【車椅子の大道芸人】ギリヤーク尼ケ崎 ライカ北紀行 —函館— 第27回

自分の風貌が、ロシア・サハリンの先住民族ギリヤークそっくりな故に芸名とし、本名は尼ヶ崎勝見、函館生れの89歳。国内外の街頭で踊り狂った。

踊り狂う(ベイ函館 1994)
踊り狂う(ベイ函館 1994)

フランス、中国、韓国、サハリンなどでも街頭で踊り、パリのど真ん中シャンゼリゼでは警察に止められた。赤フン一丁はだめよ、と。阪神淡路大震災、東日本大震災の被災地や、米国ニューヨークのグラウンド・ゼロでは鎮魂「祈りの踊り」を舞った。

「じょんがら一代」(ベイ函館 1994)
「じょんがら一代」(ベイ函館 1994)

30代で東京銀座の数寄屋橋で踊って大道芸人となり50年あまり、投げ銭一本で生きぬいてきた。2019年夏、そのギリヤーク尼ヶ崎が、生家ちかくの函館・大門の広場で踊った。

分厚い人垣を割って、車椅子に乗ったギリヤークが登場。体が少しずつ動かなくなるパーキンソン病を患っている。函館生れだからこそ今の自分があると故郷への思いをしみじみ語った後、車椅子を捨て、代表作の「念仏じょんがら」「果し合い」「じょんがら一代」……。

89歳、故郷に錦を飾る(函館・大門 2019)
89歳、故郷に錦を飾る(函館・大門 2019)

ときには、チベット仏教の五体投地のごとく地べたに身をふせ、観客と手をつなぎ、子供をだきあげ、ぐるりととりまく人々と一つになる。昔はバケツ一杯の水を頭から浴びたが、今はペットボトルの水をぶっかける。青空舞踏公演は、拍手と笑いをよびこみ、つぎつきと投げ銭で埋まる。ギリヤークは感極まった風情であった。

古里公演の締めは、津軽三味線の二代目高橋竹山との共演であった。眼が不自由な初代高橋竹山は、家々をまわって三味線を弾いて金品をもらい受けた。その“門付け”を表したのが、ギリヤークの代表作「じょんがら一代」。生の津軽三味線が響きわたるなかで舞に舞う。故郷に錦を、この思いがこぼれていた。

まだまだ未熟、もっと色っぽく踊りたいと、赤フン一丁で壮絶な生きざまを語った。

二代目高橋竹山とトーク(函館・大門 2019)
二代目高橋竹山とトーク(函館・大門 2019)

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