京都「八坂神社」:祇園さんとして親しまれる神仏習合の古社

・夏の風物詩・祇園祭で有名
・京都市中心街から歩いていける距離
・異国の神々を受け入れて独自の文化を醸成

朱塗りの西楼門がシンボル

碁盤の目のように区切られた京都の町。東西方向のメインストリート「四条通」の東の突き当たりにあるのが八坂(やさか)神社(祇園社、京都府京都市)だ。四条通から続く、緩やかな石段の上にある鮮やかな朱塗りの西楼門は、その美しさから八坂神社の象徴として親しまれてきた。

あざやかな朱塗りの西楼門

1868年の神仏分離令によって改称するまでは、八坂神社は「祇園社」「祇園天神」「祇園感神院」「祇園牛頭(ごず)天王」と呼ばれていた。「祇園」は京都を代表する花街として知られるが、もともとは仏教の開祖である釈迦(しゃか)が説法を行ったとされるインド北部の仏跡「祇園精舎」に由来する。

八坂神社の起源については諸説ある。一つには平安時代の僧・円如(えんにょ)が祇園精舎を守護する牛頭天王を勧請(かんじょう)して感神院を建てたのが始まりとする説。また、修行僧が祇園天神堂を建てたのが最初であるという説も。また、前身はこの地の古い鎮守神で、高句麗(こうくり)系の渡来人である八坂氏の氏神とも言われ、社伝には新羅(しらぎ)の牛頭山から神霊を迎えたとされている。

南楼門の石鳥居

主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、相殿(あいどの)に妃神・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、子神五男三女の八柱(八王子)を祀(まつ)る。素戔嗚尊は神々の国・高天原で、悪行の限りを尽くして地上へと追放された。最初に新羅の牛頭山に降り、そこから船に乗って東に渡り、出雲国に着いたと日本書紀に記されている。いずれにしても、八坂神社は創立の時から神仏習合であり、渡来人と融合し、異国の神々を受け入れて独自の文化を醸成したと考えられる。

1000年以上続く夏祭り

八坂神社の夏の大祭「祇園祭」は、日本三大祭の一つに数えられる。毎年、7月の1カ月間にさまざまな神事が繰り広げられるが、そのクライマックスとなるのが、「動く美術館」とも呼ばれる豪華絢爛(けんらん)な山鉾(やまほこ)の巡行だ。110トン以上もある巨大な山鉾が交差点で向きを変える「辻回し」は、特に人気が高い。

祇園祭。山鉾は、山車(だし)の上部に鉾や長刀を立てたもの

この祭りは869(貞観11)年、京都に疫病が流行して多くの死者が出た際に、66本の鉾を立てて霊魂をなだめるための「御霊会(ごりょうえ)」を行ったのが始まりだ。室町時代の応仁(おうにん)の乱(1467-1477)で京都が焼け野原と化した後に祭りは途絶えたが、大乱が収束した30年ほど後の1500年に復活し、今日まで1000年以上にわたって続いている。

●交通アクセス:

JR「京都駅」より市バス206番で「祇園」バス停下車すぐ
京阪「祇園四条駅」より徒歩で約5
阪急「河原町駅」より徒歩で約8
JR「京都駅」より車で約15

文:戸矢学
写真:中野晴生
(バナー写真=日本三大祭りの一つ祇園祭) 

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