ニッポンの朝ごはん

奈良から発信する、やさしきおもてなし魂-石村由起子の世界

暮らし

古(いにしえ)より、大陸文化の終着点として悠久の歴史を紡いできた奈良。東大寺や興福寺など、見どころも満載の観光地だが、名所観光とは別に、日本全国からファンを集めている店がある。奈良在住の石村由起子が営む「くるみの木」と「秋篠の森」だ。いずれも観光の中心からは、はずれた場所。それでも人を惹きつけてやまない秘密は、石村流のやさしい「おもてなし魂」にある。

石村由起子

香川県高松市生まれ。奈良でカフェ・雑貨店「くるみの木」(奈良市法蓮町)、レストランとギャラリー「秋篠の森」(同市中山町)、観光案内施設「鹿の舟」(同市井上町)、東京・白金台で奈良の「たからもの」を紹介するショップ・カフェ「ときのもり LIVRER」を運営。故郷の高松市にある「まちのシューレ963」をはじめ、全国の地域活性拠点や、商業施設のプロデュースも手がける。

 

ひとつの建物との出合いが人生を変えた

 JR奈良線の踏切脇にあるカフェ・雑貨店「くるみの木」。木々の向こうに、田舎の分校のようなたたずまいの、木造の建物がある。1984年のオープン以来、カフェで人気のランチプレートをめざして、今日も開店時刻の1時間以上前から人が訪れる。

石村由起子(以下、石村) 店を開いてから、あっという間に34年がたってしまいました。その間に、同じ奈良市内で「秋篠の森」と「鹿の舟」、そして東京・白金台に「ときのもり LIVRER」と、店も増えて、ずっと無我夢中の状態が続いています。店というものは、今日、お客さまが並んでくださっても、明日どうかはわかりません。自分の中で「これでよし」と思えることがないので、今でもずっと緊張感が続いているのです。

 高松で生まれ育ち、大阪で店舗開発の仕事に携わり、結婚を機に奈良に近い京都郊外に住むようになったことが、奈良とのご縁の始まりでした。最初は土地勘もなく、また、知り合いもいない状態でしたが、暮らし始めてすぐに、奈良の地が大好きになりました。京都から電車で奈良に向かうと、車窓からの景色がどんどんと鄙びていくでしょう。平城京跡の広大な風景や、町の中心にある東大寺、興福寺の境内など、奈良はどこも開放的でゆったりとしていて。私だけの奈良を見つけたいと、週末に時間を見つけては、あちらこちらに足を伸ばしていました。

 20代前半で結婚した時は、「30歳まで働き、家庭に入り、子育てをして……」と、普通の幸せな人生を思い描いていた。しかしある日、通りすがりに出合った建物をきっかけに、カフェの経営者に。人生の航路は大きく変わっていく。

石村 踏切脇に建つ建物の庭先に、紫陽花がきれいに咲いていたんです。花に見とれていると、建物からそこで働く女性が出てきて、話が弾みました。木造の平屋だった建物は、私が子どものころ、母との交換日記に描いた夢を思い起こさせました。その日記には、「大人になったら、おじいちゃんもおばあちゃんも、子どもたちも、みんなが来るようなお店を持ちたいです。名前は『くるみの木』」と、絵と一緒に書いていたのです。

 そんなことを思い出しながら、「ここでお店ができたらいいですねえ」と、その女性に話したら、彼女は「へえ、こんなところがいいの?」と、問い返してきました。当時、周りはすべて田んぼだったのです。でも、その時に私の中で、スイッチがポンッと入ってしまいました。「そう、秘密めいた場所だからいいんだ!」って。

 偶然にも、その企業がまもなく退去することを聞いた私は、大家さんの連絡先を教えてもらい、その日のうちに夫を連れて、相談に行きました。その時は、交渉や契約など現実の山がたくさん待っていることは、頭にありません。「これだっ」とひらめいたら、後先を考えずに、シュシュポッポと走り出してしまうのが、私という人間なんです(笑)。

JR奈良線の踏切脇にある「くるみの木」は、田舎の分校のような雰囲気 「くるみの木」の象徴となっている看板

途中であきらめない、という倫理観 

 毎朝の掃除から、注文取り、調理、給仕、後片付け、レジ打ちと、あらゆることを一人でこなし、閉店後は深夜まで翌日の仕込み。休みの日も雑貨の仕入れで、一週間は飛ぶように過ぎていった。

石村 オープンの時にご挨拶に行った近所の店のご主人からは、「奥さんの遊びやな」と、強烈な先制パンチをいただきました。はい、ある意味、その通り(笑)。店を出す以前から、うつわやテーブルクロスなどを集めることが大好きで、自分流の料理とともに、テーブルをコーディネイトして楽しんでいたのですが、その延長で描いていた夢とは、ほど遠い現実の日々が続きました。

 カフェオレをパリ流にボウルでお出しすると、「?」という顔をされるのは序の口。「ここ、スポーツ新聞ないの?」と聞かれたり、テーブルに飾った可憐な草花を「この汚い草、どけて」と言われたり。そんなお客さまも当時はいらっしゃいました。

 でも、実は私は、中学・高校時代にソフトボールに打ち込んだ元スポーツ少女で、途中であきらめてはいけない、という倫理観が自分の中に根付いていたんです。深夜、店に電気を点けて黙々と仕込みをしていると、その様子を見た魚屋のおじさんが、下ごしらえを終えた材料を持ってきてくださったりしました。そのように、周囲の方にもいろいろ助けていただきました。3年ほどたった時に、リピートのお客さまが付くようになり、10年目には、最初に厳しい言葉をくださった店のご主人が、「あんた、ようがんばっとるなあ。いつも見てるで。身体に気を付けてな」と、声をかけてくれました。

「くるみの木」のランチプレート。混ぜご飯と汁物、季節の食材をふんだんに使った主菜、副菜、デザート、飲み物を週替わりで出す 「くるみの木」には、カフェの席を待つ人用に「待合室」もある 窓際には、自家製果実酒の瓶が並んで

20年後にまた走り出す

「くるみの木」の評判は徐々に高まり、雑誌の記事や著書を通して、知名度は全国区に広がった。店を開いて20年目。秋篠寺の近くにあるギャラリーに出かけた時、また新たなスイッチが彼女の中でオンになる。

石村 ギャラリーは眺望のよい丘にあり、ペンションも併設されていて、建物の年季の入り方がとても素敵でした。そこのご主人が「60代になって、体がつらくなってきたので、やめようと思っている」と言われた時に、思わず「そんな、もったいない」という言葉が口をついて出ました。はい、その時にまた、パチンとスイッチが入ってしまったのです(笑)。

 ここでレストランやゲストハウスが運営できたら、どんなにお客さまが喜んでくださるだろう。庭には果樹を植えて、レストランでは庭で採れた果実なんかもお出しして……と、どんどんイメージが膨らんでいきました。その時点で私の頭の中には、お客さまが食事をし、憩い、楽しく語らっている姿が、すでに見えているんです。

 女性なら一度はカフェや小売店を開くことを夢見ることと思いますが、飲食、小売業の現実は過酷です。材料費や光熱費、家賃など固定費の占める割合が大きく、また人がすべての業態ですので機械化は難しく、最終的な利益率は低くなります。私に分別があれば、あきらめるべき夢でした。でも、やっぱり私は走り出してしまったのです。

「秋篠の森」と名付けた敷地には、奈良の食材と、季節の野菜をふんだんに使ったレストラン「なず菜」と、うつわや雑貨を扱うギャラリー「月草」、そして2部屋だけのゲストハウス「ノワ・ラスール」(現在は建物のメンテナンスで休業中)を併設。本人は休日なしの状態から、さらに24時間態勢で仕事に打ち込むことになった。

石村 どうしてそこまで、と自分でも呆れるところがありますが、もともとお客さまをおもてなしすることが大好きなんですね。子どものころは、家に来たお客さまを引き留めるということで、周囲から「"帰らんといて"のユッコちゃん」というニックネームを付けられていたほど。結婚してからは、夫が家にお客さまをお連れした時のために、タオルや歯ブラシ、パジャマなども細かに用意していました。とにかく、そういうことが好きだったんですね。ある時は、家にお泊りになった夫の同僚の下着まで洗って、『やり過ぎや』と苦笑されました。

 おもてなし好きの裏には、忙しく働いていた両親に代わり、祖父母に育てられた子どもだった、ということがあると思います。明治生まれの祖母は愛情が深く、家事が得意な女性でした。いつも髪をお団子に結って、真っ白なかっぽう着を身に付けていて、その清潔なたたずまいが、今も私の中に印象深く残っています。

 祖母は普段の食事でも、庭先にある木の葉などをさっと取ってきて、お皿にあしらっていました。そうすると、子ども心にも季節を鮮やかに感じ取ることができましたね。

「秋篠の森」で小さな森を作ったことも、また、私が店で椿の葉や梅の小枝を、箸置代わりに使うことも、祖母から受け継いだ習慣が大きいのだと思います。

「秋篠の森」には、レストラン「なず菜」と、ギャラリー「月草」がある レストラン「なず菜」では大きな窓が、森の景色を映し込む 蔵の軒先では、庭で採れた柿をつるして干し柿作り ギャラリー「月草」には、石村さんが選び抜いた生活道具が並ぶ 店頭には採れたての大和野菜も

祖母から伝えられた「目と手」

 石村は店の経営のほかに、地元・奈良市の観光案内施設「鹿の舟」や、故郷の高松市にある「まちのシューレ963」など、地域活性拠点のプロデュースも手がける。どの場所にも共通しているのは、さり気なく自然を配し、その恵みを取り入れていることだ。

石村 「鹿の舟」は、古い町家が並ぶ「奈良町」にある市の観光案内施設ですが、敷地内に田んぼと畑を作ってお米や野菜を育てています。伝統的なまちと、田んぼ、畑の取り合わせに意外性がありますよね。いらしてくださった方が、「ほっとします」と喜んでくださると、私もうれしくなって、次は何を植えていこうか、とワクワクと計画してしまうんです。 

 私の原動力ですか? 一つには、祖母から受け継いだ暮らしの楽しさ、工夫を伝えたいという思いがあります。身の回りを清潔に保ち、やさしい「目と手」で、家の仕事を切り盛りしていた祖母は、私の永遠のあこがれです。

 もう一つには、私の大好きな奈良を、もっとたくさんの方に知っていただきたいという願いですね。

 お茶もお米も野菜も、奈良産のものは驚くほど丁寧に作られていて、おいしく、また工芸品や生活用具も使い心地がいいのですが、持ち前の奥床しさゆえに知名度が追いついていないところがあります。そこが愛おしく、また惜しくて。「秋篠の森」や「くるみの木」でお出しする料理には、そんな私の思いが土台にあります。

 たとえば「大和真菜」は小松菜の原種といわれ、姿が大ぶり。「宇陀金ごぼう」は、雲母が混じる土から採れるので、表面がきらきら光っています。どちらもちょっと珍しくて、面白いでしょう。そんな大和の野菜が持つ味わいをシンプルに引き出して、うつわと空間で引き立てる。テーブルにお出しした時に、「わぁ!」と歓声があがるようなおもてなしを……と、心に描き続けているのです。

 

くるみの木

〒630-8113 奈良県奈良市法蓮町567-1
電話 0742-23-8286
ウェブサイト http://www.kuruminoki.co.jp/

秋篠の森

〒631-0012 奈良県奈良市中山町1534
電話 0742-52-8560
ウェブサイト http://www.kuruminoki.co.jp/akishinonomori/
近鉄「大和西大寺」よりタクシーで約15分。

鹿の舟 竈(かまど)、囀(さえずり)

630-8317 奈良県奈良市井上町11
電話 竈 0742-94-5520 囀 0742-94-9700
ウェブサイト http://www.kuruminoki.co.jp/shikanofune/

ときのもり LIVRER

〒108-0071 東京都港区白金台5-17-10
電話 03-6277-2606
ウェブサイト http://www.tokinomori-nara.jp/livrer/

 

(文中敬称略)

取材・文:清野由美 撮影:楠本涼

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