観光

2018/4/16

信州・小布施「桝一市村酒造場」の蔵人の朝ごはん

まだ空の明けぬうちに食べる男飯

<献立>

  • 玉子
  • 漬物
  • 白飯
  • 味噌汁

 北信五岳を遠景に、北信濃の清涼な風景が広がる長野県小布施町。里山に抱かれたこの小さな町に、宝暦5年(1755年)創業の蔵元「桝一市村酒造場」がある。蔵では11月から3月にかけてが、酒造りのシーズン。この間、桝一では「蔵人」と呼ばれる職人が泊まり込みで、一日刻みの工程を寡黙にこなしていく。

 酒造りは奥深い。蔵人は「杜氏(とうじ)」を頂点に、「頭(かしら)」「麹屋(こうじや)」「酛屋(もとや)」「船頭(せんどう)」「精米屋」という職能に分かれ、それぞれが責任をもって持ち場を回していく。桝一には「碧漪軒(へきいけん・大吟醸純米生酒)」「鴻山(こうざん・大吟醸純米生酒)」「スクウェア・ワン(純米酒)」「白金(はっきん・純米酒山廃桶仕込)」という四つの銘柄があり、それぞれに異なる原料米と製法が採られている。

 その複雑な工程のリズムを作るのが、朝、昼、晩の飯だ。蔵人のために設けられた「寄り付き(休憩所)」で、こたつにあたりながら「まかない」を囲む時間は、文字通り同じ釜の飯を食いながら、酒造りの絆を深めていく大事なひと時だ。


夜明け前、蔵人たちが腹ごしらえをする 酒造りのシーズンは11月から3月まで 酒造りは熟練の要る力仕事だが、桝一市村酒造場では女性も、外国人も受け入れている あっさりした朝ごはんの後、昼と夜は、敷地内にある「小布施堂本店」のレストランから「まかない」が届く。今日の昼ごはんは豚のしょうが焼き、玉子焼き、お浸し、漬物に熱々の豚粕汁 黙々と 夜ごはんは蔵の酒とともに。杜氏を務める市川直道さん(44・右)に、ベテランの滝沢善治さん(69)が酒を注ぐ。午後6時には食べ終えて、明日に備える。壁には工程表が張ってある

 寄り付きのまかないは、四半世紀前までは蔵元当主の女房の仕事だった。

「新暦、旧暦の大晦日の食事は、家族も蔵人も一緒に食べるのがならわし。私が中学生だった昭和30年代ごろまではそうでしたね」と、17代当主の市村次夫(69)は振り返る。

 日本酒の蔵元はその後、昭和50年代に大量生産と効率化の波に洗われることになる。全国の蔵元が静かに、そして次々と姿を消していく中、生き残るには、大量生産を極めるか、稀少価値を高めるか、二つの道しかなかった。その大波の中で桝一が選んだのは後者。

「四つの銘柄酒は、『ラベルが違えば味が全部違う』というポリシーを持って造っています。もろみ造り用の『掛米』も、コストの高い酒造好適米を使い続けていますし、きわめて生産効率の悪いやり方だと思います。でも、そこに価値を置くことが、自分たちが酒造りを続ける意味だと思うのです」(市村)


「桝一市村酒造場」店舗の入り口建物の改装は米国人建築デザイナーのジョン・モーフォード氏が手掛けたダイナミックな空間が広がる店舗

 桝一と同じ敷地内には、明治時代に創業した栗菓子の「小布施堂」とその工場、「小布施堂本店レストラン」をはじめ複数の飲食店が存在する。栗の木レンガが敷かれた「栗の小路」や笹庭、市村家本宅内の通り抜けで、自由に行き来できる界隈は、重層的な歴史を伝えながら、訪れる人を大らかに迎える。

 数年前までは、酒造りの季節を知らせる「酒林(通称・杉玉)」作りなど、界隈の職人仕事を担う職人頭の女房が、蔵のまかないも作ってくれていた。彼女が高齢で引退した今は、昼と夜に小布施堂本店レストランからまかないが届く。蔵人が泊まり込みに使う個室は、米国人デザイナーのジョン・モーフォードの設計。酒造りが厳しい時勢にあって、そのような環境を持つ蔵元は、他にないのではないか。

 そんな桝一の朝ごはんは、まだ空の明けないうちに食べる男飯。蔵人が前夜に仕込んだ白ご飯に味噌汁、生玉子、漬物でさっと済ませ、冬の一日に向かう。


玄関を入ってすぐに、酒造り用の大桶が鎮座 ちょこっと腰をかけて、利き酒ができる「てっぱ」 「ますいち」の略号「□一」を英語読みした純米酒、「スクウェア・ワン」。陶器製の「かよい瓶」(量り売り用の瓶)を復活させた

(文中敬称略)

取材・文:清野由美 撮影:猪俣博史

<情報>

桝一市村酒造場
〒381-0294 長野県小布施町807
電話   026-247-2011
ファクス 026-247-6369
ウェブサイト http://www.masuichi.com/
メール  info@masuichi.com