魚拓はアート・デジタルへ進化 武士の鍛錬から発展した日本文化、エジプト人スタッフが体験

文化 美術・アート

魚に墨を塗り、紙を当てて姿を写し取る──。「魚拓」と聞けば、釣り宿や魚料理店の壁に飾られた、黒一色の大魚を思い浮かべる人が多いだろう。戦後には色彩豊かな「美術魚拓」も登場。いまでは写真から作る「デジタル魚拓」もある。海に囲まれた日本ならではの文化でもある魚拓の歩みを紹介するとともに、ニッポンドットコムのエジプト出身スタッフが美術魚拓を体験した。

武士の「勝負」を残した魚拓

現存する日本最古の魚拓とされる1839年の「錦糸堀の鮒」=鶴岡市郷土資料館所蔵
現存する日本最古の魚拓とされる1839年の「錦糸堀の鮒」=鶴岡市郷土資料館所蔵

魚拓の発祥地は、現在の山形県鶴岡市を中心とする庄内地方だとされている。

江戸時代、庄内藩は藩士の心身を鍛えるため、磯釣りを奨励した。鶴岡の城下から庄内浜の釣り場まではおよそ12~20キロメートル。藩士たちは長い釣りざおを担ぎ、夜明け前から山道を歩いた。荒ぶる日本海を前に、魚がかかるのをじっと待ち、大物との力比べに挑む。磯釣りは、体力だけでなく、忍耐力や判断力も求められる。武芸に通じる鍛錬の一つだったのだ。

こうした厳しい磯釣りを、藩士たちは「勝負」と呼び、その成果を残すために魚拓を取った。今でいう記念写真や競技記録の役割を果たしていたようだ。現存する日本最古の魚拓とされるのが、「錦糸堀の鮒(ふな)」。1839(天保10)年、庄内藩第9代藩主の酒井忠発(ただあき)が江戸の錦糸堀で釣ったフナを写し取ったものだ。現在は鶴岡市郷土資料館に所蔵されている。

「記録」から色鮮やかなアートへ

「竜の子会」会員が制作した美術魚拓
「竜の子会」会員が制作した美術魚拓

墨一色の魚拓は、魚の輪郭や大きさをはっきり残すことができる。一方、写真が普及した戦後、魚拓の世界では、魚が生きていた時の色や美しさまで表現しようとする動きが広がった。それが、絵の具を使った色鮮やかな「色彩美術魚拓」だ。

美術魚拓では、魚を一匹だけ写すとは限らない。複数の魚を組み合わせたり、葉や水草を添えたり、色の濃淡で光や奥行きを表したりする。釣果の証明や記録というより、魚を題材にした一枚の絵に近い。

釣った魚の写真とともに、体長や日時、使用釣具などが記録される「デジタル魚拓」=Re:Fish提供
釣った魚の写真とともに、体長や日時、使用釣具などが記録される「デジタル魚拓」=Re:Fish提供

ただし、魚拓に求めるものは人によって異なる。「魚拓はあくまで、自分が釣った魚の大きさを残すもの」と考える釣り人も少なくない。その思いを現代的な方法でかなえるのが「デジタル魚拓」だ。

スマートフォンやデジタルカメラで撮った魚の写真を加工し、魚だけを大きく配置して、魚種や全長、重量、釣った日、場所、釣り人の名前などを添える。魚を持ち帰らずに放流した場合や、過去の写真しか残っていない場合でも作ることができる。実物から直接写し取るわけではないが、「思い出の一匹を記録したい」という魚拓の役割を、デジタル技術で引き継いだものといえる。

紙の上から魚を「打つ」

「竜の子会」の齊藤龍美さんに美術魚拓の制作方法を教わるマルワ
「竜の子会」の齊藤龍美さんに美術魚拓の制作方法を教わるマルワ

東京と横浜を拠点に美術魚拓を広めている「竜の子会」の例会に、ニッポンドットコムのエジプト出身のスタッフ、マルワ・アドリーが参加した。挑戦するのは、赤く華やかなマダイの魚拓だ。

魚拓には、大きく分けて「直接法」と「間接法」がある。

直接法は、魚体に墨や絵の具を直接塗り、その上に紙を当てて写す方法。版画のような仕組みなので、紙には左右が反転して写る。

紙の上から絵の具を付けた「タンポ」で色をたたき込んでいく
紙の上から絵の具を付けた「タンポ」で色をたたき込んでいく

一方、今回体験する間接法は、魚の上に薄い和紙を密着させ、その紙の上から絵の具を付けた「タンポ(綿の玉を絹布で包んだもの)」で色をたたき込んでいく。10円玉の上に紙を置き、鉛筆でこすって模様を浮かび上がらせるのと似た原理だ。

教室の机には魚拓紙、霧吹き、大小さまざまなタンポ、絵の具が並ぶ。竜の子会では、7色の特製絵の具を、魚に合わせて混ぜながら使うという。

和紙を魚にぴったり密着させ、水分を丁寧に取る
和紙を魚にぴったり密着させ、水分を丁寧に取る

まず、下処理をして固定したマダイに和紙をかぶせ、霧吹きで湿らせる。魚体の凹凸に沿うよう、しわを伸ばしながら紙をぴったり密着させ、水分を丁寧に取る。そこから、いよいよ色を「打つ」作業に入っていく。

藍色、黄色、灰色、赤、赤茶色を重ねて魚の輪郭を浮かび上がらせる
藍色、黄色、灰色、赤、赤茶色を重ねて魚の輪郭を浮かび上がらせる

「ぎゅうぎゅうこすらず、トントントンと優しく」と先生役を務めた齊藤龍美さんに教わりながら、マルワは背中に藍色を打っていった。最初に青を置くため、完成形はまだ想像できない。続いて黄色、灰色、赤、赤茶色を重ねていく。濃くしたいところは打つ回数を増やし、腹に近づくにつれて薄くする。えらの段差を強調し、背中には光が当たったような白い部分を残す。色を一度に塗るのではなく、薄い層を重ねることで、魚の丸みやつやが少しずつ浮かび上がってくる。

魚の細部をよく観察しながら作業を進める
魚の細部をよく観察しながら作業を進める

「打っていると、鼻の穴の位置などいろんなところに気づくんですよ」という齊藤さんの言葉に、マルワも「魚をこんなに細かく見たのは初めて」と大きくうなずく。確かに、作業を進めるには魚をよく観察しなければならない。えらの盛り上がり、うろこの重なり、一本一本に分かれたヒレの骨。普段から食卓で魚を目にしていても、ここまでじっくり眺めることはほとんどないだろう。

一通り胴体分を打ち終えたら、顔や各ひれへ。ひれは紙をずらして骨を一本ずつ写したうえで、骨と骨の間の薄い膜にも色を入れていく。

胡粉で斑点を打ってマダイの輝点を表現
胡粉で斑点を打ってマダイの輝点を表現

マダイの特徴である背中部分に散らばる青い輝点は、綿棒を使い胡粉(こふん)で斑点を打った上に、藍色の絵の具を軽く載せて表現。

最後に筆で目を描くのだが、「失敗すると、こいのぼりになっちゃうから」と、齊藤さんが慣れた手つきで、目の中に小さな白い光を残すように、慎重に筆を運んだ。

最後に筆で目を描く
最後に筆で目を描く

手を動かすことで見えてくる自然の美しさ

仕上げに、落款を押して名前と「拓」の文字を書き添えると、マルワさんの作品が完成した。最初は青や灰色が目立っていた魚が、赤や黄色を重ねるうちに、紙の上で生き生きとしたマダイに変わっていた。

「最初はどんな色になるのか、全然分かりませんでした。こんなきれいな作品になるとは思わなかったです。細かい部分に初めて気づいて、自然の美しさを感じました。とても素敵な文化ですね」とマルワ。

完成した作品を掲げて記念撮影
完成した作品を掲げて記念撮影

写真なら一瞬で残せる魚の姿を、紙を当て、何色もの絵の具を重ねながら時間をかけて写し取る。マルワが「魚をこんなに細かく見たのは初めて」と話したように、美術魚拓の面白さは、作る過程そのものにもあるといえそうだ。

写真:野村和幸(提供以外)

バナー写真:マルワが制作した美術魚拓

山形 魚拓