京都「高台寺和久傳」-温かきは万能なり
Guideto Japan
暮らし 食- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
桑村祐子
1964年、京都府生まれ。大徳寺の塔頭で住み込み修業を経た後、89年に家業の「高台寺和久傳」に入る。2007年に「高台寺和久傳」の代表取締役に就任。
朝の掃除からすべてが始まる
闇の中を「日本の美」に磨き抜かれた空間が浮かび、非日常の感覚が立ち上がる。料亭が最も華やぐのはそんな夜の時間だが、凛としたたたずまいの源は朝にこそある。
桑村祐子(以下、桑村) 朝の料亭とは、にわかに想像がつかないことと思いますが、私がいちばん好きな時間帯です。
朝には冬でも障子を開け放して、従業員みんなで掃除をします。お座敷、廊下は塵(ちり)一つないように掃き清め、お座布団は飾りの房がきちんと揃うように整えます。障子の桟はもちろん、お庭では苔の間にあるゴミをピンセットでつまんで取り、庭木は葉の一枚一枚を拭いていきます。
「そこまでするの?」と驚かれることもありますが、はい、毎日そこまでしています。「高台寺和久傳」では、この建物が持っている力というものが最初にあり、それを最大限に生かすには、やはりお掃除が大切な基本になるのです。
料亭の凛とした空気は、従業員総出で行う朝の掃除の時間から始まる
座布団の房も揃える
畳は丁寧にから拭きを繰り返す
障子は桟のはしまで目を行き届かせて
「高台寺和久傳」が位置する界隈(かいわい)は、豊臣秀吉の正室、北政所(きたのまんどころ)ゆかりの高台寺をはじめ、隠れ家のような店が並ぶ石塀小路、そして八坂神社と、京都の中にあっても、とりわけ京らしさが漂う一画だ。
桑村 もとの建物は昭和27年(1952年)に、数寄屋建築の名工、中村外二棟梁の手で建てられた日本家屋です。以前は日本舞踊の尾上流家元のお住まいでした。ご縁があって1982年にお譲りいただくことができ、私の母、桑村綾が料亭を開いたのが「高台寺和久傳」の始まりです。
和久傳は、同じ京都府の丹後の地で、明治3年(1870年)に創業した料理旅館でした。丹後は明治から昭和の中頃まで、名産の丹後ちりめんで非常に栄えたまちです。ところが戦後、化学繊維の急激な普及で、昔ながらの絹織物は衰退。旅館の経営もじり貧になり、このままでは従業員も家族も一緒につぶれてしまう……ということで、母が一念発起して京都市内に料亭を出すことになりました。
とはいえ、都会的な京料理で真っ向から勝負したら、かなうわけもありません。高台寺の店では、田舎ならではのよさを味わっていただけるよう、素材を大切にした料理で行くことに決めました。店の座敷に料亭らしからぬ囲炉裏(いろり)を切った部屋を作り、そこで日本海産の「蟹」を焼いてお出しする、というスタイルを一つの名物にしました。そのバランスの見極めは、母のすごいところでしたね。
建物に清涼な朝の空気が映る
囲炉裏を切った座敷
囲炉裏の座敷の夏の様子(© 高台寺和久傳)
三つの言葉で仕事を回していく
旅館も、料理屋も、女将の腕がその存在を決める。桑村が育った商家の流儀は厳しさに満ちていた。
桑村 丹後のような土地では、商売をやっている家や農家は、家族が家業を手伝うことが当たり前なんです。家でも仕事でも、いちばん働くのが母で、次に娘の私。家族を従業員より優遇することも、決してありませんでした。
一人娘の私は、いずれ跡を継がねばならないことを意識はしていました。でも、母のように采配を振るうことなど、とてもできる自信はなく、当時、心は委縮していましたね。そこで、大学卒業後に大徳寺の塔頭(たっちゅう)の一つに無理をお願いして、修業をさせていただくことにしたのです。
禅寺では、お掃除に始まって、お掃除に終わるという日々でした。早朝に起きたら、朝ごはんをいただく前に、井戸水を汲んで、拭き掃除と掃き掃除をします。8時の「茶礼」でお抹茶を一服立てて、「今日もよろしくお願いします」とみなさんにご挨拶をするのですが、それまでは言葉を交わし合うことはありません。
お寺の中では、言葉を削ぎ落して暮らしていくことが、修業の一つだったと思います。「はい」「ありがとうございます」「ごめんなさい」の三つだけで、言外の気持ちを伝え、仕事を回していくのです。
冬の庭は敷き松葉で苔を養生する
「高台寺和久傳」の入り口(© 高台寺和久傳)
ほのかな闇の先に、灯がともる。玄関に至るアプローチ(© 高台寺和久傳)
誠実であり続けることが、美しいこと
約2年の住み込み修業を経た後、「高台寺和久傳」に入った桑村は、2号店「室町和久傳」の立ち上げや、物販の別会社「紫野和久傳」の取締役として、「おもたせ」の販売にも携わった。その中で「和久傳」ののれんがどのような価値を携えているか自問を続けた。
桑村 常に考えることだらけでした。料亭文化というものは、建物、庭、空間から掛け軸まで、すべてを支えてくれている職人さんたちがいないと成り立たない世界です。そこにはもちろん料理人がいて、器を作る人もいる。また、お給仕を担う人もいる。それぞれの経験の中で培われた技が、ありとあらゆる細部を支えているのです。
そういった「総合力」が勝負の業態は、お客さまがお料理をお褒めくださったとしても、誰か一人が偉かったから、というわけではありません。料理を作った人、それをお客様に運んで給仕した人、それから、お座敷をきれいに掃除して整えた人がいて、それぞれに上下関係はない。誠意と誠実さをチームの一人ひとりが学び続けていく姿勢がないと、信用は根付かない。そのことをすごく考えました。
その時に大切だと考えたのが、「どのように美しくあるか」を、自分たちの基準にすることでした。
それは見た眼の美しさや、飾った美しさではありません。早めにお帰りにならねばならないお客さまのために、2メートルほどの通路を必死で駆けて、淹れたてのお茶を届けようとする子がいたら、その姿が私には美しく感じる。別の言葉で言うと、「どのように誠実であり続けるか」という姿勢になるでしょうか。
とはいえ、「美しさ」という抽象的な概念は、なかなか共有することが難しいだろう。
桑村 店を回す中で取り入れたのが、お寺で修業していた時からの習慣です。料理屋でも、物販の店頭でも、「はい」「ありがとうございます」「ごめんなさい」の三つの言葉を大切にする。それから、とにかくお掃除をきちんとしていきましょう、と。みんなで自分たちの空間をきれいにすると、すがすがしい一体感が生まれるんです。お寺と同じように、お掃除の後は、一服のお茶をいただきます。そうすることで、自分たちの拠りどころである「美しさの基準」を体感していけるのですね。
その中で、「公正さとは何か、ということをずっと考え続けている」と、桑村は言う。
桑村 料理屋というものは、人さまの口の中に入れていただくものを提供するところです。お客さまの顔が、お料理を召し上がったことで、いい笑顔になる。その様子をライブで見られることが私たちの喜びですが、一方で、万が一、場合によっては命を預かることにもなる。その重みと責任を感じる時、理念が絶対に必要なのです。私の場合は、その理念が「公正であること」につながっている気がします。
ジュンサイを使った一品。素材をいじりすぎないことも、プロの技の一つ(© 高台寺和久傳)
「公正さ」の追求は、店で使う野菜や米にも託される。
桑村 2008年に故郷の丹後・久美浜に食品工房を開きました。過疎地の中の工業団地という殺風景な敷地でしたが、それを豊かなものに変えたくて、工房の周囲では在来種の樹木を植え、時間をかけて「和久傳の森」を育てていきました。
かつて母が丹後から京都市内に「和久傳」を移すと決めた時、町の人たちからは、「『和久傳』をなくさないでほしい」という嘆願をいただきました。そのお気持ちに応えられなかった、という思いが私たちの中にはあり、市内での商いが一段落したら、必ず故郷に報いたいと思ってきたのです。
昨年6月には、敷地内に画家の安野光雅さんの美術館「森の中の家 安野光雅館」と、工房レストランの「wakuden MORI(モーリ)」もオープンし、広くお客さまをお迎えできるようになりました。
工房では敷地内に畑を作り、有機栽培で育てた野菜を料亭の料理の材料にもしています。ここでは、和久傳の料理に欠かせない山椒をはじめ、柿、梅、柚子、そして桑なども植えています。また、工房の近くには田んぼもあり、毎年、無農薬・無化学肥料で丹後米を育てているんですよ。もちろん、私たちの店舗で使うお米は、ここで育てたものです。
丹後・久美浜にある「和久傳の森」は、空が大きく開けた土地
「森の中の家 安野光雅館」は、建築家の安藤忠雄氏が設計した
料亭は世界に通用する
ユネスコの世界無形文化遺産に登録されるなど、日本料理が持つ力は、世界にも認められている。その機運にもしっかり向き合いたいという。
桑村 料亭というと、閉じられた和の世界、というイメージが強いと思いますが、うちの厨房には、アメリカやフランスから修業にやってきたシェフも入っています。そうやって外国の人に、日本の料理のすばらしさが認められていることは、ぜひみなさまにお知らせしたいですね。近い将来はアジア諸国からも修業の方を迎えたいと思っています。
また、料亭は次の世代の料理人を育てる場所でもあります。うちから巣立ち、お客さまに愛されている料理人は多い。そのことはひそかに誇りにしているんです。
話を聞いていると、途切れなくお茶のお替わりが出てくる。手許に温かいお茶があることで、料亭という格式の高い世界にいる緊張がやんわりとほぐれていく。
桑村 小さなことなのですが、実はそこはスタッフに繰り返し、言っていることなんです。先にお出ししたお茶が冷めきらないタイミングで、なるべく心地よい温度で入れたお茶にお差し替えする。うつわが好きなお客さまもいらっしゃいますので、お湯呑も違うものに変えていきましょう、と。
ある時、お客さまから「温かきは万能なり」という言葉をお聞きすることがありました。その言葉が私の中で響き、ずっと心に残っています。建物、空間、料理を高いレベルで維持していくことは、とても大事なことですが、それ以上に、そこで働く私たちが、温かい気持ちで仕事に臨むことが大切。そのことを忘れないようにしたいと思っています。
(文中敬称略)
取材・文:清野由美 撮影:楠本涼(提供写真を除く)
高台寺和久傳
〒605-0072 京都市東山区高台寺北門前鷲尾町512
電話 075-533-3100
ウェブサイト http://www.wakuden.jp/ryotei/
和久傳の森
〒629-3559 京都府京丹後市久美浜町谷764
電話・ファクス 0772-84-9901
ウェブサイト http://www.wakuden.jp/mori/
