『目黒爺々が茶屋』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第18回

歌川広重「名所江戸百景」では第73景となる『目黒爺々が茶屋(めぐろじじがちゃや)』。往時は富士山が眺められた目黒の坂と茶屋を描いた1枚である。

将軍に愛されて名所となった急坂の茶屋

徳川3代将軍の家光は鷹狩りを好み、しばしば目黒方面へ出掛けたそうだ。その折に立ち寄っていたのが、彦四郎という農民が急な坂道の途中に開いた茶屋であった。家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺(じじ)、爺」と話しかけたので、いつしか「爺々が茶屋(じじがちゃや)」と呼ばれるようになったらしい。茶屋は子孫が彦四郎を襲名しながら受け継ぎ、8代将軍の吉宗や10代将軍の家治も、鷹狩りや目黒不動尊に出向くと立ち寄ったそうだ。

将軍が江戸郊外にある目黒の茶屋と交流を持っていたという事実から、「目黒のさんま」という落語の噺(はなし)が生まれたと言われる。広重もまた、同じ理由で名所絵として描いたのだと考えられる。

元絵は稲穂が黄色くなった秋の景だ。今の目黒に田んぼはないが、稲刈り前の時期に合わせて、爺々が茶屋があったとされる茶屋坂に赴いた。現在は、家やマンションが立ち並ぶ住宅街で、景色もすっかり変わっている。重いカメラバッグと三脚などを担ぎ、急な坂道を上り下りしていたら、茶屋で一休みしたい気分となった。

 ●周辺情報
目黒のさんま祭り

殿様は鷹狩りの際に目黒で食べた、じか火で焼いたさんまの味が忘れられない。城中で「さんまが食べたい」と言って用意させたが、当時のさんまは下賎(げせん)な魚であった。料理番は殿様用に頭を落とし、骨を取り、油を抜くために蒸した。一口食べた殿様は、「これは何か」と尋ねると、料理番は「銚子沖のさんまでございます」と答える。すると殿様が、「それはいかん。さんまは目黒に限る」と言うのが落ちである。長年の間に、さまざまな噺家によってアレンジが加えられているが、これが落語「目黒のさんま」のおおまかな内容である。

この噺にちなみ、1996年からJR目黒駅をはさみ品川区側の「目黒のさんま祭り」と目黒区側の「目黒SUNまつり(目黒区民まつり)」が始まった。毎年9月に開催され、いずれも5000尾以上のさんまを焼いて無料配布するため、来場者で長蛇の列ができる。

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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