古民家カフェの窓辺から

文化人が集った料亭旅館の面影を残す空間 : カフェ金澤園(横浜・金沢文庫)

文化 暮らし

関東大震災を生き延びた明治期の家屋を移築した料亭旅館が、カフェとして新たな時間を刻んでいる。喫茶店をこよなく愛する文筆家・川口葉子さんが、東京近郊の「古民家カフェ」をレポートと写真で案内するシリーズ。第17回は横浜・金沢文庫の「金澤園」。

昭和の海辺の行楽地、その記憶を訪ねて

横浜・八景島の海辺近くに、かつては格式高い料亭旅館だった建物が残っている。1930(昭和5)年に開業した「金澤園」だ。当時はその建物1棟にとどまらず、弓道場や見晴台、庭園、釣り堀、遊覧船まで擁する広大な行楽施設だった。現代で言うなら、アトラクション施設を備えた巨大ビーチリゾート。宴会、宿泊、観光を担い、与謝野晶子や高浜虚子ら文人墨客にも愛された料亭である。

入母屋造り瓦ぶきの重厚感のある建物
入母屋造り瓦ぶきの重厚感のある建物

開業からおよそ100年。目の前に輝いていた海は埋め立てによって遠ざかり、弓道場などもみな住宅地に変わった。それでも、2016年まで料亭として営業を続けてきた貴重な建物は残り、国の登録有形文化財となっている。

いま、その1階はカフェとして開かれている。カフェを楽しんだ後は、2階の大広間も見学できる。昭和の文人たちが愛した風光明媚なリゾートの面影を探しに、出かけてみよう。

かつて厨房だった場所で楽しむタルトとコーヒー

東京都心から横浜、三浦半島を結ぶ京浜急行本線。金沢文庫駅から京急バスに乗り、「金沢園」バス停で降りれば目の前が金澤園だ。秋の朝、バスを降りたとたんに金木犀(きんもくせい)の甘い香りに包まれた。

風格漂う玄関
風格漂う玄関

盛り塩のある玄関で靴を脱ぐ。建具の繊細な美しさに目を凝らしているうちに、細工のほんの一角だけ、木材が新しいことに気づいた。修繕の跡である。約100年の間に、どれほど多くの補修が重ねられてきたのだろう。

カフェ。時代を経た柱と梁が支える勾配天井には、天窓があり空がのぞいている
カフェ。時代を経た柱と梁が支える勾配天井には、天窓があり空がのぞいている

右手に進むとカフェがある。まずカウンターで注文と会計を済ませ、席で待つ。料亭の時代には、このカフェスペース全体が大きな厨房だった。

注文したのは自家製のタルトと飲み物のセット。クルミやブルーベリーなど数種類の中から、バナナを選んだ。ごく軽くキャラメリゼしたバナナの風味に、奄美産の砂糖の深みのある甘さが寄り添う。コーヒー豆は広島・呉で焙煎されている「海軍さんの珈琲」だ。

バナナのタルトとコーヒー。カップとソーサーは料亭時代から使い続ける特注品
バナナのタルトとコーヒー。カップとソーサーは料亭時代から使い続ける特注品

「戦時中は横須賀市にあった研究開発機関・海軍航空技術廠(しょう)の指定旅館となり、一般のお客さまをお迎えできない時代がありました。そうした歴史から、このコーヒー豆を選びました」

そう語るのは、金澤園の4代目当主。2020年、父親から建物を継承し、カフェに生まれ変わらせた。「継いでほしい」と言われたことは一度もないという。維持管理の大変さを思ってのことだろう。

「ヨーロッパに留学していたとき、古い石造りの建物を若い人々がリノベーションして活用している光景に心を動かされました。うちにも古い建物が残っています。取り壊すのは簡単ですが、二度と同じものはつくれない。残せるところまでは残していきたいと思ったのです」

老朽化した木造の建物を、修繕しながら使い続ける。決して美術品のように大切に保存されてきた建物ではない。海軍の指定旅館だった時代に壊された痕跡も、厨房として煙や油をまとっていた記憶も、そのまま刻まれている。

金澤園は時代とともに変化してきたのだ。

「料亭の頃は完全予約制でしたが、カフェならもっと気軽に来ていただけます。古い建物ならではの空気感や、時間の流れを楽しんでいただければと思います」

2階にひろがる文学者たちの世界

庭の緑に包まれた2階大広間
庭の緑に包まれた2階大広間

階段を上がると、大広間や、与謝野晶子が夫の鉄幹と滞在した部屋が待っている。かつてはこの窓から水平線が見渡せたはずだ。晶子は「金澤の夕明かり落ちせんなくて岬に数ふ秋のともしび」と、この地の秋の夕景を詠(よ)んだ。

与謝野晶子・鉄幹がたびたび逗留した部屋
与謝野晶子・鉄幹がたびたび逗留した部屋

客室は部屋ごとに意匠が異なる。食器を統一せず、さまざまな器を取り合わせて楽しむ日本料理の美意識が、部屋のしつらえにも息づいているのだろう。

銘木が使われた床の間。「寛猛相済(かんもうそうさい)」の額は、皇族でありながら陸軍大将として活躍した閑院宮載仁(ことひと)親王から現当主の曽祖父が拝領したもの
銘木が使われた床の間。「寛猛相済(かんもうそうさい)」の額は、皇族でありながら陸軍大将として活躍した閑院宮載仁(ことひと)親王から現当主の曽祖父が拝領したもの

1939年には大広間で高浜虚子らの句会が開かれた。そのとき詠まれた虚子の俳句のひとつが、これである。

汐干潟たゞ歩きゐる男かな(虚子)

二度の大震災を生き抜いて

金澤園の歴史は、1916年に横浜・桜木町で創業した料亭「満月」に始まる。木造3階建ての建物に暖簾がひるがえる記念写真が、廊下に残されている。

転機は1923年の関東大震災だった。横浜一帯も甚大な被害を受け、満月の建物が失われたため、現在の場所へと移ることになる。1929年、品川で大震災を耐え抜いた明治期の木造家屋を見つけ、解体して船でこの地へ運んだ。この古材を用いて宮大工たちが腕をふるい、再築・増築して生まれたのが金澤園である。

廊下に上棟式の記念写真が飾られている
廊下に上棟式の記念写真が飾られている

「2011年、東日本大震災が起きたとき、建物は大きく揺れ、知人らから心配の電話をもらいましたが、お皿一枚割れませんでした」

宮大工の緻密な手仕事と堅牢な構造のおかげだろうか。金澤園には二度の震災に耐えた木材が生きている。だが、見どころはそれだけではない。

水回りの風情と、宴の記憶

浴室の脱衣所。洗面ボウルが美しい
浴室の脱衣所。洗面ボウルが美しい

1階の共同浴室は、竣工当初から残るフランス製のステンドグラスとモザイクタイルに彩られている。この浴室といい、廊下横の洗面コーナーの佇まいといい、歳月を重ねた旅館の水回り空間には独特の風情が漂い、想像をかきたてる。

左:廊下左手の流し台 右:ステンドグラスやタイルが残る共同浴場
左:廊下左手の流し台 右:ステンドグラスやタイルが残る共同浴場

当主にこの建物にまつわる豊かな思い出を聞いた。茶碗蒸しのおいしさ。大広間に脚付き膳がずらりと並び、宴の支度が整った光景。

当時は着物姿の仲居さんたちが1階の厨房と2階を往復し、計10品からなる会席料理のコースや重いビール瓶を抱えて、何度も階段を昇り降りしていたという。

左:2階の建具も美しい 右:廊下は複数設けられている
左:2階の建具も美しい 右:廊下は複数設けられている

往年のお客だった人々も、思い出を懐かしんでカフェを訪れる。

「昔、ここで結納をしたのよ、というご年配の方がお孫さんを連れて来てくださったり、ここで七五三のお祝いをした方が来てくださったり」

ハレの日の特別な空間から、より親しみやすい日常のカフェへ。それが金澤園の現在の表情である。

犬たちの肖像画

余談だが、カフェの壁の一角には5匹の犬の絵が飾られている。

「家族で飼っていたビーグルです」

母犬ラッキーと、それを囲む子ども4匹。その絵は、当主が彼らと交わした「この場所をカフェにする」という約束のしるしでもある。カフェのオープンはコロナ禍のさなかだった。開業前も開業後も困難はあったが、そのたびに愛犬たちが家族を精神的に支えてくれたという。

左:振り子時計と、「満月」創業当時の写真 右:カフェを見守る犬たち
左:振り子時計と、「満月」創業当時の写真 右:カフェを見守る犬たち

「ここにまだ、こういう建物が残っているんだな、と思っていただければうれしい」と、当主は気負いのない口調で語る。

入母屋造の玄関の前に立ち、2階の窓を見上げたときから、昭和の行楽地をしのぶ時代旅行は始まる。宮大工が組み上げた梁の下で、海軍ゆかりのコーヒーをすすりながら、約100年の時間に身を委ねる。そんなひとときを味わいに訪れてほしい。壁の絵の犬たちも、静かに迎えてくれる。

カフェ金澤園

  • 住所:横浜市金沢区柴町46
  • 電話:045-701-8664
  • 営業時間:木・金曜日 10時30分~午後3時(L.O.午後2時30分)、土・日曜日8時30分~午後4時(L.O.午後3時30分)
  • 会計は現金のみ
  • 定休日:月・火・水曜日
  • アクセス:京急本線「金沢文庫」駅より京急バスで「金沢園」下車すぐ、または金沢シーサイドライン「海の公園柴口」駅より徒歩5分
  • 公式サイト:https://www.instagram.com/kanazawaen1916/

取材・文・写真=川口葉子

バナー写真:関東大震災を耐え抜いた木造家屋を解体して船で横浜に運び再築した建物を活用した金澤園の外観

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