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北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる動き

政治・外交

北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの父で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成、初代代表を務めた横田滋さんが2020年6月5日亡くなった。拉致から約40年が経過し、救出活動を続けてきた家族も高齢化している。拉致問題のこれまでの経緯を振り返る。

北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの父で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成、初代代表を務めた滋さんが2020年6月5日、老衰のため死去した。妻の早紀江さんとともに、全国を行脚し、めぐみさんの救出・拉致問題の解決を訴え続けた。

北朝鮮による日本人拉致事件は1970年代後半から80年代初頭にかけて各地で発生。2002年に当時の小泉純一郎首相が訪朝し、北朝鮮側が初めて事実を認め、謝罪した。その後、拉致被害者5人が帰国し、04年には被害者の家族8人も帰国した。それ以降は、大きな進展がないまま時間が経過している。被害者の親世代は高齢化し、救出が実現しないまま死去するケースが増えている。これまでの拉致問題の経緯を振り返る。

2020年6月 拉致被害者・横田めぐみさんの父で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成し、初代代表を務めた滋さんが老衰のため死去
2019年2月 ハノイで第2回米朝首脳会談
2018年6月 シンガポールで史上初の米朝首脳会談
2018年4月 南北首脳会談で韓国の文在寅大統領が拉致問題を提起、金正恩委員長が日本との対話の用意があると文氏に伝える
2017年11月 米トランプ大統領来日、拉致被害者家族と面会
2016年2月 北朝鮮が拉致調査の全面中止発表
2014年5月 日朝政府間協議で北朝鮮が拉致被害者の再調査を約束(ストックホルム合意)
2014年3月 横田めぐみさんの両親とめぐみさんの娘キム・ウンギョンさんがウランバートルで面会
2012年4月 北朝鮮・金正恩氏が第一書記就任
2011年12月 北朝鮮・金正日総書記死去
2008年8月 中国瀋陽で日朝実務者協議、北朝鮮が拉致被害者の再調査約束
2006年10月 北朝鮮が核実験。政府は輸入全面禁止などの制裁実施
2004年11月 平壌で日朝実務者協議。北朝鮮が横田めぐみさんの遺骨を提出するが、12月、政府はめぐみさんのものではないと断定
2004年7月 拉致被害者曽我ひとみさんの家族3人が帰国
2004年5月 小泉首相再訪朝。拉致被害者の蓮池夫妻、地村夫妻の子ども5人が帰国
2002年10月 地村保志さん・富貴恵さん夫妻、蓮池薫さん・祐木子さん夫妻、曽我ひとみさんの5人の拉致被害者が帰国
2002年9月 小泉純一郎首相訪朝。金正日総書記が長年否定してきた拉致の事実を認め、謝罪。拉致被害者のうち「8人死亡、5人生存」と報告
1997年5月 政府が横田めぐみさんら10人を「拉致の可能性が濃厚」であると初めて言及
1997年3月 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」結成、横田滋さんが代表に就任
1997年1月 朝日放送プロデューサー(当時)の石高健次さんの取材をきっかけに行方不明だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されていたことが発覚
1995年5月 石高さんが制作した番組「闇の波涛から」で、80年に起きた原敕晁さんの拉致事件について実行犯の証言を交え報じる。
1991年5月 大韓航空機事件(87年)の実行犯・金賢姫に日本語を教えた李恩恵が、78年に行方不明になった田口八重子さんであることが判明
1988年3月 梶山静六国家公安委員長が国会で、日本政府として北朝鮮による拉致の可能性を初めて公式に認める
1977年11月 横田めぐみさんが中学校からの下校途中に新潟市内で拉致される
1977年9月 東京在住の久米裕さんが北朝鮮の工作員らに誘い出された石川県の宇出津海岸付近で拉致される。日本政府が認定した北朝鮮による拉致事件の最初のケース。以後、83年までに12件の事件で17人が拉致される。

政府の拉致問題対策本部ウェブサイト、各種報道を参考に編集部作成

(オリジナルの記事は2018年8月に公開しましたが、拉致被害者救済の活動を続けてきた横田滋さんが亡くなったことを受け、2020年6月に再公開しました)

バナー写真 : 2002年10月、北朝鮮から政府チャーター機で帰国した5人の拉致被害者(時事)

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