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安倍首相アメリカ議会演説の読み方

政治・外交

あまりに歴史問題に注目が集まったため、その意味が見えにくくなってしまったが、安倍首相のアメリカ議会演説は日米関係の転換点を象徴する出来事であった。

アメリカ議会におけるアメリカ向けの演説

4月29日、安倍晋三首相は、日本の首相として初めてアメリカ合衆国連邦議会の上下両院合同会議で演説を行った。

内外の注目は、日米2国間のテーマよりも、むしろ歴史問題についての安倍首相の発言に集まっており、各国メディアもこの点についての報道が目立った。今年が第二次世界大戦終結70周年にあたり、8月には、「戦後70年」首相談話が発表される。中国、韓国による歴史認識についての対日非難が、20年前に比べ熾烈になっていることもあり、1995年に発表され、その後の歴代政権が受け継いできた「村山談話」を、安倍首相も継承するか否かへの注目は当然であるとも思える。

だが、あくまで日本の首相のアメリカ議会での演説であり、いうまでもなく語りかける対象はアメリカの議員たちであり、アメリカ国民である。そこで近隣諸国向けのメッセージを発するというのは、いささか筋違いであり、しかも外交儀礼上、問題があると思われるのだが、現実には歴史問題関連への文言に興味が終始した。そして、そのためにこの演説、さらには前日行われた日米首脳会談と共同声明がもつ、戦後日米関係での大きな意味が見えにくくなっていると思われる。

そこで歴史問題も含め、この演説の内容を解読してみることにする。

3つで1つのメッセージ

外交演説であるのだから相手を持ち上げ友好関係を誇示する修辞にあふれるのは当然だが、その点は割愛して、コアになる論点を整理すると、3つになる。①日米間の戦争和解、②戦後の世界秩序への評価とその強化としてのTPP積極推進、③一連の安保法制改正と新ガイドラインなどにより日米同盟が新たなステージに上がったこと——である。

②と③は、前日の日米首脳会談と共同声明の内容そのものであるが、この3つは連関している。ここで①から3つ並べると、その歴史的な意味がよく理解できる。 

第二次世界大戦後の世界秩序は、戦勝国であるアメリカを中心に形成された。その基本となるシステムは、集団安全保障、自由貿易体制、管理通貨制度で、第一次世界大戦後も模索されたが失敗したものであった。いずれもマルチシステムとしては理想通りには機能してこなかったが、それでも代替としてアメリカが単独で、これらのシステムのインフラとなることで、世界秩序として成り立たせていた。そして世界は空前の繁栄を迎えたのである。

安倍首相の発言にあるように、この戦後システムの最大の受益者は日本であった。日本はかつて、市場としては不十分な規模の海外領を国際秩序を破壊するまでの軍事的拡張を行って確保しようとし、さらに国際社会からパージを受けると戦争に踏み切ったが、主要エネルギーとなる油田地帯をわずか3年数カ月抑えただけで破滅した。その国が戦後、アメリカの作った世界秩序に組み入れられることで、ほとんどコストゼロの安全保障、激安で無尽蔵の海外資源、アメリカという世界最大の市場を手にすることができた。日本にとって、大戦でのアメリカに対する敗戦は繁栄の扉を開くことになったのである。

さらに前に進むための戦後和解

その戦後世界システムは、冷戦の終結、度重なる経済危機、イスラムテロの拡散、新興経済国の台頭などによって変調をきたしてきた。特にアジア太平洋地域では、アメリカの退潮がパワーバランスの変化を呼ぶまでになっている。安倍演説のメインストーリーは、このシステムの価値を改めて評価し、再強化を訴え、日本が全ての面でコミットすることを約束するということなのである。

日本が安全保障上の戦後の制約を事実上外し、西半球での米軍の活動を安定的なものとする。さらにGATT/WTOによるマルチ世界自由貿易体制をあきらめ、日米によるTPPの締結をてこにアジア太平洋地域に自由貿易圏を創出し、アジアの、そして世界の自由貿易体制のデファクト・スタンダードにする。それはもはや「戦後世界システム」ではなく「新世界システム」である。その当然の帰結として、第二次世界大戦の主要交戦国である日本とアメリカの最終的な戦後和解が必要になっているのである。それが①~③が1つのメッセージになっている、という意味なのである。

「硫黄島の和解」を再現

注目の歴史問題への言及では、「深い悔悟」「とこしえの哀悼」「痛切な反省」などの言葉が使われ、その軽重と意味する範囲について世界中で甲論乙駁が繰り広げられているが、筆者の見るところ、最も注目すべき点は別にある。硫黄島の戦いの参加者であるローレンス・スノーデン海兵隊元中将と硫黄島守備隊司令官であった栗林忠道陸軍大将の孫、新藤義孝前総務大臣が、安倍首相の紹介により傍聴席で立ち上がって握手し、議場の全員からスタンディング・オベーションを受けた時である。

安倍首相は演説の中で「その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」というスノーデン元中将の言葉を引用し、1985年以来続いている硫黄島での日米合同慰霊祭の意味を紹介した。実は、この、戦勝国、敗戦国の別なくお互いの戦死者、犠牲者の存在を認め、合同で分け隔てなく追悼するという「相互追悼」は、第二次世界大戦の戦後和解の世界的なスタンダードになっている。ここには一方的な「非難」と「謝罪」は一切入り込んでいない。この「硫黄島の和解」をアメリカ連邦議会の議事堂で再現したのである。

アメリカ連邦議会傍聴席で握手をするローレンス・スノーデン海兵隊元中将(右)と新藤義孝前総務大臣(提供・AP/アフロ)

やっとたどり着いた日米の地点

確かに和解とはいえ儀礼的なものである。しかし、このことは日米関係史の中でも特筆すべき出来事ともいえる。それというのも、20年前には、このような日米間の和解が連邦議会で行われるとは想像もつかなかったからだ。1995年、アメリカの国立スミソニアン航空宇宙博物館が「エノラ・ゲイ50周年記念特別展」を企画したところ、退役軍人会や民間団体から広範な反対が巻き起こり原爆被害の展示を削除する羽目になった。このときは連邦議会の多くの議員も反対に回った。

さらにである。展示変更が決まって2週間後、同じく第2次世界大戦で連合国の大規模無差別爆撃をうけ、万単位の犠牲者を出し、市街を破壊されたドイツのドレスデンで行われた「空爆50周年追悼式典」に、空爆を行った米英の軍のトップが参列したのである。日米は表面上の外交関係とは別に、米英とドイツ間の戦後和解からはほど遠い場所にいたのである。ようやくここまで来たというのが実感である。

もちろん戦後問題を考える上で、安倍首相が、この20年間、歴代の首相が継承してきた村山談話を自らも受け継ぐかどうかは重要な課題ではある。しかし、村山談話のポイントである、a.日本の国策の誤りとしての戦争原因、b.侵略の事実、c.植民地支配の事実、のそれぞれについての反省と謝罪については、a.については、今回の演説で言及があったが、b.c.はそもそもアメリカに対して直接は関係ない。アメリカとの戦後和解が最大のテーマなのだから、この件について触れないのは当然と言えば当然である。b.c.は戦後70年談話で取り組むべきことであろう。

何がどう転換したのか

戦後和解だけではない。90年代までの日米関係は、アメリカが日本の安全保障努力の少なさを非難し、市場開放へ圧力を加え続けるというのが基本構図であった。しかし、今回、まったく逆になった。安全保障については日本が自らの行動制限を取り払い、軍事費の削減が続くアメリカを東アジアにつなぎとめようとしている。TPPでも今回は、日本側が農協改革を行い合意への道筋をつけているのに対し、アメリカはオバマ大統領の民主党自体が支持基盤である自動車産業の要望で自動車部品の輸入関税という障壁撤廃に抵抗。オバマ大統領は、TPP交渉妥結に必要な「大統領貿易促進権限」を議会から与えられていないのである。

かつてであればアメリカの大統領が日本に来て、一層の防衛努力と市場開放を訴えるのが、お決まりの構図であった。しかし、今回初めて日本の首相が、保護主義と軍事予算削減の牙城、アメリカ連邦議会に乗り込んで、軍事同盟の強化、自由貿易交渉の受け入れを訴えたのである。

ゆえに今回の安倍首相演説は、日米関係において歴史的な転換点と位置付けてよい。

間宮 淳・nippon.com編集担当理事

カバー写真=アメリカ連邦議会上下両院合同会議での演説後、議員たちに囲まれ祝福される安倍首相(提供・AP/アフロ)

資料・アメリカ連邦議会上下両院会議における安倍晋三内閣総理大臣の演説

「希望の同盟へ」

・はじめに

議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。

「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。

以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。

皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

・アメリカと私

私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。

家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。

のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。

・アメリカ民主主義と日本

私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。

日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

・第二次大戦メモリアル

先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の痛み、悲しみが、家族への愛が宿っています。

真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの哀悼を捧げます。

・かつての敵、今日の友

みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。

「硫黄島には、勝利を祝うため(以前)行ったのではない(し)、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。

もうお一方、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

・アメリカと戦後日本

戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。

焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

・TPP

こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。

その営為こそが、TPPにほかなりません。 

しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

・強い日本へ、改革あるのみ

実は……、いまだから言えることがあります。20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。

世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。

親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

・戦後世界の平和と、日本の選択

親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

・地域における同盟のミッション

私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。 

アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。

太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。

そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。

日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。

この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。

・日本が掲げる新しい旗

1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。

国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。

いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。

自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

・未来への希望

まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。

「落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。

2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれました。――希望、です。

米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であったし、希望であり、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。

ありがとうございました。

(外務省発表資料に基づく)

安倍晋三 TPP 村山談話