ニッポンの城

【日本100名城®】大分県・大分府内城

歴史

大分府内城は、豊臣秀吉の九州平定で功績を挙げた福原直高(ふくはら・なおたか)が大分川と住吉川に挟まれた海に面した土地を選んで築城した。白土の塀と、水上に浮かぶその姿から、「白雉(はくち)城」とも呼ばれている。

大分県・大分府内城

  • 築城年:1597年、1602年
  • 初代城主:福原直高、竹中重利(たけなか・しげとし)
  • 主な見どころ:人質櫓(ひとじちやぐら)、宗門櫓(しゅうもんやぐら)、大手門(復元)、廊下橋(復元)など
  • 料金:無料
  • 所在地:大分市荷揚町4
  • 公式HPなど:府内城(大分市)

海と川に囲まれた守りの堅い平城

大分府内城は、豊臣秀吉による九州平定の後の1597年にこの地の領主となった福原直高が大分川と住吉川に挟まれた海に面した土地を選んで築城に着手した。1599年に妻の兄であった石田三成(みつなり)が徳川家康と対立して失脚すると、直高も領地を没収されて完成間近の府内城から去り、1600年の関ケ原の戦いに敗れて切腹を命じられた。直高の後に城主となった竹中重利は、4層の天守と櫓、門、武家屋敷などを造って城を完成させた。石垣造りに熊本城を建てた加藤清正(きよまさ)の石工を招くなど、当時の城造りの先端技術を導入したという。その後、竹中家も2代で滅び、1658年以降は徳川家の親族である松平氏が代々城主を務めた。

19世紀以前の江戸時代の建物で現存するのは、宗門櫓と人質櫓だけだが、大分市による「府内城再発見事業」により、廊下橋などの復元が行われ、発掘調査で築城当時の石垣が発見された。

復元された廊下橋(PIXTA)
復元された廊下橋(PIXTA)

大分県の城

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バナー写真:大分府内城跡(大分城址公園)(PIXTA)

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