「難民映画祭」・日本で10回目の開催

文化 社会

欧州にはシリアなど紛争地の中東・アフリカから多くの難民・移民が大量に流入し、戦後最悪の「人道危機」となっており、難民は世界全体で、この10年間におよそ5割増え、約6000万人に達した。こうした中で難民問題への理解を深める目的で10回目の「難民映画祭」が2015年10、11月に東京、札幌、仙台で開催されている。

希望のメッセージも

映画祭を主催する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、上映映画は、難民の苦悩・困難を描くシリアスな作品だけでなく、希望のメッセージを伝えようとする映画も選ばれた。

前者の代表例が「ヤング・シリアン・レンズ(Young Syrian Lenses)」で、シリア第二の都市アレッポの苛烈で悲惨な日常を描いたドキュメンタリーだ(写真1)。後者の例としては、「グッド・ライ~一番優しい嘘(The Good Lie)」が挙げられよう(写真2)。これは、スーダン内戦で孤児となり、13年間、ケニアのキャンプで過ごした後、米国への第三国定住を認められた南スーダン出身の3人の難民の子どもたちが新しい土地での生活に戸惑いつつ、幼少期の辛い思いでを乗り越えようとする物語だ。

写真1・「ヤング・シリアン・レンズ(Young Syrian Lenses)」の一場面

写真2・「グッド・ライ~一番優しい嘘(The Good Lie)」の一場面

映画の鑑賞は無料だが、上映会場では難民支援のための募金活動が行われる。UNHCRによると、過去9回開催された難民映画祭の延べ入場者数は約4万6000人で昨年は約4800人だった。映画を見て、これまで難民問題の存在すら知らなかった人が、強い関心を持つようになった例が続出しているという。今年は欧州での難民危機もあり、昨年の入場者数を上回るとみている。

戦後最悪の人道問題

国際移住機関(IOM)が9月29日に明らかにしたところによると、中東やアフリカから地中海を渡って欧州に入った難民らの数が年初からこれまでに52万 2000人に上った。過去最高を大きく上回り、増え続けている。内訳はギリシャに約38万 8000人、イタリアに約13万 1000人が押し寄せた。UNHCRの統計では、全体の54%がシリア人で、アフガニスタン13%、エリトリア人7%が続いている。地中海を渡る途中で2980人が死亡または行方不明となっている

欧州連合(EU)の規則では、域外から難民認定を求めてやってくる人々に対しては、最初に足を踏み入れる域内国が難民要件を満たしているかどうか審査することになっているが、中東・アフリカからの上陸国となることが多いギリシャやイタリアに留まることを希望する者は少なく、両国政府は審査なしで他の加盟国に送り出すケースがほとんどだ。

彼らの目指す先は、難民の受け入れに寛容なドイツやスカンジナビア諸国、オランダ、英国などだ。特に、ドイツのメルケル首相は9月4日、トルコを経て、ギリシャに上陸し、バルカン半島を北上した後、ハンガリーで足止めされていた難民をオーストリア経由で受け入れることを表明したことにより、難民らの間では一時、「英雄視」されるようになった。

深まる混迷

しかし、短期間であまりにも大量の難民が流入したため、ドイツ政府は混乱を避けるために9月中旬にオーストリアとの国境で「国境審査」を再開。オーストリア、スロバキア、オランダも同様の措置を取った。「シェンゲン協定」の下で認められているEU域内自由移動の原則が脅かされている。

難民の多くが目指すドイツやスカンジナビア諸国へのルートで中継点となっているハンガリーに殺到。同国は難民の流入を阻止するために、セルビアとの間に109マイル(174キロメートル)の有刺鉄線をめぐらすとともに、セルビア国境に近い南部で「非常事態宣言」を出した。EUが直面する戦後最悪の人道問題とも言われる「難民危機」を巡る混迷は深まるばかりだ。

それでもナチスドイツ時代の排外主義への反省もあり、積極的な難民受け入れ策をとるドイツの姿勢は注目されている。1950-70年代、西ドイツ(当時)は労働力不足を補うためにトルコなどから出稼ぎ労働者を大量に受け入れた。1990年の東西ドイツ統一後も旧ユーゴスラビアなどから難民が殺到。高齢化の進展などによる人口減少問題もあり、1990 年代後半に受け入れ政策に転換。国籍を取得しやすくしたこともあり、2014年は55万人が新たに定住。今では人口の約2割、約1640万人が移民やその子孫だ。

EU内部では域外から殺到する難民・移民を受け入れることについて、総じて西欧諸国は人道的見地から積極的で、東欧諸国は受入れ能力の限界から消極的な姿勢を示しており、一枚岩ではない。16万人の難民受け入れ枠の各国別配分も、曲折の末、ようやく決まった。こうした中で、9月23日にブリュッセルで開かれたEU首脳会議では、欧州への過度の難民の流入を食い止めるために、UNHCRなど国連の難民支援機関に対して、少なくとも10億ユーロの追加支援を実施する方針で合意した。資金面から国連諸機関の活動を後押しし、欧州へ向かう勢いを少しでも抑制したい考えだ。

日本の受け入れ消極姿勢に批判

欧州の難民危機がマスコミで毎日のように報道される中で、日本政府が海外からの難民の受け入れに消極的であるとの批判が改めて高まっている。実際、日本では2014年、5000人が難民申請を行ったが、2014年以前に申請されたものを含めても、同年1年間に認定されたものは11名だった。これは欧米諸国と比べて2ケタ、3ケタ少ない水準だ。人道的な配慮での在留許可も110人にとどまった。シリアからはこれまで約60人が日本にたどり着き、難民申請をしたが、そのうち認定されたのは3人に過ぎない。

難民条約の厳格な解釈で知られる法務省は最近、アフリカで虐待されている女性など、保護の対象となる「新しい形態の迫害を受けている」と見なし、認定の枠を広げる方針を固めたとされるが、認定者の増加に結び付くのかどうか不透明だ。同省はまた、紛争を理由とした申請は難民とは認定しないものの、「紛争退避機会」という考え方で初めて保護対象と位置付け、人道的な配慮で在留を認めることにした。

UNHCRへの拠出金は第2位の日本

そうした中で、日本が難民問題への取り組みに一貫して消極的かと言えばそうではない。UNHCRへの拠出金では世界第二位だ。また、日本はベトナム戦争終結後の1970年代後半からインドシナ難民を約1万1000人受け入れた実績がある。さらに、日本は難民の第三国定住を実施しているアジアで唯一の国だ。日本政府は2009年度からUNHCRなど国連機関と協力して、タイの難民キャンプで暮らすミャンマー人難民を対象に2014年までの5年間で86人の日本定住を実現させてきた。

欧州での難民危機が注目される中、安倍晋三首相は9月29日のニューヨーク国連総会での演説で、シリアとイラクへの難民および国内避難民への支援で今年1年間で昨年の約3倍となる約8億1000万ドルを拠出することを表明した。さらに、シリア難民が100万人規模で殺到しているとされる隣国レバノンには新たに200万ドルの支援を行うとともに、セルビアやマケドニアなどEU周辺国で難民・移民の受け入れに苦慮している諸国に対し、新たに約250万ドルの人道支援を実行すると付け加えた。

潤沢な資金支援

日本政府の難民支援については経済援助に偏っており、難民の受け入れが極端に少ないとの批判が高まっているが、安倍首相は同日、ニューヨーク市内での記者会見で、(シリア)難民の受け入れの可能性について聞かれ、「難民を生み出す土壌そのものを変えるため貢献していく」と述べるにとどめた。経済、教育、保健医療分野で積極的に協力していく考えを示したものだ。

UNHCRは日本政府に対して、シリア難民への人的支援で、①ヨルダンなど周辺国での日本入国ビザの発給要件緩和、②シリア人留学生・研究者の受け入れ拡大、③病気・ケガの治療目的での招聘、を提言したが、UNHCR駐日事務所の広報官によると、10月1日現在で、回答は受け取っていないという。②については数十人のシリア人留学生の受け入れが検討されている。

湾岸戦争当時の対応と二重写し?

難民支援協会(JAR)など14の難民支援・人権団体は9月28日、安倍首相に対して国連総会演説で日本へのシリア難民受け入れを表明するよう求めていた。難民の受け入れ人数が他の先進国と比べて極端に少ない(例えばドイツは3万5000人、米国は少なくとも1万人のシリア人難民の受け入れを約束している)のは、法務省による難民条約の厳しすぎる解釈・適用もさることながら、日本社会で難民受け入れに向けたコンセンサスが十分形成されていないことも背景にあるだろう。

グローバル化された国際社会から日本が受けている恩恵やその立ち位置などを踏まえて、「積極的外交主義」の下、日本の求められている役割を再考する必要があるのではないか。1990-91年の湾岸危機・戦争当時、日本は多額の資金を提供したが、人的貢献はためらったため、全体的な評価は低かったという苦い経験がある。難民問題でも同様な見方をされていないだろうか。欧州で難民危機が続く中、日本には積極的な貢献を打ち出すチャンスが訪れているのではないか。

文・村上 直久(nippon.com編集部)

カバー写真=第10回難民映画祭ポスター(提供・国連難民高等弁務官事務所)

中東 シリア 難民 アフリカ