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日本固有の領土、竹島をめぐる経緯

政治・外交

竹島は、島根県隠岐諸島の北西約157kmに位置する日本固有の領土で、二つの島と数十の岩礁からなる。韓国は1952年、国際法に反して李承晩大統領が「李承晩ライン」を一方的に設定し、翌53年以降、不法占拠を続けている。

2012年8月10日、北緯37度15分東経131度52分の日本海に浮かぶ竹島に、韓国の李明博大統領が上陸した。19日には大統領直筆の石碑の除幕式も行い、実効支配をアピールした。これに対して、野田佳彦首相が李大統領に上陸などの行為に遺憾の意を示す親書を送ったところ、大統領は受け取らずに返送。野田首相は24日に記者会見を開き、竹島問題について「韓国による不法占拠」などとあらためて批判した。

韓国は1952年、李承晩大統領が「李承晩ライン」を一方的に設定し、53年に独島義勇守備隊が初めて駐屯。54年には韓国沿岸警備隊が駐留部隊を竹島に派遣した。これ以降、警備隊員を常駐させ、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築して不法占拠を続けている。韓国では「独島」と呼ばれている。

日本は竹島領有権問題を国際司法裁判所に共同提訴することを今回も含めて3度提案しているが、韓国は拒否する意向を崩さない。

 

竹島をめぐる年表

1905(明治38)年、竹島を島根県隠岐島司の所管と閣議決定。 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A01200222600(国立公文書館)

明治四十三年・条約第四号・韓国併合ニ関スル条約 JACAR Ref.A03020879400(国立公文書館)

1946(昭和21)年の財産税法の施行期日等を定める勅令で、財産税法の施行地域から除かれる地域として、島根県隠岐支庁管内五箇村竹島の記述がある。 JACAR Ref.A04017850100(国立公文書館)

内容
17世紀
1618年     鳥取藩の町人が徳川幕府より鬱陵島への渡海免許を受け、漁業を開始。17世紀半ばに幕府公認の独占的経営により領有権を確立。
1696年 1月   朝鮮と対馬藩の交渉決裂を受け、徳川幕府は竹島の西方92㎞にある鬱陵島への渡海を禁止(竹島への渡航は禁止せず)。
20世紀
1904年 9月 29日 島根県隠岐島民の中井養三郎が内務・外務・農商務三大臣に対し竹島の領土編入及び10年間の貸し下げを願出。
1905年 1月 28日 明治政府は閣議決定で同島を「隠岐島司ノ所管」と定め、「竹島」と命名。
1905年 2月 15日 「竹島」が隠岐島司の所管となった旨を告示。日本の新聞に掲載され広く一般に伝わる。
1905年 2月 22日 島根県知事、竹島が「島根県所属隠岐島司ノ所管」と定められたことを受け、竹島を官有地台帳に登録。
1910年 8月 22日 韓国統監・寺内正毅と大韓帝国内閣総理大臣李完用(イ・ウァニョン)、韓国併合条約に署名。
1945年 8月 15日 第2次世界大戦の終結に伴い、日本、9月よりGHQの占領下に入る。
1946年 1月 29日 連合国、GHQ訓令第677号により、欝陵島、竹島、済州島ほかを、日本が政治上・行政上の権力を行使しうる地域に「含まない」地域とした。
1946年 6月 22日 GHQ訓令第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」により、日本漁船の活動可能領域が定められる(マッカーサー・ライン)。
1951年 7月 19日 韓国政府、サンフランシスコ平和条約に、日本が済州島、巨文島、鬱陵島、独島(竹島)、及び波浪島を放棄することを盛り込むよう求める。
1951年 8月 10日 韓国政府の要請、米政府より「竹島は韓国の領土として扱われたことはなく、1905年以降日本領である」として拒絶される。
1951年 9月 8日 サンフランシスコ平和条約締結。竹島を除く、済州島、巨文島、鬱陵島を日本が放棄することが定まる。
1952年 1月 18日 韓国政府、海洋主権宣言に基づき、一方的に国際法上の慣例を無視した李承晩(イ・スンマン)ラインを設定。
1952年 4月 25日 マッカーサー・ライン廃止。
1952年 4月 28日 平和条約発効により主権回復。日米安全保障条約発効。日華平和条約締結(8月5日発効)。GHQ廃止。
1953年 1月 12日 韓国、李承晩(イ・スンマン)ライン内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示。2月10日、福岡の漁船・第一大邦丸が銃撃・拿捕され、船長が死亡。
1953年 4月 20日 韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯、これ以降占拠。
1954年 6月   韓国内務部、韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したことを発表。宿舎、燈台、監視所、アンテナ等が設置され、年々強化。
1954年 8月   海上保安庁巡視船が竹島から銃撃され、韓国警備隊の竹島駐留を確認。
1954年 9月 25日 口上書により竹島の領有権問題を国際司法裁判所(ICJ)に付託することを日本が韓国に提案。韓国、拒否(10月)。
1962年 3月   小坂善太郎外務大臣より崔徳新(チェ・ドクシン)韓国外務部長官に対し、竹島問題を国際司法裁判所に付託することを提案。韓国、拒否。
1962年 10月   韓国軍、李ライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕、日本人44人死傷(うち5人死亡)、3,929人を抑留。海上保安庁巡視船に対する銃撃等の事件15件、16隻が攻撃される。
1965年 6月 22日 日韓基本条約を締結。竹島の領有権をめぐる紛争、棚上げに。李ライン撤廃。
21世紀
2012年 8月 10日 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領、島根県・竹島に上陸。
2012年 8月 11日 日本、駐韓武藤正敏大使を一時帰国させる。玄葉光一郎外務大臣、「国際司法裁判所への提訴を含む、国際法に基づいた平和的な解決を検討」と言明。
2012年 8月 19日 韓国、李明博(イ・ミョンバク)大統領直筆の石碑を竹島に設置。石碑の表に독도(独島)、裏に대한민국(大韓民国)、側面に「2012年夏 大統領李明博」と刻す。
2012年 8月 21日 韓国国会の外交通商統一委員会、日本に竹島の領有権主張を撤回するよう求める決議案を全会一致で採択。
2012年 8月 24日 野田首相、竹島が「韓国によって不法占拠されている」と明言。韓国の李明博大統領が「わが国の固有の領土に不法に上陸した」と発言した。

※外務省ホームページの記述を元に作成。

タイトル背景画像=明治44年(1911)年に日本で発行された朝鮮半島の地図。鬱陵島はあるが竹島は見えない。

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