首相公選論が浮上する背景

政治・外交

重点政策に掲げる維新の会

内閣総理大臣を国民の直接選挙で選ぶ首相公選制の導入論が憲法論議の焦点のひとつとして注目度を高めている。これまでは国民の関心に比べ、政界が総じて冷淡なテーマだった。今回は橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」が重点政策として掲げ、国会議員や政党の一部にも推進論が拡大しつつある点が特徴だ。

現行憲法は議院内閣制の下、衆参両院で首相の指名選挙を行い、衆院の議決が優越する。行政権は内閣に属する。衆院は首相不信任を決議できるが、首相は対抗措置として、あるいは事実上、独自に衆院を解散できる。

自治体の首長について憲法は住民による直接公選を定めている。つまり、国と地方で行政トップを選ぶ原理は異なる。

2006年から6年連続で日本の首相は交代している。衆参両院で与野党勢力の多数が異なる「ねじれ」や、ひんぱんな与党の党首選びなどが政治の不安定さを助長してきた。

その中で、首相公選制によるリーダーシップ強化論が注目されている。次期衆院選で「大阪維新の会」の国政進出をうかがう橋下市長は「一国のリーダーを選ぶ権限を国民は国会議員から取り戻すべきだ」と主張、一院制や道州制導入論などと同様、制度改革の切り札と位置づけている。国会議員レベルでも民主、自民、公明、みんなの党の各党議員を中心とする「日本型首相公選制を実現する会」(約20人)が活動を再開した。

政党では、みんなの党が改憲による公選制を主張するだけでなく、改憲によらずとも衆院選と同時に政党や政治団体が首相候補を示し、国民投票を行う法案を提出している。投票の結果は国会議員を拘束しないが、首相指名選挙で結果を尊重して投票するよう求めることで、事実上公選を実現する案だ。

政情不安のたびに浮上

首相公選論は古くて新しい。中曽根康弘元首相の持論として知られ、1960年代に中曽根氏はすでに改革案を提起している。

政治が不安定になると脚光を浴びる傾向がある。2000年、森喜朗首相の選出過程が密室談合との批判が強まった際にも導入論が浮上した。

とりわけ小泉純一郎首相時代に首相の私的懇談会「首相公選制度を考える懇談会」が02年にまとめた報告書は3つの改革パターンを示している。(1)大統領型(2)衆院選を首相公選の場とする議院内閣型(3)現行憲法の枠内で内閣機能強化をはかる改革型の3類型で、(1)と(2)は憲法改正を必要としている。

(1)の大統領型の場合、国民は首相と副首相を直接公選で指名する。衆院選も首相公選と同時に行う。一定の国会議員の推薦が立候補には必要で、投票で過半数を得る候補グループがいない場合には決選投票を行う。

公選首相は米大統領と異なり法案や予算案の提出権を持つ。任期は4年だが衆院は3分の2以上の多数で不信任を可決でき、この場合は首相の再選挙を行う。衆院も同時に解散される。

(2)は各政党が衆院選の際に首相候補者を明示し、衆院選を事実上首相選びの選挙とする。このため憲法に政党条項を設け、国民参加型の首相候補選びを促す。あくまで議院内閣制による首相選びで、衆院の不信任決議については後継首相も同時に提示するドイツ型などの採用を求めた。

だが、首相公選論はその後しばらく鳴りをひそめた。大統領型の場合、首相が属する政党が国会で少数派となる「分割政府」状態となる懸念が指摘された。また、民主党の小沢一郎元代表が「国民に直接選ばれた人は元首であり、天皇制と両立するのかという議論が当然出てくる」と指摘するように天皇制との兼ね合いも論点として意識されている。

統治機構の憲法論にふたつの流れ

小泉元首相に代表される劇場型手法が加速することへの警戒など「ポピュリズム政治」に連動する懸念も国会議員には根強い。首相公選制が92年に導入されたイスラエルで01年に廃止されたことも影響し、衆院憲法調査会が05年にまとめた報告書は「導入すべきでない」との見解を多数意見とした。

一方で、首相公選論に国民の一定の支持があることも事実だ。毎日新聞が05年と09年に行った世論調査では改憲賛成派が具体的に選んだ項目ではいずれも「首相を国民の直接投票で選べるようにする」が最多だった。こうした意識が今回の論議の底流にある。

政治の閉塞感が強まる中、住民が行政トップを直接選ぶ地方自治のシステムが国民により魅力的に映りつつあるのかもしれない。あくまで議院内閣制下で機能強化を図るか、それとも大統領型を志向した制度改革か。統治機構をめぐる憲法論にふたつの潮流が形成されてきたことに留意すべきであろう。

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