【開港160年】函館港 ライカ北紀行 —函館— 第21回

天然の良港をいだく函館。廻船業・高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と砲弾を撃ち合うなど歴史を刻んできた。日露開戦の翌日、目のまえの津軽海峡をゆうゆうと航行するロシアの軍艦に市民は逃げだし、射程の短い函館山要塞は沈黙し、なすすべもなかった。

函館港(2015)
函館港(2015)

第2次大戦では米国空軍に青函連絡船がねらわれ、戦後はシベリア樺太からの引き揚げ者が上陸し、洞爺丸(とうやまる)台風は港内の青函連絡船をつぎつぎと沈めた。北洋サケマス漁業が再開され、母船、独航船でいっぱいとなり、街は北洋景気にわく。青函トンネル開業とともに連絡船は姿を消し、港はずいぶんと静かになった。

ベイエリアの赤レンガ倉庫は、観光客をよびこむ人気の拠点となり、大型のクルーズ客船の入港もふえ、明治創業の函館ドックは何度も経営危機をのりこえ、港内にでんと座っている。

開港160年、カメラ片手にこれからも港の移り変わりをみつめていく。

クルーズ客船3万トン級。JR函館駅、函館朝市がすぐそばのまさに「まちなか埠頭」に着岸。左手にちらり函館山の頂(2019)
クルーズ客船3万トン級。JR函館駅、函館朝市がすぐそばのまさに「まちなか埠頭」に着岸。左手にちらり函館山の頂(2019)

函館水産高校ボート部(2010)
函館水産高校ボート部(2010)

●道案内
緑の島
 ※ベイエリアが一望できる  市電「大町」下車、徒歩3分(地図へ

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