ハン率いるモンゴル軍が中央アジアに侵攻、ブハラ、サマルカンドなどが徹底的に破壊された。14世紀後半になって英雄アムール・ティムールが登場、広大なティムール帝国を築き、首都サマルカンドを「青の都」に再建した。「チンギス・ハンが破壊し、ティムールは建設した」といわれる所以である。

16世紀初め、分裂していたティムール朝はトルコ系のウズベク人に滅ぼされた。19世紀後半、ロシアの中央アジア進出が始まり、ロシア革命は中央アジアにも波及、20世紀前半から現在のウズベキスタン地域を含めて旧ソ連に組み込まれていったのである。

この記事につけられたタグ:
  • [2018.11.30]

nippon.com諮問委員。1952年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。マニラ支局長、政治部次長兼編集委員、北京支局長、中国総局長、アジア部長、編集局次長、論説副委員長兼編集局長付編集委員、常務執行役員大阪本社編集局長、専務執行役員名古屋支社代表などを歴任。日本経済研究センター常務理事・事務局長、研究主幹も務めた。1991-92年にフィリピン外国人特派員協会(FOCAP)会長。共著に『中国――「世界の工場」から「世界の市場」へ』(日本経済新聞社、2002年)、『2020年に挑む中国――超大国のゆくえ』(文眞堂、2016年)など。

関連記事

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • ニッポンドットコム・メディア塾 —ジャーナリストを志す皆さんに
  • シンポジウム報告