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嘘——朝日新聞「従軍慰安婦」報道の軌跡

政治・外交 社会

朝日新聞は2014年8月5日、これまでの「従軍慰安婦」関連報道の検証を公表。32年前の吉田清治証言をはじめ、多くの事実関係の誤りを認めた。しかし、そこで浮き彫りになったのは、「従軍慰安婦」の実態ではなく、日本と韓国という特殊な戦後を歩んだ両国の相関する歪んだ言論空間だった。

朝日新聞の検証にもかかわらず変わらぬ事実

最初に確認しておかなければならないことがある。昭和の戦争において、アジア全域で日本と日本軍が関与した「従軍慰安婦」は現実に存在したということである。しかも、戦地においては軍の暴力を背景にして現地の女性を強制的に慰安婦にした例が複数あったことは、まぎれもない事実なのである。この点、ほかの戦争において軍隊が占領地で行った暴行と何も変りはない。

ただそれは、あくまで「戦地」においてである。「従軍慰安婦」システム自体は、当時、日本で公認されていた管理売春組織を日本軍の占領地にもっていってだけのものである。(ちなみに日本の管理売春制度は1958年に完全廃止される)。「従軍慰安婦」の大半は日本本土の日本女性、さらに当時日本領であった朝鮮、台湾の女性であった。管理売春制度とは公認された“人身売買制度”に他ならず、当事者の人権を著しく踏みにじるものであったことに何の疑いもない。しかし、この人権侵害は「戦地での強制」という戦争犯罪とは別物である。

近年、「従軍慰安婦」問題で日本を激しく非難しているのは韓国であるが、その主張は戦争犯罪であったということに集約される。ただ残念なことに、日本は1894~95年に清国(当時の中国の王朝)と戦争して以来、朝鮮半島では戦争を行っていない。まして、朝鮮半島の国と戦争を行ったことは近代以降、一度もないのである。

吉田清治が作り出したフィクション

故・吉田清治氏(写真提供・読売新聞/アフロ)

ところが、韓国ではいまだに、そして日本でもある段階まで、この問題は「戦争犯罪」として扱われた。その根っこには一つの嘘がある。それが、吉田清治(1913~2000年)という人物の証言である。吉田氏は戦時中、日雇い労働者を管理する山口県労務報国会下関支部で動員部長であったと自称していた。80年代に2冊の著作を出し、その中で自らの体験として「済州島において戦時中、約200人の若い女性を狩り出した」と記述した。のちに問題が大きくなってから、報道関係者、歴史研究家、さらには韓国の研究者まで現地に赴き裏付け調査を行ったが、だれも、何の証拠も、証言も得ることはできなかった。

このままであれば、単なる「創作」ということで世間の注目を集めることもなく消えていくはずだった。しかし、1982年、この吉田証言を朝日新聞が記事として取り上げたことで事態は急変する。いうまでもなく、朝日新聞は戦前から日本で最も影響力のあるメディアである。その報道のおかげで、朝鮮半島における「慰安婦狩り」は事実として韓国で大きく扱われ、対日批判の中心的なイシューとなっていた。

この件がさらに混乱したのは、戦時に国民の勤労奉仕として集められた「女子挺身隊」と混同されたことにある。「女子挺身隊」は日本国内と領内であれば学校組織を中心にどこにでも存在した組織である。そのため「慰安婦組織」は広範に存在したかのような言説が飛び交う羽目になった。

朝日新聞「慰安婦問題」検証の要約

① 強制連行の有無
1982年9月2日の大阪社会面での吉田清治証言に基づく済州島での「慰安婦狩り」報道。および92年1月12日の社説での「『挺身隊』の名で勧誘または強制連行され」と表現したことについて。

日本の植民地だった朝鮮や台湾では、売春組織の業者が『良い仕事がある』などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていない。一方、インネシアなどの日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されている。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことである。

②吉田清治による済州島で「慰安婦狩り」証言
吉田証言を大メディアとして初めて報道以来、16回にわたり掲載した件について。

済州島を再取材したが証言を裏付ける話は得られなかった。吉田清治の証言は虚偽と判断し、記事を取り消す。

③1992年報道と政治的意図
1992年1月11日の「慰安所 軍関与を示す資料」報道は宮澤訪韓を狙ったものと非難されていることについて。

その意図はなく、詳細を知った5日後の掲載。一方、政府は報道前から資料の存在の報告を受けていた。

④ 「女子挺身隊」と「慰安婦」の混同
1991~92年の記事で、朝鮮半島出身の慰安婦を「女子挺身隊」の名目で強制連行したものであると報道したことについて。

女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とは全く別もの。記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから誤用した。

⑤1991年8月11日の「元慰安婦 初の証言」の背景

韓国メディアより先に報道した。だが、執筆した記者は韓国の慰安婦裁判支援団体幹部の親戚で、何らかのバイアスがかかっていたのではないかという疑い。

記事取材のきっかけは当時のソウル支局長からの情報提供。意図的な事実の捻じ曲げはない。

流れを大きく変えた1992年1月報道

その頂点となったのが、1992年1月の宮澤喜一首相訪韓前後の報道である。前年、元慰安婦の女性が初めて名乗り出て、日本政府を訴えるに至った。この過程も、韓国メディアより先に朝日新聞が報道した。その騒動の中で、首相訪韓の直前、「慰安所」への慰安婦たちの移動に軍や公的機関が便宜を図る資料についての報道があり、宮澤首相は、韓国で謝罪を繰り返し、さらに翌年、河野洋平官房長官が慰安婦問題についての談話を発表することになった。(ただしこの談話は、従軍慰安婦の存在と慰安施設の運営への公的関与、戦地での強制などを認めたものの、韓国での強制には特定して触れていない)。メディア各社も本格的に朝日の報道に追従し始めた。

さすがに、政府まで動くとなると、一連の報道への検証が急速に進むことになった。その結果、吉田証言の事実無根、「挺身隊」と「慰安婦」の混同などが明確になり、1992年8月以降は、日本のメディア各社は吉田証言を前提とした報道を控えることになる。ただ控えただけで否定も修正も行わなかった。

日韓が入り込んだ袋小路

しかし、メディアがだんまりを決め込んでいる間に事態はさらに加速した。1996年には、国連人権委員会に吉田証言を証拠として採択したクワラスワミ報告書が提出される。さらに、アジア全域の元慰安婦への償いのために政府主導で設立した「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」の「償い」を受けた韓国の元慰安婦7人が国内で非難を受け、のちに政府からの生活支援を切られる羽目になる。「河野談話」の認識ではなく、韓国の「従軍慰安婦」も戦地での強制として扱わなければ受け入れないという態度が今もなお韓国を支配している。

この姿勢は、アメリカの韓国系住民を通じてアメリカ国内でキャンペーンされ、2007年の下院対日非難決議につながる。当時、第一次政権時の安倍晋三首相が「広義の強制はあったが、狭義の強制はなかった」、つまり韓国では人身売買による従軍慰安婦は存在したが、戦地での強制と同じレベルの強制はなかった、と釈明したが、アメリカの政府にも社会にも、「歴史修正主義者」のレッテルを張られる始末だった。日本政府としても、「河野談話」以上の対応、つまり吉田清治の「嘘」を事実として認定することはありえない。したがって日韓関係は展望の利かない袋小路に入り込んでしまった。

韓国の事情——「対日戦勝国」の認知を求めた李承晩

韓国では、「従軍慰安婦」問題への被害者意識が最初からあったとはいいがたい。本当に戦時中に犯罪性の高い行為があったのなら、BC級戦犯裁判で取り上げたオランダのように、終戦直後から問題が提起されていたであろう。現実には、「強制された従軍慰安婦」が取りざたされたのは1980年代に入ってからであり、それも日本側の証言や報道が先行する形であった。

しかし、いったん「強制された従軍慰安婦」という設定が提示されると、これが浸透するのは早かった。韓国にはその事実は存在しなかったものの、その設定を受け入れる理由が十分あったからだ。

いうまでもなく韓国は、第二次世界大戦の終結によって、旧日本領朝鮮が分断されて生まれた国家である。南北両国とも大日本帝国が消滅したおかげで成立したのであって、決して自力で独立を勝ち取ったわけではない。しかし、相互に排他的な存在で朝鮮戦争が発生した。その後、激しい国家アイデンティティのぶつかり合いを続けるのである。

この争いは正直にいって北の方に分があった。北朝鮮は、日韓合併後、旧満州吉林省延辺地区を中心とし、中国共産党の支援を受けた抗日パルチザン組織が中核になり、「独立運動の正統」を名乗っていた。一方、韓国は、戦前、中華民国国民党政府と行動を共にしていた大韓民国臨時政府をその前身としており、李承晩・初代大統領もその首班だった。臨時政府は日中戦争中、「光復軍」という軍事組織を作ったが実際には機能せず、抗日戦の実態はなかった。そして臨時政府も国際的な承認を受けることはなかったのである。その上、後ろ盾であった中国国民党政府は、北朝鮮の後ろ盾である共産党政権との内戦に敗れ、1949年に大陸から台湾に撤退してしまう。

しかし、韓国の李承晩政権は半島統一を巡る朝鮮戦争の中で、北朝鮮に対抗しうる「抗日の歴史」を主張し続けた。その結果、1951年9月に行われた連合国、国際社会と日本の講和会議であるサンフランシスコ平和会議への出席と署名を求めるのである。つまり国際社会に韓国を対日戦勝国として認めろ、と主張したのである。当然、連合国側によって峻絶されたが、韓国は李承晩ラインの主張など、その後も朴正煕政権成立まで、内外に「対日戦勝国」として振る舞い続ける。

無理があるドイツとの比較

この「李承晩のフィクション」という亡霊は、今に至るまで生きている。韓国の政治家、各種団体、メディアの対日批判を見ると、必ずと言っていいほどドイツとの比較が出てくる。特に竹島問題では、ドイツが1990年の再統一に際し、ポーランドと国境問題と難民の請求権放棄問題を最終決定した条約を持ち出し、日本もまたこれを見習えという主張が繰り返される。

しかし、韓国とポーランドを重ね合わせるには無理がある。ポーランドは、紛うことなき対独交戦国だからである。しかもナチスの犯罪被害、戦争犯罪被害の当事者なのである。繰り返しになるが、韓国は第二次世界大戦において日本の交戦国ではない。当時の朝鮮半島の住民が納得していたか否かに関係なく「日本」だったのである。だから、韓国には自らを対日交戦国に擬するだけの動機もしくは心理的な素地があった。「強制された従軍慰安婦」問題は、ヨーロッパのドイツやソ連の占領地と同じイメージを自らに付与する格好の材料だったのである。

日本の事情——生き延びた“戦争協力”の全国紙

一方、日本の一部にも韓国が第二次世界大戦の戦争被害者であるかのように擬そうという心理的傾向があった。その一部とはメディアであった。しかも、ここでもドイツとの対比がわかりやすい説明となる。

第二次世界大戦で連合国に降伏した日本とドイツは、降伏条件に従い、戦犯裁判によって責任者が裁かれ、旧体制が解体された。この際、ドイツはナチスとナチズムが、日本は軍と軍国主義が元凶とされ排除された。日本の軍の解体と関係者の排除は、ドイツより徹底したものだった。しかし、それは軍だけ。この間の事情の検証は本論の趣旨とは離れるので紙数の関係もあり触れないでおくが、結果だけ見れば、軍以外の指導層は財閥が解体された以外は、政治家も、官僚組織も、大学も、実質的にほとんど温存された。

特に目立ったのがメディアである。ドイツではナチス・プロパガンダ政策否定の過程で協力者が徹底して解体・追放された。新聞もまた「Stunde Null(零時)」を免れなかったのである。この点、日本はドイツと著しい差がある。

戦前からいまだに「3大新聞」と呼ばれる、朝日、毎日、読売の3紙は、1931年の満州事変以降、日本の中国大陸侵略時に軍部の代弁者であるかのように戦意高揚を行い、爆発的に部数を伸ばした。1945年当時、朝日、毎日は約350万部、後発の読売も約150万部に達し、いずれもこの段階で全国紙の地位を確立している。朝日新聞の緒方竹虎主筆や読売新聞の正力松太郎社長は、戦後、GHQによって戦犯容疑をかけられ公職追放となったが、ほどなくそれも解除された。メディアでは同盟通信が、時事通信、共同通信、電通の3社に解体された以外は、社名題字までもそのまま残ったのである。

歴史問題などで主導権を失った政府・政界

戦時中、総動員体制下の宣伝機関として築き上げた国民世論への影響力は、戦後、減ずるどころか、ますます強まった。政府など公的機関が記者クラブ制度などでメディアに情報を優先的に流し、囲い込みを行ったという事情もある。つまり戦後における総動員体制の継続である。

軍による統制がなくなったうえに影響力は増し、全国紙など大メディアの権勢は絶大なものとなった。一国内でどのくらいの存在であるかは、下のグラフを参照いただきたい。読売、朝日は日本のみならず世界の新聞部数の1位、2位である。中国、インドといった国は日本の約10倍の人口があり、日本語圏が、ほぼ日本国内に限られることを考えると驚異的なシェアであるといえる。冷戦崩壊直前に、ソ連の「プラウダ」が約1500万部、中国の「人民日報」が約1000万部であったと言われていることから考えても、日本の巨大新聞の国内での存在がいかに飛び抜けたものであるかわかるであろう。

しかも敗戦によって、政府が歴史問題など価値観に関する権威を失い、代わりにジャーナリズムやアカデミズムに主導される世論が主導権を握るという構造になった。歴史・戦争責任にかかわる問題は、政府や政治権力に対しメディアが圧倒的な優位に立てる題材になったのである。自らも戦争責任問題を引きずっていることからも、メディアは「正義の味方」である必要があった。かくて隣国との歴史問題は、日本の新聞にとって好餌(こうじ)となったのである。

出口はあるか——遅すぎた朝日の検証

今回、朝日新聞が過去の報道を検証し、誤りを認めたことは、メディアとして正しい行動であったと思う。しかし、いかにも遅すぎた。最初の吉田証言の報道から32年、政府が行動を余儀なくされ、しかも証言の信用性が失われた92年から22年。この間に、「強制による従軍慰安婦」の問題は、韓国世論の中にビルトインされた。しかも、日本の戦争責任問題の中の代表的な案件として国際社会でも認知されてしまったのである。

国際社会から見れば、日本の「従軍慰安婦」問題全体の中で、韓国との論争点などは、実はごく一部の些末な問題なのである。「従軍慰安婦」問題全体、さらには戦争責任問題全体への日本の態度こそが重要なのである。しかし、たとえ些末な「誤り」であろうと、それを日本が自分から修正しようとすると、外から見れば「歴史修正」を行っていると判断される。相手国が政治的意図をもってこの問題を使おうとしているとわかっていてもである。この点において日本はまだ被告人席に立っているのである。しかも日本国内には、一部の過誤から逆算して、ほかの過去の戦争責任全体までも否定しようという隠然たる圧力が存在する。このことが、さらに日本の行動を制約している。

一方、韓国は、近年、中国に急速に接近していく過程で、相変わらず「李承晩のフィクション」をアピールしている。しかも中国がこれに応え始めているのである。日本ではまだその深刻さが十分理解されていないようだが、中国が行っている光復軍の顕彰や抗日戦での共闘を認める発言は、韓国に対して外交的に重要な意味をもっている。中国はそもそも北朝鮮に正統性を付与していた存在だったのである。北朝鮮の崩壊と統一の可能性が現実味を増すにつれ、統一の主体としての「李承晩のフィクション」を内外に認めさせようという韓国のモメンタムは高まっていくと考えられる。

過去の報道が取り消されても、事態が白紙に戻ることは考えられない。それゆえ、この日韓両国で展開された一連のフィクションは、起点となった吉田清治の「嘘」そのものとは比べものにならないほど深刻で、罪深いものになったのである。

(編集部・間宮 淳)

資料 「従軍慰安婦」報道と歴史問題の推移

1977年 慰安婦問題 吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』刊行。
1982年 報道 9月2日、朝日新聞が「済州島での女性狩りの事実」という吉田清治証言を大阪社会面に掲載。以後16回吉田証言を記事化。
歴史問題 6月26日、大手新聞とテレビ局各社が、文部省の高校日本史教科書の検定で、「(華北への)”侵略”を”進出”へと改めさせた」と報道。7~8月、外交問題に発展。文部省は改変の事実がないと発表し、報道各社も検証の結果、誤報(日本テレビ記者の誤りが原因)であることを認めた。教科書検定基準に「近隣諸国条項」が盛り込まれる。
1983年 慰安婦問題 吉田清治『私の戦争責任』刊行。
1989年 慰安婦問題 吉田清治『私の戦争責任』韓国語版刊行。
1990年 慰安婦問題 10月、韓国の37の女性団体が声明発表。「慰安婦」の強制連行を認めたうえでの公式謝罪、賠償などの6項目を日本に要求。11月、「韓国挺身隊問題対策協議会」設立。
歴史問題 10月、ドイツ再統一、11月、ドイツ=ポーランド国境条約締結。この段階まで、西ドイツはヤルタ協定によるドイツ東部国境(オーデル・ナイセ線)を正式承認せず、旧東方領からのドイツ人難民の請求権も放棄していなかったが、これも決着。
1991年 報道 8月11日、朝日新聞が初めて名乗り出た元従軍慰安婦の証言を録音テープを基に匿名で報道。韓国メディアより先。14日、北海道新聞が単独インタビューを実名入りで報道。15日、韓国主要紙が報道。
慰安婦問題 8月、韓国で元慰安婦が一人、初めて名乗り出る。日本、韓国で報道。いずれも「挺身隊」と「慰安婦」混同。日本政府調査開始。10月~92年2月、韓国MBS放送が従軍慰安婦を主人公にしたドラマを放送。12月、名乗り出た元慰安婦が日本政府を提訴(「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」.日本の人権派弁護士が主導。2004年に最高裁で原告敗訴)。
1992年 報道 1月11日、朝日新聞朝刊、『慰安所 軍関与示す資料』の記事掲載。12日、朝日新聞社説「歴史から目をそむけまい」掲載、「挺身隊」と「慰安婦」混同。この朝日報道のあと、内外報道機関各社が強制連行の人数まで上げた吉田証言を報道する。しかし、その虚偽性が研究家の間で認識され、国内報道機関は8月以降、この証言を前提にした報道を控える。7~8月、朝日新聞が旧オランダ領東インド(現インドネシア)で戦時中に複数のオランダ人女性が強制的に慰安婦とされた件を、戦後のBC級戦犯裁判記録を基に報道。
慰安婦問題 1月、朝日新聞の記事を受けて、韓国メディアが一斉に報道。「挺身隊」と「慰安婦」混同。1月16日、宮澤喜一首相が訪韓、日韓首脳会談で謝罪。3~4月、歴史学者・秦郁彦氏が済州島で調査、吉田清治の一連の証言が事実無根であるとの結果を発表。4月、政府が調査結果を発表。アジア全域での慰安施設に対し公的関与があった例を認める。
歴史問題 8月、中韓国交正常化
1993年 慰安婦問題 8月、「河野洋平官房長官談話」表明
1994年 慰安婦問題 8月、村山富市首相が問題解決へ談話
歴史問題 1月、オランダ政府が旧オランダ領東インドでのオランダ女性慰安婦についての資料発表。中国で愛国教育が始まる。
1995年 慰安婦問題 1月、「週刊新潮」で吉田清治氏が、自書の内容が創作であることを認める。7月、民間団体「アジア女性基金」が政府主導で発足。8月、戦後50年の村山談話発表。
1996年 慰安婦問題 1月、「吉田証言」を採択した国連クマラスワミ報告書提出。
1997年 慰安婦問題 1月、アジア女性基金が韓国の7人に償いを実施。韓国内で「裏切り者」非難。
1998年 報道 3月、吉田清治氏、朝日新聞の取材拒否。朝日は「真偽確認できず」と表記。
慰安婦問題 3月、韓国・金大中政権、「韓国挺身隊問題対策協議会」の要求を受け入れ、アジア女性基金の償いを受け取った7人を支援対象から排除。
2000年 歴史問題 7月、アメリカとドイツ、ドイツ企業に対する訴訟を取り扱う財団財団「記憶・責任・未来」設立で合意。
2001年 慰安婦問題 1月、NHK、「シリーズ『戦争をどう裁くか』」の第2夜「問われる戦時性暴力」放送。2005年になって問題化。
歴史問題 「新しい歴史教科書をつくる会」の高校日本史教科書が検定通過。8月、小泉純一郎首相、最初の靖国神社参拝
2004年 歴史問題 6月、韓国・盧武鉉政権「性売買特別法」制定(ちなみに日本の「売春防止法」施行は1957年)。
2005年 報道 1月、朝日新聞、2001年1月のNHK番組を取り上げ、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」と報道。直後に記事中で取材対象として出てくる「NHK幹部」の松尾元放送総局長が名乗り出て朝日の記事内容を全面否定。7月に朝日新聞は一連の報道の検証記事を掲載するが松尾発言を否定する事実は出なかった。
歴史問題 3~4月、中国で反日デモ広がる。韓国で8月、韓国盧武鉉政権が日本統治時代の「親日派」の子孫を弾劾・排斥する法律を制定。
2006年 歴史問題 8月、小泉純一郎首相、最後の靖国神社参拝。
2007年 慰安婦問題 3月、「アジア女性基金」解散。3月、安倍晋三首相、「広義の強制はあったが狭義の強制はなかった」発言。欧米で反発。7月、米下院、対日謝罪要求決議。吉田証言を採択。
2010年 歴史問題 9月、尖閣諸島中国漁船衝突事件、中国の反日運動過激化。
2011年 慰安婦問題 8月、韓国憲法裁判所が、従軍慰安婦問題で政府の「不作為」に対し違憲判決。11月、「韓国挺身隊問題対策協議会」により、ソウル日本大使館前に「慰安婦像」設置。
2012年 歴史問題 5月、韓国大法院が戦中の日本企業の徴用工問題で個人賠償を認める判決。8月、韓国の李明博大統領が竹島に上陸。さらに「独立運動家」への天皇謝罪を要求。9月、日本政府が尖閣諸島国有化決定。中国で反日運動始まる。
2013年 慰安婦問題 7月、アメリカ・カリフォルニア州グレンデール市に韓国系米国市民の拠金で「慰安婦像」設置。
歴史問題 3月、朴槿恵韓国大統領就任、6月、中国に国賓訪問。
2014年 報道 8月6日、朝日新聞が一連の「従軍慰安婦」報道の検証特集。軍による強制などについて「誤報」と認める。
慰安婦問題 6月、政府が河野談話作成過程の検証。談話見直しを行わない方針決定。8月、朝日新聞の検証報道を受け、自民党内も含め、河野談話見直し要求が高まるが、菅義偉官房長官が見直しの必要なしの方針を再確認。
歴史問題 1月、中国黒竜江省ハルビンで「安重根記念館」開館。5月、中国陝西省西安で「光復軍」関連の石碑を除幕。7月、習近平中国国家主席、訪韓。中韓が対日戦を共闘したという認識発言。

 

参考資料

  • 『朝日新聞』2014年8月5日朝刊、15、16面
  • 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年
  • 吉見義明『従軍慰安婦』岩波書店、1995年
  • 読売新聞戦争責任検証委員会『検証 戦争責任』中央公論新社、2006年
  • 野口悠紀雄『1940年体制』東洋経済新報社、1995年
  • ロー・ダニエル『竹島密約』草思社、2008年
  • 舩橋洋一、三島憲一、御厨貴「徹底討論・問題の根源を洗い出す 〈戦争責任〉の着地点を求めて」『中央公論』2003年2月号掲載
  • 田中健之「金王朝成立史」(中央公論別冊『北朝鮮の真相』掲載)中央公論新社、2012年
  • 外務省ホームページ
  • このほか報道各社の記事を参照

 

カバー写真=吉田清治(提供・読売新聞/アフロ)

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