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北方領土交渉をめぐる主な経緯

政治・外交

1956年の日ソ共同宣言以降の北方領土をめぐる主な動きをまとめた。

安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領は2018年11月14日、シンガポールで会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることで合意した。

両首脳は11月末からアルゼンチンで開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議でも首脳会談を予定。さらに、年明けには安倍首相がロシアを訪問して集中的に協議を重ねる。

日ソ共同宣言は、第2次世界大戦での日本とソビエト連邦(現ロシア)間の戦争の終結と国交回復をうたったもの。両国の国会で批准されている。その時点では、北方四島の帰属について合意に至らず、「平和条約締結後に、歯舞群島、色丹島を日本国に引き渡す」と明記されている。

北方領土問題は、日ロ間の最大の懸案事項。日ソ共同宣言はこれまでの領土交渉の中でも、「原点」として言及されている。プーチン大統領は、共同宣言自体の有効性は認めているが、日本への返還の方法やどちらの国の主権に属するかについては「検討課題」としている。また、ロシア側は、日本に返還後、米軍基地や自衛隊基地が配備されることに対する警戒を示しており、主権や安全保障問題をめぐり、厳しい交渉が予想される。1956年の共同宣言以降の主な動きをまとめた。

1956年10月 日ソ共同宣言(鳩山一郎首相、ブルガーニン首相署名)
戦争終結と国交回復。北方四島の帰属は意見が一致せず、「平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す」と明記。
1992年 ビザなし交流開始、以降、毎夏、数往復ずつ実施
1993年10月 東京宣言(細川護熙首相、エリツィン大統領署名)
4島名を列挙し、帰属問題を解決することにより「平和条約を早期に締結するよう交渉継続」
1997年11月 クラスノヤルスク合意(橋本龍太郎首相、エリツィン大統領)
東京宣言に基づき、2000年までの平和条約締結を目指す
1998年4月 川奈提案(橋本首相、エリツィン大統領)
日本側が4島の北に境界線を引くが、当面はロシアの施政を認めることを提案
2000年9月 プーチン大統領来日
「日ソ共同宣言は有効」「川奈提案はロシア側の考えとは完全に一致しない」
2001年3月 イルクーツク声明(森喜朗首相、プーチン大統領)
日ソ共同宣言を交渉の出発点と確認
2003年1月 日ロ行動計画(小泉純一郎首相、プーチン大統領) 経済協力を確認
2010年11月 メドベージェフ大統領がロシア首脳として国後島を初訪問
2012年7月 メドベージェフ首相、国後島訪問「ロシアの土地、一寸たりとも渡さない」
2016年12月 プーチン大統領来日
北方四島での共同経済活動の協議入りで合意
2018年9月 プーチン大統領「年内に前提条件なしに平和条約締結」を提案
2018年11月 日ロ首脳会談(安倍晋三首相、プーチン大統領)
日ソ共同宣言を基礎として、平和条約締結交渉を加速させることで合意

内閣府ウェブサイト、外務省ウェブサイト、各種報道等を参考に作成

島の名前 面積(km2 特徴
歯舞群島 95 複数の小島で構成
色丹島 249 緑に覆われたなだらかな丘陵地帯(人口3000人)
国後島 1489 太平洋側は比較的平坦で、天然の良港(人口8000人)
択捉島 3167 2万トンものサケ・マスが水揚げされるなど水産資源に恵まれる(人口6000人)
合計 5003 福岡県に相当する面積

内閣府、独立行政法法人北方領土問題対策協会のウェブサイト等を参考に編集部作成 特徴欄に記した人口はロシア人の在住者

バナー写真 : 時事 / 日ソ共同宣言の調印式に臨む鳩山一郎首相(左)とソ連のブルガーニン首相(1956年、ソ連・モスクワ)

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