『水道橋駿河臺』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第6回

こどもの日(5月5日、端午の節句)に、男児の成長や立身出世を祈願して飾られる「こいのぼり」。それを主題に歌川広重が描いたのが、「名所江戸百景」の第63景となる『水道橋駿河臺(すいどうばしするがだい)』だ。

風になびくこいのぼりは武士の衰退の象徴か?

広重によって描かれている川は神田上水(今の神田川)で、そこに架かるのは水道橋である。川の向こうの駿河台は、切り絵図(江戸時代の古地図)で見ると旗本や御家人が多く住む武家屋敷街で、町人の住む町家は見当たらない。当時の武家は、端午の節句には家紋の幟(のぼり)や吹き流し、鍾馗(しょうき)の描かれた幟などを掲げていた。こいのぼりは、町人が揚げる物だったそうだ。

よく見ると広重の絵のこいのぼりは、川沿いの火除地に立てられている。江戸時代末期、広重が勤めていた定火消(じょうびけし、江戸幕府の火消し)が大幅縮小されたことを考えると、この場所でこいのぼりを大きく描いたのは、武家の凋落(ちょうらく)に対する皮肉のように思える。

写真は5月初めの休日、早朝に起き、水道橋にこいのぼりを持参して撮影した。橋を絵と同じ位置に配置し、こいのぼりが絵と同じようにはためくまで400カット近く撮り続けた。その光景を見た人は、何をしているのか不思議に思ったろうが、こちらは風との戦いで必死だった。

 ●スポット情報

水道橋

江戸時代初期、後楽園側から神田方面に水を運ぶため、橋の下に掛樋(かけひ)が通されたので「水道橋」と名付けられたという。現在は、JR中央本線の駅名にも使われている。駅周辺には、日本初のドーム球場「東京ドーム」、都心の人気遊園地「東京ドームシティ」、天然温泉施設「ラクーア」、中央競馬と地方競馬の馬券売り場などアミューズメント施設が集まっている。そのため、今の水道橋には「レジャーへの玄関口」といったイメージが強い。近くに東京都水道歴史館と本郷給水所公苑という日本の水道の歴史が学べる施設もあるので、そちらに立ち寄ってから水道橋を眺めるのも一興だ。

  • 住所:南側:東京都千代田区神田三崎町1丁目、2丁目 北側:東京都文京区後楽1丁目、本郷1丁目
  • アクセス:JR中央本線「水道橋駅」より徒歩すぐ 

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

『亀戸天神境内』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第1回
『日本橋江戸ばし』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第2回

『王子音無川堰棣世俗大瀧ト唱』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第3回
『上野清水堂不忍ノ池』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第4回
『蒲田の梅園』:浮世写真家喜千也の「名所江戸百景」第5回
『綾瀬川鐘か渕』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第7回
『堀切の花菖蒲』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第8回
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『市中繁栄七夕祭』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第10回
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