『芝愛宕山』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第40回

歌川広重「名所江戸百景」では第21景となる『芝愛宕山(しばあたごやま)』。愛宕神社境内は江戸湾まで一望できた名所で、ほおずき市発祥の地。江戸時代には風変わりな祭りが開催されていた。

「出世の階段」を舞台に描かれた奇祭の一幕

愛宕山(港区愛宕)は標高26メートルで、江戸市中において最も高い山だった。その頂にある愛宕神社は1603(慶長8)年に徳川家康の命により創建され、境内からの眺めは絶景だったと伝わる。

愛宕神社の正面には、86段、傾斜40度という急な石段「男坂」がある。この参道を丸亀藩士・曲垣平九郎(まがき・へいくろう)が馬に乗ったまま駆け上がり、山頂の梅の花を手折って3代将軍・家光に献上したという。家光は「日本一の馬術の名人」とたたえたそうで、この逸話から男坂は「出世の石段」と呼ばれるようになった。その後は立身出世を願う人は、脇にある緩やかな女坂を使わずに男坂を登って参拝したという。

広重は、男坂の上にある大きな楼門の脇から、北東方向の江戸湾を望んだ景色を描いている。左側の海の手前に見える大きな屋根は、2キロ以上離れた築地の本願寺だ。下級武士の礼服「素襖(すおう)」を着て、ざるに飾り物を付けてかぶり、巨大なしゃもじとすりこぎを持った男は、落款(らっかん)の上に記された「正月三日 毘沙門の使い」である。

江戸時代の愛宕神社は、石段の下にあった別当寺(べっとうじ)の円福寺に管理されていた。この寺では、毎年正月3日に「強飯式(ごうはんしき)」という儀式が行われた。そこに登場したのが毘沙門の使いだ。食べきれないほどの飯を、頂戴人と呼ばれる修行僧などに「残さず食べろ!」と強要する役で、女坂の上にあった茶屋「あたごや」の主人が務めたという。強飯式は「供物を大切にする」という教えを伝える儀式で、見物客も押し寄せた。頂戴人には無病息災、厄よけなどのご利益があるそうだ。

写真は、まだ肌寒い旧暦正月頃の午前中に撮影した。明治期の廃仏毀釈(きしゃく)によって円福寺は廃寺となり、強飯式もなくなってしまった。かつて楼門のあった男坂の頂上には、大きな石造りの「一の鳥居」が立っており、周辺はマンションやオフィスビルばかりで海など全く見えない。楼門よりは小さいが、「丹塗り(にぬり)の門」(神門)が社殿の前にある。元絵のアングルとは少し異なるが、そこから男坂に向かってカメラを構え、人影がなくなるのを待ってシャッターを切った。

 

●関連情報

愛宕神社の勇壮な「出世の石段祭」と、ほおずき市の起源「千日詣り」

現在でも立身出世を願うビジネスマンがたくさん参拝に訪れる愛宕神社。創業当初に近くでオフィスを構えていた楽天は、日本を代表する企業に成長。今でも、三木谷浩史社長と幹部が勢ぞろいで初詣することは有名だ。隔年9月に行われる例大祭は、神輿(みこし)が男坂を行き来する勇壮なもので、「出世の石段祭」とも呼ばれている。

夏祭りの「千日詣り ほおづき縁日」も人気がある。毎年6月23日、24日に開催され、丹塗りの門の前に設置された「茅の輪(ちのわ)」をくぐって参拝すると、千日分のご利益があるという。古くは、境内に自生したほおずきの実を飲むと体に良いとされた。そのため、併せてほおずきの市が立ち始めたそうだ。

ほおずき市といえば、毎年7月9日と10日に開催される浅草寺のものがよく知られる。この日は「四万六千日(しまんろくせんにち)」分もの功徳があるといわれる観音様の縁日で、境内は大勢いの人でごった返す。浅草寺では、愛宕神社のほおずき市のにぎわいにならって、四万六千日の縁日にほおずき市が立つようになったそうだ。浅草寺のほおずき市が全国の寺社へと広がり、今ではすっかり夏の風物詩として定着しているが、元をたどれば愛宕神社に起源があるのだ。

愛宕神社の出世の石段を見下ろすと、足がすくみそうになる。馬上からだと、さらに高い目線となるが、平九郎は馬に乗ったまま降りたという
愛宕神社の出世の石段を見下ろすと、足がすくみそうになる。馬上からだと、さらに高い目線となるが、平九郎は馬に乗ったまま降りたという

名所江戸百景の約30年前に出版された江戸名所図会で、円福寺内の強飯式の様子が紹介されている。この時代の毘沙門の使いは、素襖ではなく麻裃(あさがみしも)を着ていたようだ 国会図書館所蔵
名所江戸百景の約30年前に出版された江戸名所図会で、円福寺内の強飯式の様子が紹介されている。この時代の毘沙門の使いは、素襖ではなく麻裃(あさがみしも)を着ていたようだ 国会図書館所蔵

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」作品一覧はこちら

観光 東京 神社仏閣 浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」 関東 神社 浮世絵 祭り 港区 祭り・行事