【書評】前日銀総裁が経験した39年:白川方明著『中央銀行』
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2013年3月に日本銀行総裁を退任して以降、著者はメディアの取材を全て断ってきた。それを5年半ぶりに解禁した理由が本書の上梓だった。第1~3部758ページの中に、日銀に入って総裁を辞めるまで延べ39年間の思いが詰まっている。
予想外のリーマン破綻
中央銀行に関する議論を深めることが執筆の動機だが、「回顧録」として読むことも可能だ。とりわけ第2部「総裁時代」に、その色合いが濃い。
著者が日銀総裁を務めた2008~13年は、激動の5年間だった。リーマン・ショック(2008年9月)とその後の深刻な世界不況、ギリシャに端を発した欧州債務危機(09年10月~)、そして東日本大震災(11年3月)。この荒波の中、白川総裁率いる日銀は難しいかじ取りを強いられた。
印象深いのは、破綻に瀕した米大手証券会社リーマン・ブラザーズを巡り開かれた先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁による電話会議。席上、ヘンリー・ポールソン米財務長官は厳しい情勢だが、当局として最大限の努力をすると約束した。著者はこう述懐する。
「(リーマンが破綻すれば)世界の金融市場が甚大な混乱に陥る可能性が高いことはほぼ明らかだった。(中略)最終的に米国当局が同社の無秩序な清算を許すはずはない、いや許すことはできないはずというのが、私の思いであった」
しかし、その予想は外れた。この会議のわずか2日後、リーマンは破産手続きに入る。そして世界の金融システムは崩壊の瀬戸際に追い込まれ、世界中から需要が蒸発して不況に突入していった。日本経済も、その例外ではなかった。
強まる圧力
政府は2009年11月にデフレを宣言、為替市場では急激な円高が進んだ。著者が総裁時代に一貫して悩まされたのは、デフレ脱却と円高阻止を求める圧力だった。
金融政策は万能ではないのだが、世界中どこの国でも中央銀行に頼ろうとする「時代の空気」が醸成されていった。日本では、それが2012年12月の解散総選挙と第2次安倍晋三政権の誕生でピークに達する。
著者は「懊悩した」。大胆な金融緩和の実行と、それを約束する政府との政策協定の締結を求められ、さらには総裁解任権を盛り込んだ日銀法の改正も現実味を帯びてきた。この時期、日銀に対しては「恫喝的発言が繰り返された」。
反論すれば政府と日銀の足並みの乱れを公にし、マーケットに悪影響を及ぼす。また、主権者である国民が民主的に選んだ政治家の要求をはねつけることは許されるのか、だからといって専門家の目から見て禍根を残しかねない政策を打っていいのか。ジレンマは深かった。
筆致は抑えているが、第2部第17章「政府・日本銀行の共同声明」には、安倍政権の政策ロジックに対する警戒感が表れている。
「中央銀行は不思議な存在である」。これは、あとがきの書きだしだ。
政府と協調するが、政府から独立している。政府は法律に基づいて税を強制的に徴収できるが、日銀はマーケットに働き掛けるというまどろっこしい方法を取るしかない。
中央銀行とは何なのか、どのようにして理想的な姿に近づくことができるのか。著者は、このミステリーをあくまでロジカル(論理的)に解き明かす。
「ロジカル・ミステリー・ツアー」にようこそ。
(谷定文=ニッポンドットコム編集局長)
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