【赤とんぼ】三木露風 ライカ北紀行 ―北斗― 第73回

牧草地が広がるなかを杉とポプラの一本道が真っすぐにのびている。その先、一段と高くなった丘のうえに男子修道院が立ち、静寂と神々しさがあたりに満つ。

修道院の十字架が日差しにきらりと光り、鐘が鳴りわたった。この道を歩くたびに天国へ向かうがごとき思いとなる。

三木露風は、10代後半、詩人で世にでるも悩みをかかえ、20代半ばに函館近郊のトラピスト修道院を訪れた。3週間の滞在中に詩集『良心』を書きとめている。

1922(大正11)年頃、トラピスト修道院で講師を務めていた当時の三木露風(32歳) 童謡の里龍野文化振興財団蔵
1922(大正11)年頃、トラピスト修道院で講師を務めていた当時の三木露風(32歳) 童謡の里龍野文化振興財団蔵

31歳のとき、初代・修道院長ジュラール・プゥイエ(のちに帰化して岡田普理衛)の招きで、1920(大正9)年から4年間、日本文学の講師として修道志願者などに文学論や美学論を教えた。このとき、「赤とんぼ」を詠み、童謡集に発表して2021年で100年となる。

夕焼け、小焼の、赤とんぼ、
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑の実を、
小かごに摘んだは、まぼろしか
十五で姐やは、嫁に行き、
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼け、小焼の、赤とんぼ、
とまっているよ、竿の先

生まれ育った兵庫・龍野。幼子の露風は、子守する姐(ねえ)やに背負われ夕焼けの空を見あげると、飛びまわる赤とんぼの群れ。のちに、修道院で文学を教える日々。そんなとき、竿の先にとまった赤とんぼをふと目にして、昔を思う。母と別れ、さらに好きな姐やも去り、千々(ちぢ)に乱れた幼なごころを「赤とんぼ」に詠んだ。修道院の前庭に三木露風の詩碑がある。

三木露風の詩碑(トラピスト修道院の駐車場前庭園)(2021)
三木露風の詩碑(トラピスト修道院の駐車場前庭園)(2021)

詩碑の近くにある三木露風の旧居跡地。友人の北原白秋が訪ね、歌を詠んだ。「つつましく君が住みけむ跡どころ 谷澤越えて我は見に来し」(2021)
詩碑の近くにある三木露風の旧居跡地。友人の北原白秋が訪ね、歌を詠んだ。「つつましく君が住みけむ跡どころ 谷澤越えて我は見に来し」(2021)

滞在中に妻なかとともに受洗しカトリック信者になっている。

ちなみに、2021年、トラピスト修道院は創立125周年をむかえた。

トラピスト大修道院本館3階より一本道をのぞむ光景。中央は正門(2010)
トラピスト大修道院本館3階より一本道をのぞむ光景。中央は正門(2010)

●道案内
トラピスト修道院 道南いさりび鉄道  渡島当別駅下車、徒歩20分(地図へ

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