『広尾ふる川』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第38回

歌川広重「名所江戸百景」では第22景となる『広尾ふる川(ひろお・ふるかわ)』。高速道路にふたをされた古川近辺には、かつて田園風景が広がっていた。

日本屈指の高級住宅地に広がっていた牧歌的な風景

現在の古川は、渋谷川の下流部分のこと。同じ川であるが、港区内は古川、渋谷区内では渋谷川と呼ばれ、正確には天現寺橋下からJR「浜松町」駅近くの河口までを指す。江戸時代には舟運が盛んで、川沿いには大名屋敷や寺社が立ち並んでいたという。この絵に描かれている四之橋(しのはし)は、今は南麻布と白金をつなぐ橋である。常陸土浦藩主だった土屋相模守の下屋敷南側にあったことから、「相模殿橋」とも呼ばれていたようだ。

広重は、四之橋から上流側に広がるのどかな田園風景を描いた。橋の左手(南)にある2階建ての大きな店は、嘉永7(1854)年の古地図には「狐鰻(きつねうなぎ)」と記されている。当時の有名な鰻屋であろう。古地図上では、四之橋から天現寺まで、大小の武家屋敷、寺、町屋が古川沿いを埋めつくす。広重は川岸に建物をほとんど描いていないが、実際にはもう少し見えていたはずだ。とはいえ、奥に広がるのは「広尾原」や「広尾之原」と呼ばれた広大な田畑緑地だったので、風光明媚(めいび)だったことは間違いない。

1960年代以降、古川の大部分は首都高速というコンクリートの天井に覆われている。白金台育ちの筆者にとっては自宅から最も近い江戸名所だけに愛着があり、変わり果てた姿をいかに作品に仕上げるかと必死に考えた。しかし、どうにも似せようがない。逆に現在のありのままを撮影した方が対比として面白いと思い直し、四之橋を元絵と同じ位置に配して俯瞰(ふかん)で撮影した。

●周辺情報

古川と四之橋、高級住宅地の広尾、麻布、白金

現在の古川・渋谷川周辺には、東京で最も人気が高い繁華街の渋谷や恵比寿、広尾、麻布、白金といった高級住宅地が続く。

四之橋の北側は南麻布で、元麻布にかけての高台には大使館が点在し、古くから外国人居住者が多い地域。最寄り駅である東京メトロ日比谷線「広尾」駅周辺には、1950年代後半からインターナショナルスクールや輸入食材を扱う店ができ、東京を代表する高級住宅地になっていく。70年代後半頃からはおしゃれなレストランやカフェが次々と出店。平日のアフターファイブや休日にも多くの人が集う場所となった。

そんな広尾が、江戸末期まで有名な原野であった。広重は『絵本江戸土産』でも四之橋辺りから古川沿いの風景を描いているが、その絵には「江都(こうと、江戸のこと)第一の郊原(こうげん)にして人のよく知る所なり。(中略)古への歌に見えたる武蔵野の気色(景色)はこれかとおもふばかり。寂寥(せきりょう)として余情(よじょう)深し」と、記されている。

四之橋南側の白金には、7世紀に建立されたと伝わる氷川神社(白金氷川神社)がある。江戸っ子に人気だった目黒不動の参詣の際には、四之橋を渡り、氷川神社に立ち寄って拝んだ後、三光坂を上って白金の台地を抜けるルートが一般的だったそうだ。この辺りには多くの茶店があったというから、休憩しながら「いにしえの武蔵野の景色」を眺めたのだろう。四之橋から氷川神社付近まで続く白金商店街には、当時をしのばせる風情ある店が今も数軒残っている。

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『絵本江戸土産』には「麻布 古川 相模殿橋 広尾之原」として紹介されている。今の地形を考えると、こちらの絵の方がより写実的に描かれているようだ(国会図書館所蔵)
『絵本江戸土産』には「麻布 古川 相模殿橋 広尾之原」として紹介されている。今の地形を考えると、こちらの絵の方がより写実的に描かれているようだ(国会図書館所蔵)

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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